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日露大戦  作者: 登録情報はありません
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1871年フランス中部クルーゾー製鉄所001

「居ても立っても居られない」とはこの事だった。

業を煮やした岩倉使節団は、日本の農商務省に連絡をとる。


新進の農商務省技術団をかの地に派遣することにした。

1871年、日本から欧州の外洋船が一路フランスを目指して出航した。


日本郵船は上海やムンバイへの外洋航路にすでに13隻の船隊を有していた。

だが欧米海運会社の既得権問題にからみ、なかなか寄港地を得られない。


日本郵船の外洋船はまだ欧州定期航路を持てなかった。

しかたなく技師団は欧州の外洋船の船客となったのだった。


こうして航海する事10ヶ月、地中海マルセイユ港に投錨。

彼らはフランスの地を踏みしめていた。


さっそくフランス中部ソーヌエロアール県クルーゾー (Le Creusot)に向かう。

やがて彼方に巨大な鉄鋼業都市が見えてきた・・・。


農商務省技師「大きい街ですなあ」

フランス人「これが全てシュナイダー工場です」


日本人技師はあっけにとられた。

都市ではなく、それは工場だったのだ。


製鉄所は鉄を取り出す高炉から半製品のビレット製造までを行う銑鋼一貫製鉄所であった。

1つの敷地内に製銑、製鋼、鋳造、圧延と工場が一列に並び、その長さは1kmにも及ぶ。


そこで彼らが見たモノは大規模量産体制の品質管理の技術だった。

日本人は品質管理を知らないというか気に掛けていなかった。


ズラリと並んだ窯で石炭を蒸し焼きにしてコークスにする体制。

専用貨車とベルトコンベアーによる搬入方式。


執拗なまでの熱管理システムとその恒常性の徹底。

蒸気式100tハンマーピストン鍛造機の威容。


呆れるほどでかい多段圧延機の機構の複雑さ。

日本人技師「なるほど、見に来いと言うわけだ・・・・・・」


圧倒される日本人技術者たち・・・・・・。

それを見守るフランス人技術者の顔に侮蔑の色が浮かんでいた。


それからの4年間は日本人技術者は身を粉にして働き続けた。

持ち前の実直さと手の器用さは、やがて周囲も認めるところとなった。


高炉を修繕して耐火レンガを交換する作業は手間が掛かり、誰もが嫌がる。

だが日本人はすすんでその仕事を引き受け、しかも的確に行った。


「ここのレンガが溶融しています」「劣化が見られます」「交換しましょう」

日本人が修繕した高炉は新品同様によみがえった。


こうなると「修繕は日本人にまかせよう」といった風潮になる。

コンベアのローラー交換、ホッパーの修理と日本人は走り回った。


この修理の際にちょっとした部品の改造も手掛けた。

フランス技師「効率が悪いんだが・・・・・・」


日本技師「ああそれはですね・・・・・・」

ちょっとした工夫や改善を器用にこなすのだった。


これは現在の日本人技師にも見られる利点だ。

実直で誠実、勤勉な日本人の特質である。


そして改善、改良、さらには改造だ。

日本人は実は「魔改造」の天才だったのだ。

こうして4年間はあっという間に過ぎていった。

フランス人技師「もう教える事はなにもない」


日本人「ありがとうございます」

フランス人技師「胸を張って帰国しなさい」


時に1875年。

日露戦争(1904)まであと30年であった。

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