1898年装甲板考
装甲板の歴史は板厚と靭性の競争の歴史だ。そこにはさまざまな冶金の調質の歴史がある。
定遠を鹵獲した日本技術団は仰天した。
技官「おい、厚さが355mmもあるぞ」
遂に貫けなかった定遠の舷側装甲。
それは2層構造の複合装甲であった。
鋼鉄の堅さと粘りは、炭素の含有量で決まる。
炭素が多ければ堅く割れやすい鋼鉄となる。
炭素が少なければ柔らかく粘りのある鋼鉄となる。
理想の鋼鉄は表面が堅く、内面は粘りのある鋼鉄だ。
これをつくるにはまず堅い鋼板を作る。
その上に柔らかい鋼板を流し込んで2層構造にする。
こうして作られた定遠の355mmの複合装甲。
技官「どうあがいても貫通しないわけだ・・・・・・」
1889年ニッケル鋼が英国のライレイによって見出される。
ニッケルを添加することにより、複合装甲と同じ対弾性が得られた。
1990年代に表面硬化装甲が誕生する。
ハーベイ鋼(表面浸炭・焼き入れニッケル鋼)がまず誕生した。
これはニッケル鋼の表面を焼き入れして硬化させたものだ。
鋼鉄装甲を100%とすれば、複合装甲は70%の厚さで同等の強度が得られる。
表面硬化装甲は35%(複合装甲の半分)で強度は同質となった。
さらにクロムを添加して硬化性能を高めたのがクルップ鋼だ。
クルップ鋼(表面浸炭・焼き入れニッケル・クロム鋼)である。
ハーベイ鋼は複合装甲の2倍、クルップ鋼はその3倍の対弾性があった。
さらに焼き入れ時間を長く伸ばし、ニッケルクロムの含有量を上げたVC鋼。
さらに調質して浸炭せず、焼き入れのみで済まし生産効率を上げたVH鋼。
浸炭処理を施した装甲の表面は堅さが増した分、衝撃に脆かった。
そのため砲弾の直撃で表面硬化層が「割れて」しまう恐れがあったのだ。
そのため、この均質圧延装甲は大発見であった。
VH鋼は均質圧延装甲で、浸炭せず添加物で、装甲に靭性を与えるモノだ。
だが大きな問題があった、日本にはニッケル資源がまったくないのだ。
インドネシアのセレベス島、フィリピン南東部、オーストラリアにニッケル資源があった。
全部輸入で賄わなければならないのだ。
日本は日英同盟を通じて各国と通商を持った。
そして猛烈な勢いでニッケルを輸入しだした。
西欧「お前、なんでニッケルの輸入なんかしてるの?」
日本「いやあ、あはあは、なんというかアレですよ」
その偽装の為に日本の硬貨はニッケル硬貨になった。
これなら莫大な量を輸入しても言い訳が立つ。
いざとなったらニッケル貨幣をすべて回収して鉄鋼材料にする。
通貨はすべて紙幣にしてしまえば良い。
ニッケル貨幣は鋳込んで、ニッケル鋼に生まれ変わるという訳だ。
ちなみにロシアには世界最大のニッケル鉱床ノリリスク-タルナフ鉱床がある。
ロシアの最新艦のボロジノ級戦艦は全身をクルップ鋼で固めた前弩級戦艦である。
資源が無尽蔵の為、ニッケルをたっぷり使った堅艦ぶりだ。
日本は必死になってニッケルを含まない代用鋼板を研究した。
CNCはニッケルを減らして銅を添加した代用鋼板だ。
MNCはモリブデンを混ぜてさらに改質した代用鋼板だ。
だがどうしてもニッケルを減らした分、対弾性が劣っていた。
所詮は代用鋼板で、戦艦の補助装甲に使える程度であった。
1890年代はあまりにも冶金技術の開発激変期であった。
軍艦の建造中に次々と新型装甲板が発明されたのだ。
あまりにも速い変化に建造中に旧型になる艦さえあった。
また途中から装甲板が変更になるツギハギ艦も現れた。
日本だけではない、全世界で冶金技術が進化した結果だ。
世界は戦争の為の技術革新に満ちていた。
次回は1902年前弩級戦艦薩摩です。




