19.お父様、さぁ正直に吐くのです。
「……」
「……」
見つめ合う目と目。
自室に比べれば広いとは言え、男女二人だけの密室空間で、私は一人の男性に熱い視線を送り続ける。
男性も私の瞳に込めた熱い思いと眼差しを受け、その瞳を揺らしながら、やがて……目を逸らしやがりました。
「お父様、いい加減に此処の収支が合わない件と、不自然な出費の件を説明をしてください」
「いや、そのそこは黙って処理してくれれば」
「駄目です」
「ミレニアは黙ってしてくれたぞ」
「お姉様はお姉様です」
「あのなぁユゥーリィ、領地の経営には杓子定規と言う訳には」
「ええ、そこは考慮します。
ですから御説明を」
ミレニアお姉様が他領であるグットウィル家に嫁入りするにあたり、お姉様がしていた仕事の一部を私が引き継ぐ事になった。
一応は身体が弱い事になっている私は、家で出来る仕事で在る事の他に、計算もマリヤお姉様より早いため、当シンフェリア家が関わるの帳簿の監査と言うか確認を任された訳だけど。
なんと言うか、ある意味この世界観に合ったやり方。
そして前世では研究職だったとはいえ、それなりに社会人として経験している私からみたら、かなり非効率な帳簿の付け方。
こんな帳簿の付け方でやってられるかーっ!
と叫び出したくなる気持ちを必死に抑え、なんとかこの時代の帳簿の付け方を解読しながら帳簿の内容を確認していたのだけど、……うん、不自然な支出がいくつか発見。
確認のためと言って、ここ数ヶ月、果てはその月周辺の此処数年分を確認し、季節的な支出ではなく、かと言って、それらしい名目ではあったけどその名目にしても、金額からしたら不自然だ。
しかも、此処数年分をいきなり半月前に処理されている。
似たような不自然な支出は、数年前のある時期にまとめてある事も発見。
「説明を聞いたら納得しますので、どうか御説明を。
それとも詳しい事は何も知らずで、まさか右から左に流すようにこの支出を認められたとか言いませんよね?」
「ミレニアの時には気が付かなかったのに」
小さく、ぼそっと溢すお父様の言葉に私はキレそうになる。
引き継ぎのどさくさに紛れて処理しようとした事が、発覚しているから問い詰めていると言うのに。
しかもミレニアお姉様が引き継いだ時にも、それらしい痕跡が見つかっている。
それが一番腹が立つ。
「そうですか、お父様が説明できないと言うのであれば、過去に似たような案件で、その時の帳簿管理者の方に聞いてきます。
これが如何に不自然な支出なのかを説明し、これを黙って処理した意図を。
まさか嫁入り前の方に、そのような辛い思いをさせる訳にはいかないと黙っておりましたが仕方ないですね。
私としては、最悪これが表沙汰になれば、その方のお名に傷つくかも知れない危険を犯したくないのですが」
無論、以前の帳簿の最終管理者はミレニアお姉様。
そしてそんな事をお父様も望む訳ないと分かっての芝居です。
ええ芝居です、そんな真似はしません。
無論、そんな事はお父様も分かっています。
ですがこれは駆け引き。
私がお姉様で止めるのか、それとも、その先に行ってしまっていいのか。
「……はぁ。
ユゥーリィは儂にとって天使だが、今日ばかりは鬼の監察官に見える」
「帳簿の監査ですから、何を当たり前の事を」
「分かった、分かった。
正直に言うから黙って通してくれ。
先に言っておくが、儂とて可愛い娘にこう言う話を聞かせたくないからこそ、黙っていただけだ」
そうしてお父様が話してくれたのは、まぁ想定内の事。
鉱夫の方達の、男性の方特定のお店による慰安とか。
シンフェリア家が経営する商会に勤める、ごく一部の人間が起こした男女間の不祥事を処理するためだとか。
商会員の身内が大怪我した時に出した治療費など。
まぁ確かに表の帳簿には載せれない内容ばかりだし、娘の私やミレニアお姉様には言いにくい内容には違いない。……違いないけど。
「なら、最初からそう言ってください。
お父様が口を閉ざしていた理由も分かりましたし、処理はします。
ただし別に帳簿を作り、そこには正直な内容を、表の帳簿上にはそれに近い、表の名簿に載せれる名目で処理してください。
無論、書類に記号や番号を振り、裏帳簿で整合性を取れるように。
そうですね、殿方専門のお店に行かれたのは、鉱山員慰労会費用等のそれらしい名目で。
此方の不祥事の件は、仕事中の怪我の和解金としましょう。
こう言っては何ですが、男女の怪我には違いありませんので。
商会員の身内の方の怪我は、現状では完全に駄目ですが、怪我した時期、一時的雇用員として雇用していた書類を作っておいてください。
今回はそれで通します」
「……そ、それでいいのか?」
「そうでなければ、本当に国の監査が入った時には誤魔化しきれません。
まぁ、まずこんな田舎まで来ないと思いますが、万が一にも来た時に、言い訳もできない状態では危険です」
本当、よくこんなので、今までやってきたのかと思うくらいだ。
まぁやってこれたから、こんな状態なのだろうけど。
「あと、きちんと予算立てと規則を作りましょう。
殿方専門のお店には色々と思う事はありますが、そう言うのも必要だとは理解できますから、商会や鉱山で従業員の慰労を目的とした慰安費用として。
和解金の件に関しては男女の問題だけでなく、何か問題が起きた時のために問題処理対策費として。
あと、我が家や商会の関係者の身内の怪我や病気に関しては、従業員福祉費用として各予算を決め、従業員が怪我をしたり亡くなった時は、見舞金もそこから出します」
お父様が、私の言葉に渋い顔をする。
言いたい事は分かる。
そう言う予算を作ると言う事は、商会としての利益が減ると言う事。
だけど利益重視では人は動かない。
無論、甘やかしすぎても人は動かなくなる。
だから……。
「ですのである程度、働いてくれている方にはそう言う予算の事を開示します。
同時に適用規程や用途毎の金額もです。
働く側からしたら、自分や家族が何かあった時、規程に則って助けてくれると言う保証があれば安心して働けるし、家族からしたら良い職場だと安心感が生まれます。
つまり多少の不満は、その保証がある事で黙らせられます。
お父様、想像してみてください。
病気や怪我で苦しむ子供。
その治療費を職場が一部を支払ってくれた、または貸して戴いたおかげで助かった。
その場合、その親や家族はその職場にどう思いますか?
恩を返そうと必死になるんではないでしょうか?
または絶対裏切ってはならない、と思うんではないでしょうか?
家族は旦那さんが疲れて帰ってきた時も、励まし力になろうとするのではないでしょうか?
無論、これらは理想論です」
私の言葉に考え込むお父様。
病弱な娘を持つお父様だからこそ実感する言葉。
だけど、これだけで納得するような人間ならば、領主たる器ではない。
「ちなみに慰安費予算にしろ問題解決費予算にしろ使う時は使いますし、使わなければそのまま次の年に回せます。
要は帳簿上は今までと大差はないけれど、労働者側からしたら、温情があり義理堅い良い雇用主だと思わせる事ができます。
しかも一度恩を売れば、裏切り難くなると言う紐付きになりますし、万が一にも国からの監査が入った場合、苦しくとも説明がつきます。
それと医療費の件ですが、あくまで規定以内の病気や怪我の場合のみで、それ以外は一切出す必要はないですね。
あと請求は教会経由でのみとすれば、不正請求も多少は防げるでしょう」
「うむ、良い案だな。
此方で再度検討してみよう」
ニヤリと笑うお父様に、私も笑みを浮かべる。
何かを変えると言う事は、慈善ではなく自分達に利があるからこそ意味がある。
慈善なんてものはあくまで建前であり、ついでにできれば良いだけの事で、もし慈善が目的であれば、それは慈善によって名前や社会的信用が上がる事が本当の目的だからだ。
個人ならともかく、事業で何の裏もない慈善なんて物はあり得ない。
何らかの形で利益をあげてこその事業なのだから。
たとえ、それが当人にしか理解できない利だとしても。
「それにしても、ユゥーリィは本当に色々とよく知っているな。
それも書物からの知識なのか」
「そうですね。
本だけではなく神父様等のお話とかもありますが、多くの本を読んでいると、色々と見えてくる事があります。
今回のも一つの本ではなく、色々な方の知恵や考え方が詰まった本を読んでいる内に判った事です」
一応は本当の事。
ただし前世での世界の経験や本も含まれていると言うだけでね。
とりあえず、今後の対策に関してはこれで良いと思う。
下準備はしたので、あとはお父様達が決めて行く事だから。
問題は……。
「今回の問題処理対策費用の対象となった、男性の方の事なのですが」
「無論、異動処分済みだ。
掛かった費用の一部は月々の給与から天引きだが、ヤケになられても処分に困るから、一応、夢だけは見させてある。
夢で終わるだろうがな。
まったく、責任を取れもしないのに取引先の娘に手を出すなど、表沙汰になったらどれだけの損失を被った事やら」
ちなみに飼い殺しは先方からの要望だそうだ。
本当は殺したいところを我慢して、一定期間の値下げと和解金と飼い殺しで手を打ってくださったそうだ。
無論、その程度で済んだと言う事は、先方の娘さんにもそれなりに問題があり、現在も一族の監視の下で四六時中、淑女教育を一からやり直し中との事。
淑女教育にはお気の毒と思うけど、自業自得だろう。
後は、こっちが本命で……。
「ところでお父様、殿方専門のお店などですが、お父様は」
「儂は酒を飲む店までだ!
ユゥーリィが言いたい事は分かるが、この際に言っておく。
儂に妻を裏切る度胸はないっ!」
ここまで胸を張って断言するお父様は、正直、格好良いと思うけど。
「……言っている事が情けない気がするのは、私の気のせいでしょうか?」
「……儂もそう思う。
だがなユゥーリィ、お前も将来のために言っておくが、男の『お前を一番愛しているから、浮気などするはずがない』は信用してはいかんぞ。
そこに『ただ君が最近冷たいから、つい余所見をしちゃっただけなんだ』とか、『君を一番愛している事を再確認できた』とか、もう白々しいほど出てくるものだからな」
なにか前世でも聞いた事のあるフレーズが、お父様の口から出てくる度に、コメカミが痛くなるのと同時に、何となく納得できてしまう自分に呆れてしまう。
「ちなみにお姉様には?」
「流石に言いはしてないが、意味はないな。
どうせ今頃、妻がミレニアに色々と教授しているだろうからな。
主に夫を裏切らせないためのコツとかをな」
「……あのう、一つお聞きしたいのですが」
「できれば思い出したくはない故に、今後聞いてくれるな。
あと、急がずとも、その時がくれば何れ教わる事になるから、その時まで待つがいい」
非常に気になるけど、お父様のどこか遠い目を見たら、これ以上聞くのは申し訳ないと思い追求する事は諦めた。
ただ、私がお母様にそれを学ぶ事は永遠にないだろうとだけ、心の中でお父様に告げる。
2020/03/06 誤字脱字修正




