1894年日清戦争000
日清戦争で清国は東洋一の堅艦と言われる定遠級戦艦を投入した。かたや日本は防護巡洋艦で対峙した。戦艦対巡洋艦で日本は火力に劣る。だが戦闘は火力で決まるのではなかった。
1894年、東学農民運動起こる。
これによる日清の武力衝突に端を発し、ついに戦争が勃発。
日清戦争だ。
清国は自国北洋艦隊にドイツから新造艦を次々に購入。
東洋最強の北洋艦隊を有していた。
最新兵器で今度こそ戦争に勝つ!
一方の日本艦隊には、高速だが火力の弱い巡洋艦の寄せ集めだった。
火力なら日本は圧倒的に不利だった。
だが戦争は火力だけで勝敗がつくものではない。
ここは清王朝皇宮(紫禁城)。
光緒帝が幕僚の李鴻章を謁見している。
光緒帝「今さら開戦に異議を唱えても時期を逸しておる」
「そちは全権大使ではないか、今さら反戦を唱えてなんとする」
李「淮(清)軍と北洋艦隊では日本軍に練度で劣りまする」
「籠城して、欧州列強に介入してもらい、講和を図りましょう」
光緒帝「定遠級戦艦はクルップ30.5cm砲を搭載した最新艦だぞ」
「日本艦は時代遅れの巡洋艦の寄せ集めだと聞いておる」
李「練度に劣ると、最新艦とて戦術を見誤りまする」
李は反戦派、光緒帝は主戦派である。
何処まで行っても、話は平行線であった。
李は持久戦で耐えて、西欧列強の介入で、講和に持ち込みたかった。
その為には近海防御で戦力を温存が第一だ。
日本艦隊は艦隊決戦を望んだが、なかなか機会に恵まれなかった。
ところが、偶然大孤山沖で演習をしている北洋艦隊を日本側が発見する。
ここに黄海海戦の火蓋が切って落とされた。
この時代の軍艦艦首には衝角がある。
ローマのガレー船のように体当たり攻撃が戦法に組み込まれていた。
ドーンと体当たり攻撃をかまして、敵に大損害を与えるアレだ。
当時の魚雷攻撃は、打ち放し攻撃で、当たる当たらないは運だった。
逆に逃げた艦が浅瀬で座礁して、戦線離脱の方が効果があるぐらいだ。
日本連合艦隊の第一遊撃隊司令官の坪井航三は機嫌が悪かった。
上層部がやたら「横陣」を薦めてくるからだ。
彼は単縦陣形にこだわり、戦闘も偵察も航行も単縦陣形であった。
そのため「ミスター単縦陣」というあだ名がついたぐらいである。
衝角も「ローマ時代じゃねえ!」と一喝した。
速度の遅い木造帆船の時代ならいざ知らず、時代は高速艦である。
この時、清国側艦隊は鶴翼陣形、日本側艦隊は単縦陣形を取っていた。
鶴翼陣形は艦隊の制御は難しいが、敵を三日月型に包囲する事が出来る。
突進してくる敵に集中砲火を浴びせられる陣形だ。
だが机上演習のように艦隊を上から見る方法は無い。
そのため、正しい陣形を取っているか分からない。
風速も海流もある実際の海上で、目線では確認出来ないからだ。
日本の単縦陣形は艦の操作が鶴翼陣形より簡単である。
前の艦の動きに従えば良いので、艦隊行動が取りやすい。
清国の横陣形は最左翼の済遠、広甲が遅れており、早くも陣形は崩れた。
鎮遠、致遠も弱冠艦隊速度が合わせられていなかった。
そのための横陣形は歯の折れた櫛の様な有様であった。
一方日本軍は単縦陣形で、一糸乱れぬ動きである。
坪井「それ見ろ、艦隊運動が出来ていない」
坪井「現実は演習みたいには行かないんだよ」
坪井「西京丸は赤城を伴って戦闘を回避せよ」
「西京丸は貨物改造船だから・・・・・・ああ、ナニやっとるか!」
旧式コルベット艦の比叡が遅れ出した。
赤城は西京丸を守って随伴しているが、どうも狙われている。
ここで比叡は敵陣に突っ込み、攪乱作戦に出た。
清国北洋艦隊はこの1隻を打ち果たさんと陣形を崩した。
堀井「今こそ敵艦隊に集中砲火だ」
比叡は大破しながら、敵中突破に成功。
この間に西京丸と赤城は離脱に成功した。
もはや清国北洋艦隊は艦隊運動が出来ていない。
最後まで日本連合艦隊は単縦陣を崩さなかった。
日本軍旗艦松島「あれが定遠、清国軍旗艦だ」
「撃って撃って撃ちまくれ!」
旗艦松島のの32cm砲を定遠に向けた。
この時の為に巡洋艦に戦艦並みの砲塔を搭載したのだ。
その時大きく艦の向きが変わった。
連合艦隊司令長官伊東祐亨「どうした!」
操舵手「主砲が重すぎて舵を持っていかれます!」
艦体の重心が狂って、艦があさっての方向に向きを変えた。
伊東「戻せ!主砲を元の位置に戻せ!」
「操舵出来なければ、敵のマトになるだけだ」
しかたなく従来の12cm速射砲をぶちかました。
ズドーンッズドーンッ!ヒュウルルル~ッ!
ドカバキッ!ガキーンッ!
命中率5%、驚異的な数字だ!
しかし命中弾は定遠の分厚い装甲を貫けない。
定遠は北洋艦隊旗艦だ。
その装甲は東洋一の堅艦を誇っていた。
定遠級戦艦は2隻。
すでに200発以上の命中弾を受けていた。
装甲板が堅牢で、着弾で火薬火災は起きても、貫通しないのだ。
だが艦上建築物は破壊され、火災で焼き尽くされた。
艦橋は空中甲板と言って、当時は吹きさらしの露天であった。
旗信号を揚げるマストも焼け落ち、点滅信号を送る燈も燃えガラとなった。
清国の旗艦は指揮能力を失ったが、航行能力は充分残っていた。
日本艦から見れば、大火災で黒煙を上げる定遠。
「まだ定遠は沈みませんか」
多数の命中弾を受け、戦闘不能になりながらも、沈まない定遠。
そのエピソードが「勇敢なる水兵」という軍歌で残るほどであった。
次回は1894年日清戦争001です。




