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日露大戦  作者: 登録情報はありません
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1889年二宮忠八の飛行機(器)001

ついに二宮忠八の飛行機(器)の開発が始まった。風洞実験を繰り返し、実機での翼断面形状を突き詰める日々が続いた。だが、エンジン開発は誰がやるのか?そこに現れたのは歯車式計算機を手にした研究発明家の矢頭良一である。彼は単身イタリアに渡り、エンジン研究に没頭した。

だが3人の中の上原だけは先見の明があった。

上原「おい、大島、やらせてみようや」


参謀長に工兵監が「おい」呼ばわりである。

彼が戦友でなかったらぶっ飛ばされるところだった。


山田「研究員の一人としてやらせてみたいと思います」

長岡「航空機は遅かれ早かれ誰かがやらねばならぬぞ」


大島「よしっわかった!」


上原の性格に惚れ込んでいた大島だからこそ、この二つ返事であった。

山田猪三郎もうなづきながら笑っていた。


山田「こりゃあ、戦争のあり方がガラッと変わるやもしれん」

「車や汽車が流通のあり方を変えたように」


山田「君の利点は(羽ばたき)や(推力)を無視した事だ」

「海外の実験は「揚力」のベクトルを無視して失敗した」


二宮は翼断面の迎え角と揚力の関係に直感的に気付いたのだ。

Fig1は平板翼型を傾けていった場合に揚力をプロットしたものだ。


挿絵(By みてみん)

数式は省くがキレイな曲線を描いている。


Fig2はキャンパー翼型を傾けていった場合のものだ。


挿絵(By みてみん)

こちらは翼を少し傾けた場合に一番大きな揚力が得られる事に注意。


山田は大空を自由に飛ぶことを夢見ていた

気球は浮くだけだが、飛行機は飛ぶことができる。


ここに陸軍航空機工廠の設立と空軍の発祥があっさりと決定した。


上原「まずはエンジンだ、これは厄介だぞ」

二宮「は、はいっ」


エンジン開発は最も難関な研究課題であった。

その精密加工に必要な工作機械はどうなるのか?


1853年まで幕末の江戸時代末期だった日本。

明治維新とともに猛烈な速度で技術革新が始まっていた。


1875年伊藤嘉平治が足踏み旋盤を製作している。

1879年工部省赤羽工作分局が門型平削り盤を製作。


1889年池貝製作所が英式12feetと6feetの旋盤を製作。

40年で鎖国の250年の技術停滞に追い付こうとしていた。


航空機エンジンの世界でも「革新」が起ころうとしていた。

当時、蒸気航空機エンジンは世界中でも、かなり多く実験された。


だが蒸気飛行機(フルガン)は飛ぶことは出来なかった。

そこで欧米はガソリンエンジンの直列気筒を研究し出した。


1888年イタリアでジュリオ・ドゥーエが「星形配置」を考案。

軍用星形エンジンの研究・開発をすすめていた。


理屈としては理想形であった。

気筒の同期には気の遠くなるような精密加工が必要だ。


また高温高圧に耐えうる高度な冶金技術が必要だった。

幸いフランス帰りの冶金技術者が日本にはいる。


あとは天才的な設計技術者に巡り会えるかどうかだが・・・・・・。

1894年に矢頭(やず)良一(りょういち)が弱冠16歳でスタッフに加わる。


発明品の自動算盤(計算機)をカシャカシャ指で動かしている。

矢頭「私がイタリアに行って見てきましょう!」


矢頭研究員はニヤニヤして言った。

上原「調子のイイ奴だ、よかろうイタリア留学を許可する」


矢頭「そうこなくっちゃ!ヨーガス」

こうして単身八頭はイタリアに向かって旅立っていった。


その後イタリアに留学した矢頭から国際郵便が配達されてくる。

その中身は、手書きの設計図の分厚い束だった。


矢頭「とにかくこの図面の通りに部品を製作して欲しい」

矢頭「この部品の寸法公差はこれこれ、穴基準で加工はこれこれ」


次に送られてきたのは詳細な部品組立図と完成予想図だ。

矢頭「締め付けトルクはこれこれ、締結順序はこれこれ」


こうして据え置き型星形エンジンが完成してしまった。


いわばイタリアに設計本部、日本に生産技術と製造部門がある格好だ。

順調だったある日、とんでもない事が起こった。


矢頭良一から穿孔紙テープとリレー解読器が送られてきた。

矢頭「こういう装置を作って接続すること」


それは2x1mの平板に長い四角棒を渡してモーターを付けたものだ。


技官A「ぴーえむがたすてっぴんぐもーたーってなんだ?」

技官B「考えるな、感じるんだ!」

技官C「オレ、技術者向いてないかも」


その棒はX軸に沿って並行にモーターで動くようにする。


次に棒にY軸に沿ってモーターで動くヘッドを取り付ける。

ヘッドにはペンが取り付けられていた。


解読器に穿孔テープを通すとモーターが動く仕掛けだ。


カタカタッカタッ、解読器が動き始めた。

ウイウイッウイッ、ヘッドが動き始めた。


技官A「ひょんげえっ、うへええっい!」

技官B「あたま、おかしいだろっコレッ」

技官C「おうわああっ、りかいできねえ」


XYプロッタが図面を描き始めたのだった。

矢頭「度重なる図面変更を郵送で送るの面倒くさい」


「これからは電信で図面変更を送ります」

「そちらで穿孔テープに打ち直して作図して下さい」


なんと矢頭はイタリアから電信で図面を送ってきた。

完成間もない有線海底ケーブルを有効利用してだ。


上原勇作工兵監「矢頭研究員は天才を越えた超才だ」

「アイツは未来に生まれるべきだった・・・・・・」


誰もいない部屋で24時間XYプロッタは静かに図面を書き続けた。

迷信深い技官は祟りを恐れて、部屋には決して入ってこなかった。


この紙テープは磁気テープのない時代の記憶媒体だ。

これは今に始まった新しい概念ではない。


オルゴールは既に穴の開いた円盤通りに音楽を奏でている。

自動演奏機械だが、特に仰天する人がいるわけではない。


やがてこの紙テープは旋盤を自動で操るようになる。

NC(自動制御)旋盤の走りだが、それはもう少し先の話になる。


一方星形エンジンではトラブルが発生していた。


星形配置にしたことで下側になるシリンダに異常が発生したのだ。

重力の作用で、静置している間に油が溜まるのがわかった。


気筒間送油管を通ってオイル溜まりに戻る筈だった。

が、どうにも燃焼室に溜まるのだ。


これは整備時に点火プラグを抜くと、ドッとあふれ出る事があった。

生産技術科もこれには頭を抱えていた。


その為、毎日整備点検では必ず点検する様に作業指示書が出された。

エンジンの開発は1894年から10年間、日露戦争まで延々と続いた。


一方、東洋最大の風洞実験施設を完成した工廠。

ここでは実物大模型を用いた実験が始まっていた。


二宮設計技師が担当した翼の最適形状を探す実験は日夜続いた。

作っては壊し、作っては壊す日々が続いた。


1895年固定翼にフラップ(揚力増加翼片)を追加試験。

同じくスポイラー(揚力減少翼片)を追加試験。


1896年オットー・リリエンタール墜落死。

やはり鳥の飛び方を研究した貴重な研究者だった。


対気速度の低下による失速が原因だった。

まだ世界の航空機は暗中模索の段階だった。


1896年実物大飛行翼による、翼断面形状の最適化試験。

こうしてつぶれた実物大模型が敷地裏手に山になった。


これを海外の産業スパイが海外に報告した。

「日本の航空機開発実験、いまだ実用化ならず」


これは工廠が誤った情報を産業スパイに掴ませる欺瞞だった。

その裏では日本は知識を蓄積し、技術は格段に上がっていた。


その結果ついに航空機第1号が完成する。

1897年試作有人一号機完成す。


しかし動力は非力なためゴム動力で飛行に成功。

パイロットは二宮本人で、この時の飛行距離は10m。


1898年モノコック構造の胴体を試作。

1899年直列気筒による航空エンジン開発に成功。


この時のガソリン内燃機関エンジンの出力は4気筒16馬力。

このエンジンを得て、ようやく動力飛行に光明が見えてきた。


この時まだ星形エンジンは実用化が成っていなかった。

星形エンジンは気筒の同期が難しい。


クランクシャフトの精密加工にまだ難があった。

振動が激しく、飛行機が分解する恐れがあった。


だが直列エンジンでも飛行機は飛べる。

1900年ついに航空機「玉虫」は初飛行に成功する。


実験は瀬戸内海の無人島で極秘裏に行われた。

航空機開発は陸軍の最高軍事機密であったからだ。


飛行は乾版写真機の露出に悪い夕方の時間に行われた。

スパイがもし写真を撮っても、露出が足りなくて何も映らない。


飛行機はふわりと空中に舞い上がり、旋回を繰り返した。

二宮は自分の飛行機が空を舞うのを見てどんな気持ちだったろうか?


1901年双発爆撃機の開発開始。

飛行距離も大幅に伸び、渡洋試験も開始された。


1903年ライト兄弟が有人動力飛行に成功。

二宮「世界初はキミらにくれてやるよ」


1903年ノルウェーのギディアス・エリングがジェットエンジンを開発。

二宮「信じられん、オレらはまだプロペラだぞ」


だが耐熱合金やタービンの熱膨張亀裂が克服出来ていない。

実用化は出来ず、試作実験機が出来ただけだった。


二宮「斬新過ぎる、やるならプロペラ翼端子翼だろ」

翼端子翼は3∼6%の燃費節減が見込めると実験結果がでていた。


1904年、10年間のエンジン研究と改良でエンジンは実用化した。

その出力は空冷星型9気筒110馬力に達していた。


アメリカで5気筒52馬力のエンジンが1901年に開発されている。

マンリー・バルザーエンジンという空冷星形エンジンだ。


無人飛行には成功したが、有人は2回とも失敗に終わった。

日本はギリギリのところでアドバンテージを有していたのだ。


エンジン切削加工の専用工作機械も開発され、治具も準備万端だ。

専用機械により、量産における品質管理も安定しつつあった。


なお最高軍事機密のため、世界はまだ日本航空機の存在を知らない。

次回は1892年戦車です。

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