1892年戦車
19世紀の塹壕戦と鉄条網は、歩兵にとって地獄だった。特に鉄条網は突破できず、死体の山を築く結果となった。これを突破するのが「戦車」である。
19世紀、戦争は消耗戦へと突入していた。
機関銃の登場で戦列歩兵はあっという間に時代遅れとなった。
密集陣形を組んで進軍する戦列歩兵は格好の的だ。
歩兵は塹壕や掩蔽壕に隠れるようになった。
兵力を温存し、摩滅するような消耗戦を防ぐ。
機関銃は毎分500発も撃てるのだ。
戦場は近代兵器によって大きく様変わりしていた。
射程の長くなった大砲が戦場を掘り返し、雨が降るとぬかるみとなった。
戦闘は、塹壕を敵陣地まで延伸して、近距離から突撃するスタイルとなった。
歩兵の突撃さえ防げれば、大砲と機関銃で木っ端微塵にできる。
そこで進化したのが、防御用塹壕と鉄条網だった。
特に鉄条網は原始的で単純な構造だが、実に効果的だった。
ワイヤーカッターで切ろうとすると機関銃の十字砲火を受ける。
杭を引き倒そうとすると機関銃の十字砲火を受ける。
これを突破するために装甲化された騎馬と騎兵が必要だ。
だがこの発案は時代遅れである。
発想は当時勃興してきた自動車に受け継がれた。
いわゆる「装甲車」だが、当時の自動車は戦場を走れなかった。
車輪が華奢で、中空タイヤでないので不整地に弱かったのだ。
そこで目を付けられたのが農業用トラクターだ。
畑で平和に働くだけなら鉄輪式で充分であった。
だが英国陸軍はすでに履帯式が戦場で有効であると認めていた。
トラクターの履帯なら、どんな荒れ地にも入り込める。
穴や溝、泥地となんでも御座れである。
履帯式は躊躇することなく乗り越えていった。
英国陸軍の兵士がこの世にも奇妙な移動機構をバカにして言った。
「芋虫ちゃ~ん」
後に技術者ホルトはそれを登録商標にして有名になる。
ホルトはカリフォルニアに渡米して起業するのだ。
その会社の名は「キャタピラー」であった。
各国は我先に「戦車」の開発にしのぎを削った。
誰が先に実用化するかは時間の問題だったのだ。
日本ももちろん例外ではなかった。
日本陸軍技術審査部では討論が繰り返された。
火薬研究所もこの議論に駆り出された。
技官A「トラクターに装甲?」
技官B「戦車か・・・」
技官C「そうです戦車です」
畜力に代わる動力として蒸気機関が農機具に備えられるようになった。
農業機械の始まりは19世紀初頭である。
1850年には高圧化ボイラーが発明される。
これにより、充分な馬力が蒸気動力でも得られるようになった。
1892年ガソリンエンジンを備えた内燃式トラクターが登場する。
この16馬力のトラクターに軍部が食指を動かしてきた。
当時、軽砲の牽引は8頭立ての牽馬が限界であった。
6頭立て以上になると効率が低下する事が知られていた。
牽馬の統制の限界が6頭立てなのだ。
このことから、野砲は6頭の馬が牽ける重量に制限されていた。
だがガソリンエンジントラクターなら16頭立ての牽馬に相当する。
そこで軍部は当然次のように考えた。
技官「いっそのことトラクターに野砲を乗せて自走式にすればいい」
こうして自走砲とか戦車の概念が出来上がっていった。
1770年無限軌道は既に設計され、1830年には特許まで出されている。
1846年蒸気機関による無限軌道車がイギリスで特許を得た。
日本はその記事に触れて、焦りを感じはじめた。
技官A「英国とは開発競争になりそうだ」
技官B「なあに追い付き追い越せだ」
技官C「言うだけなら簡単だが、実際は・・・・・・」
結局は一から開発というワケにもいかず、トラクターを輸入する事となった。
これをデッド・コピーして、戦車のひな形をつくるのだった。
試作戦車は装甲トラクターといった体であった。
装甲は10mmの装甲鋼板を使用するが、速度は3~4km/hであった。
重量は約7トン、いたしかたない速度だ。
1894年日清戦争勃発。
だが間に合わない。
燃料が極寒地の戦場ではゼリー状になり、エンジンまで行き渡らない。
一度エンジンを切ったら、極低温のため二度と掛からない。
戦車は故障が連続の試作段階だった。
ここでエンジンはガソリンからディーゼル機関に切り換わった。
燃料も寒冷地仕様のものが研究され、特3号軽油が開発された。
軍部も研究費を惜しみなく投入し、1901年遂に国産戦車の製造に成功した。
鉄条網を突破し、機関銃の直撃に耐えるスペックである。
運転席は外部からの攻撃は一切内部に通じないようになっている。
窓は無く、天盤のペリスコープで外部を見る構造だ。
国産45馬力エンジン2基による左右独立駆動。
装甲は全面14mm、側面8mm、重量は8tと小振りである。
緩衝装置は無く越壕性のみが重視された構造である。
この戦車は秘匿兵器であり、瀬戸内海の離島で試走が行われた。
バルーンッブルブルブルッ。
エンジン音が物凄い、耳をつんざくようだ。
ガタガタッキュラキュラッ。
走行音もやかましく、しかし順調に作動している。
と、突然に戦車がストップした。
「エンジントラブルか!」技術者が駆け寄った。
車長がハッチを開けて出てきた。
「乗ってみて下さい・・・・・・」
十分後。
すり傷だらけ、煤煙で真っ黒の技術者がヨロヨロで降車した。
緩衝装置と換気装置とマフラーが付いたのはまもなくの事だ。
こうして世界初の戦車が出来上がったのは、日露戦争2年前の事だった
日露戦争には40台の戦車が間に合った。
但しこれには「架橋戦車」と「地雷処理戦車」は入っていない。
次は1894年日清戦争000です。




