表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日露大戦  作者: 登録情報はありません
14/67

1877年トルコと桂小五郎001

国家破産寸前のトルコを救ったのは英国投資家ジェイコブ・H・シフであった。16世紀から戦勝国にも敗戦国にも投資しているユダヤ人投資家の類いである。戦死者の数を数えながら札束をめくると嫌われていた。

トルコはさらに金融商品も扱うようになった。

トルコ・リラ建て即発債劵(高利回り)の発行だ。


名目は自由市場経済の発展の支援である。

だが目的は現金(資金)の調達であった。


今までスルタンは自国民に重税を課して、資金を調達して来た。

それにより国は痩せ細り、「瀕死の病人」と呼ばれるに至った。


だから外貨で稼ぎ、外国資産で蓄えるようにしようというのだ。

実際トルコは当時、不良債権まみれの国だった。


誰もそんな国の債券を買うはずがない。

だがトルコが今、やっている事、その将来性、期待値は当初と違う。


これは戦時国債とリスクは同じなのだ。

パシャ「誰も債券を買ってくれない、当たり前か・・・・・・」


桂「英国のシフ卿を頼りなさい」

英国のジェイコブ・H・シフはユダヤ人投資家だ。


シフ卿は言った「ロシアと拮抗するなら、請け負ってもいい」

当時ロシアは反ユダヤ人主義を掲げていた。


シフ卿はスルタンの宮殿にまで出向いて問うた

「汝に問う、ロシアと一戦交える覚悟があるか?」


ロシアを躊躇させ追い払う役目をトルコに問うたのだ。

ユダヤ系銀行の資金力は桁違いである。


アブデュル=ハミト2世「必ずロシアを追い払います」

ロシアはトルコの宿敵なのだった。


露土戦争は16世紀から延々10回に及び戦い続けていた。

クリミア戦争はつい20年前の事である。


シフ卿は多くのユダヤ系銀行、JPモルガンなどに協調を求めた。

なぜか多くの資本家が投資に合意した。


パシャ「なんか都合が良すぎるが上手く行ったからヨシッとしよう」

こうしてトルコは資金繰りに成功したのだった。


シフ卿の動きはもちろん英国の差し金だった。

だが彼は、トルコより日本人の動向に興味を持った。


赤の他人のトルコに必死になって尽力する日本人。

謙虚であるが軟弱とは違う強堅な意志を感じる。


信頼と責任は投資の対象に絶対に必要な資質である。

シス卿は日本人にそれを感じたのだ。


JPモルガン「ふむ、なかなかいいようだな」

ロスチャイルド「ほう、金のガチョウですかな」

シフ卿「おいおい」


財政のめどが付き、国家破産の危機を脱したトルコ。

桂「ブルガリア支配を緩めて、対立を緩和して下さい」


桂「強者たるトルコが弱者のブルガリアに恩恵を与えるのです」

アブデュル=ハミト2世「やってみよう、ダメなら撤回するぞ」


トルコは押さえつけていたブルガリア支配の頸木をゆるめた。

1876年やはりブルガリアの四月蜂起は起きた。

が、大暴動には至らなかった。


朝貢国と宗主国の関係を自ら断ち切った格好である。

これにはブルガリアの方が唖然としていた。


だが日本人の仕業だと聞いて納得した。

革命家ベンコフスキーを拉致した日本人。

指導者パナヨヴォロフを論破した日本人。


ブルガリア人A「日本人ならやりかねない」

ブルガリア人B「日本人ならまかせられる」

ブルガリア人C「日本人なら大丈夫だろう」


トルコ不正規兵もタタール人も続々と引き上げていく。

貧困蔓延るブルガリアから巻き上げるものはもう何も無かった。


トルコが立て直しに成功した為、自国で働いた方が儲かるのだ。

ブルガリア人もトルコに出稼ぎに出る者が現れる始末だった。


ブルガリア人A「やめろ!敵はトルコだぞ」

ブルガリア人B「争いは終わった、これからは経済だ」

ブルガリア人C「背に腹は代えられん」


革命派も経済を出されるとばつが悪かった。

「帝政の打倒と人民の自由をだな・・・・・・」


「打倒と自由でメシは食えんぞ」


今度はトルコが唖然とする番だった。

「今までどんなに締め付けても、働いてくれなかったのに」


トルコの軍隊組織の近代化も急務であった。

1826年、マフムト2世が腐敗と横暴のイエニチェリ(旧徴兵制)を廃止。


まず混成一体だった軍組織を正規軍、予備軍、補助軍などに分類した。

次に士官養成の為の陸軍士官学校、軍医学校を設立した。


さらに正規軍地方軍組織の設立、兵士の人員補充も制度が出来上がった。

連隊の構成、将校の構成も、紆余曲折の末に次第に形になっていった。


歩兵大隊、偵察大隊、砲兵連隊、工兵連隊などの陸軍組織。

白海(地中海)連隊、黒海連隊などの海軍組織だ。


だが命令系統はまだ旧態依然とした所があり、現場はかなり混乱した。


スルタン直属の400人余の武官が所属する新しい直接の命令系統。

全軍指揮権を持つ大宰相の下に陸軍大臣と総参謀長がいる旧命令系統。


この新旧の2種類の命令系統の整理に法令が出された。

階級を整理し、退役年齢を決め、軍を政治の場から離す効果があった。


同時に兵器の近代化も大きな問題であった。

兵器は全て輸入品であり、欧州の技術者の完全な委託(アウトソーイング)だった。


操作はトルコ兵だが、整備・点検・修理は外国人しか出来ない。

その技術者が去れば、最新兵器も野ざらしである。


アブデュル=ハミト2世「これではいけない」

パシャ「日本の明治維新に学ぶとよろしいでしょう」


トスヤリ「私がやってみましょう」

トスヤリというストーブ職人が名乗りを上げた。


職人と言っても手工業の鍛冶屋で既製品の修理程度だった。

だが彼には先見の明と旺盛な知識への探求欲があったようだ。


1876年日本からの技術供与始まる。

フランスの製鉄所に留学していた技官達が応援に来た。


日本人技官「我々だって何も知らない極東の島の原住民だった」

「我々に出来て、あなた方が出来ない道理はありません!」


この言葉にトルコ人たちはどんなに勇気づけられただろう。

トスヤリは3人の兄弟とともにワークショップを立ち上げた。


高炉と製鉄所は日本人技官が建築し、トルコ人は実習で学ぶ。

製鉄所、流通拠点、切削工場の3つの工場が竣工した。


1877年トルコ国産旋盤、形削り盤完成。

新規に竣工した3つの工場に各々1000人の職人が集まってきた。


桂小五郎「うぐうっ」

病弱だった桂は突然頭痛を訴えて昏倒した。


激務が病弱な彼の身体を蝕んでいたのだろうか・・・・・・。

とうとう意識が戻らぬまま、重篤に陥ってしまった。


パシャ宰相「ああ、これからという時に!」

「日本のおかげでここまで来られたこの時に!」

1877年桂小五郎死去。

死因は不慮の奇病だという。


パシャ宰相「必ずトルコの富国強兵を成し遂げます」

トスヤリ「稼働している製鉄所を見せて上げたかった」


1878年カラビュックに国産製鉄所が稼働開始。

ねずみ鋳鉄、ダグタイル鋳鉄から製造を始める。


これは鋼などより溶解温度が低く鋳造しやすい。

延性に富み、水道管などに用いられる。


1879年軍事工場総局発足。

トスヤリは野に下り、局長にはならなかった。


1880年国産28糎榴弾砲生産開始。


この28糎榴弾砲はイタリア式28cm榴弾砲を日本がコピーしたもの。

それをさらにトルコが再コピーしたものが国産28糎榴弾砲である。


これが嚆矢となり、国産兵器が次々と誕生する事となった。


野に下ったトスヤリは「トスヤリホールディングス」を立ち上げる。

これが後に三大陸に25の製造拠点を持つ鉄鋼業界の巨人になるのだ。


ますます国力と軍事力を増大させるトルコ。

ロシアの南進は急ブレーキを踏んだ格好だ。


英国「ヨシッ」

外交とは、自国の理へ他国に気付かれずに従わせていく誘導だ。


一滴の血も流れない。

一発の弾丸も放たれない。


英国の外交は、戦う前に勝っている「頭脳の戦い」なのだ。

だが日本の外交はそれ以上に「長い手」を持っていた。


やがてそれは日露戦争が終わってから、全世界が知ることになる。

次回は1878年清国弱体化すです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ