1842年高橋秋帆001
アヘン戦争の戦勝国英国は日本に攻め寄せてこなかった。清国はロシアとの国境争いにも力を注がねばならなかった。17世紀当時からロシアと清国の間に国境は無かったからだ。ただアムール川沿いに散発的に戦闘が行われていた。高橋秋帆はこのロシアが日本にとって危険な存在になりうると見込んでいた。
三傑は漏れ伝えられてくる海外の一大事について論じていた。
それを高橋秋帆はただじっと目を閉じて聞き入っている。
アーク灯の行灯は微かなジジッというノイズを立てている。
高島と門下の三龍は椅子に座り、机に向かっていた。
下曽根「アヘン戦争で清が英国に敗北したようだ」
江川「西洋諸国の軍事力は圧倒的に優勢だ」
村上「この次はこの日本だ!」
英国は日本に攻め入る事が出来るだろう。
だが日本が英国に攻め入る事は出来ない。
渡洋に耐える帆船は輸入すれば手に入るだろう。
だがそれを操る技術も能力も日本人にはなかった。
英国にどのように行けばいいかさえ分からなかった。
英国人は400年も前から植民地を開拓してきた。
アフリカ、アラビア、インド、東南アジアなどだ。
寄港地を整備し、通商既得権を取得してきた。
何処の寄港地にも補給修理が可能な工廠がある。
西洋と日本では経験値の差は圧倒的にひらいていた。
高島「うろたえるな」
三龍の会話を静かに聞いていた高島が口を開いた。
高島「鎖国による250年分の流通と技術差を取り戻すのは容易ではない」
「当面の問題は巨大帝国ロシアの脅威だ」
三龍「ロシアですか?」
高島「そうだ!ロシアだ」
下曽根「清国を撃破した英国なのでは?」
高島「英国は日本には攻めてこないよ」
高島「戦勝国がやる事は、まず敗戦国との外交だ」
「それを放っておいて、他国に攻め寄せる事はない」
英国は通商と領地を求めて、清国に進出してきた。
アヘン戦争により戦勝国となった英国は不平等条約を結ぶ。
広東や福建での海関の開設、自由貿易制。
これらは開戦前に英国が要求していた項目による要求だ。
これに賠償金、香港島の譲渡が戦勝要求に加えられていた。
敗戦のスキに欧米は我も我もと通商条約を結んだ。
米国との望厦条約、フランスの黄埔条約も便乗している。
清国はやむなくこれらの不平等を呑んでいる。
高島「これらの始末にしばらく掛かるから日本とは友好になるよ」
日本と英国が開戦すれば、清国は英国を追い出しに掛かるだろう。
その際、日本は英国軍艦隊の背後にいる事になる。
今、英国が日本と開戦になるのはまずかった。
下曽根「なるほど、挟撃にならないようにするワケですね」
高橋「極東で二国を相手にするほど、英国の兵站は分厚くない」
高島は世界地図の分冊を広げ、清国の黒竜江(アムール川)を指さした。
高島「ロシアと清国は17世紀から攻防を続けている」
そこには明確な国境はまだなかった。
アムール川を境に押し合いへし合いが長く続いていた。
高島「1639年グアラルの戦いから1640年ヤクサの戦い」
「1643年にまず清国が先住民に勝ち、この地を征した」
高島「だがロシアの東進はオホーツクで、ついに太平洋に接した」
「このあと川をさかのぼり、かの地にも迫ったのだ」
高島「1643年ヴァシーリー・ポヤルコフが探検に来た」
「1649年エロフェイ・ハバロフも探検に来た」
高島「その目的は略奪と征服で、清国軍は軍隊で対峙した」
「ロシアの探検隊は、この時は退却している」
高島「1654年には清朝-朝鮮連合軍がロシア軍と戦った」
「この時も追い出す事に成功した」
「その後は清国は南方の三藩の乱(1673-1681年)の鎮圧に忙しかった」
「その間にジャクサ(JAXA)州がアルバジンの砦を首都として勃興する」
高島「1687年アルバジン戦役でようやく清国はロシアを全部追い出した」
国境を、アムール川とスタノヴォイ山脈にラインを決め、国境を定めた」
「これがネルチンスク条約である」
三傑はけげんな顔つきで先生をながめた。
何を言っているのかが分からず、理解が及ばない。
高橋は白地図を指さしながら、説明を終わった。
「1727年のキャフタ条約で国境が確定し、露清貿易が始まったのだ」
下曽根「ううむ、わからん、何がなんだか」
高島「知らない土地での知らない出来事だからな」
江川「この広大で過酷なシベリアの荒野をどうやって?」
高島「15世紀からボルガ川、16世紀からオビ川、そして17世紀アムール川」
「これらの河川交通を400年に渡って整備してきたからでもある」
村上「コサックはあまりに残虐で、原住民から『羅刹』と呼ばれたらしい」
高島「1735年発行のパリ大学所蔵の本からか。さすが、よく調べてあるね」
高島「ロシアの物流インフラの要は河川交通だ」
高島はシベリア白地図に河川交通を書き込んだ物を出してきた。
次回は1842年高橋秋帆002です。