1008.とある小子爵の旅行記、その壱。
【グラード・ウル・グットウィル小子爵】視点:
妻から旅行に行かないかとお誘いがあった。
以前のように軍規に縛られていないため、休暇など取り放題だ。
「アナタっ!」
少し冗談を口にしただけなのに、仕事を忘れるなと怒られた。
確かに休暇など、ある程度自分の裁量で自由に取れるが、休めば休むほど仕事が溜まる事である事には変わらない。
ただ、今の時期は冬。
仕事がない訳ではないが、纏めて休みを取れないほど忙しい訳ではない。
そう言う時期だからこそ、妻も旅行に行かないかと誘ったのだと思うが、何時如何なる時でも、領民の生活は領主の一族の肩に掛かっている事を忘れない辺り、妻はしっかり者だ。
妻曰く、親を見ていたら自然とそうなったとの事。
「旅行と行っても妹の所ですので、然程準備は必要はないんです」
「……ぁぁ、そう言う事か」
「なにか御不満でも?」
「いえいえ、美しい君のお誘いに不満などある訳がない」
正直、旅行先が妻の家族のところと言うのは、少しばかしガッカリではあるが、そんな事を馬鹿正直には言える訳がない。
「今回は子供達も連れて行ける様ですから、きっと楽しい旅行になると思うの」
「そうだね」
ちっ、妻と二人っきりの旅行ではないのか。
おっと、妻が疑いの視線を向けてきているので、笑顔笑顔。
妻との蜜月の旅行でない事は残念ではあるが、子供達との旅行が嫌で在る訳もなく、それはそれで楽しみである事には違いない。
うむ、嘘は言っていない。
「それなら、いっそのこと父上達も誘ったらどうだね?」
妻と二人っきりでないのであれば、父上と母上が増えたところで然程変わらない。
それならば家族旅行として楽しんだ方が良い。
妻の妹の所なら屋敷はそれなりに広かったから、多少家人を連れて行ったところで、それほど迷惑にはならないだろうし、使用人を連れて行くのであれば、向こうの手間を減らす事にも繋がる。
そう妻に提案してみたのだが……。
「お義父様達には既にお断りされてしまったの。
私達と子供達が家を空けるのであれば、新婚気分を味わえる貴重な機会だって」
「あ、相変わらず仲が良いなぁ……」
「羨ましいわ」
断るにしても、もう少し真面な良い訳が在ると思うが……、そこは父上だからな。
まさか、今更、新たに弟や妹が増えるなんて事態は起きないと信じてはいるが……、そこはやはり父上だからとも思ってしまう。
有り得ないなんて事が有り得ないところが、実に父上らしいところでもあるからだ。
おまけに髪を取り戻して以降、若さまで取り戻したかの様に元気と来ている。
それはそうと、私より先に父上達に話を持っていったのかと尋ねたところ……。
「お義父様は将来の当主であるアナタを、次期領主として立てるように色々と気を使って下さっているのよ。
そのアナタを個人的な用件で家を空けさせるのだから、前もって話しを通しておくのは当然の事だと思ったのだけど、いけなかったかしら?」
「いや、そんな事はない。
確かに君の気の配り様は、父上達にとっても私にとっても好ましいものさ」
うん、くだらぬ嫉妬は妻に対して失礼だな。
更に妻の話によると、今回の旅行も十日ほどを予定しているとの事。
私の都合が悪ければ、五日ほどに縮めても良いと言ってはいるが、妹想いの妻の気が済むまで付き合うさと口にしておく。
妻の妹ともなれば、私にとっても義妹だ。
まぁ……義妹は辺境伯爵家当主と、私よりも立場が遙かに上ではあるのだが、義妹はそんな事は気にしないで欲しいと言っているので、その言葉に甘えさせて貰っている。
只、幾ら力がある魔導士だと言っても、国の端と端でさえ魔法で簡単に移動してしまえる事に、いまだに信じられない思いではあるが、別の大陸に国の使者を送った事により、各国の王が揃う諸国王会議を開いた話の後では信じるしかない。
そんな義妹の送迎があるとなれば、移動時間はないに等しい。
本来は旅行ともなれば、馬車での移動で何日も費やす事になる為、貴族の旅行としては十日間はかなり短い方だとさえ言える日数も、十分な旅行期間だと言えよう。
「そう言えば思ったのだが、妹さんの所となれば、今回も途中の町や村に金を落として行く事が出来ないな」
「そこは私も気にしたけど、あの子の住む場所を考えたら仕方ない事よ。
そもそも旅行に出掛けた事さえ言わなければ、留守にしている日数的に判らない事でもあるし」
貴族の旅行や移動にはお金が掛かる。
その理由の一つが、途中で立ち寄る町や村でお金を落とす事で、貴族の懐に貯まった富を民へ還元する目的があるからだ。
無論、身の丈に合う程度の金額でしかないが、それでも貴族の旅行や移動は自領・他領に関係なく民にとって天からの恵みとなり、その地の経済を回す一助となる。
そういう意味では、義妹は移動が多いのに民へ還元していない、と言う事になるが……。
「ですので、その分はお義父様達が出掛ける事が多くなりましたから、なんとでもなると思うわ」
「髪の問題が無くなったなら、そう出掛ける事も……そう言えば新たな商売の話があったな」
また父上かと思うが仕方がない。
新婚当時から私は不在であった事が多く……と言うか屋敷にいた事が少なく、父上や母上が寂しがる妻を支え、守ってきたのだからな。
歳を取っているだけあって経験も豊富だし、家を留守にばかりしていた私より頼りになるのは、認めたくないが認めざるを得ないところだ。
なに、これからだ。
これからゆっくりと時間を掛けて、妻との間に確かな信頼関係を築いてみせるさ。
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「……アナタ、準備はそれだけですか?」
「うん、そうだが?」
「はぁ……」
いや、そこで徐ろに溜息を吐かれると傷付くのだが……。
妻はそんな事だろうと思いましたと口にしながら、私の部屋の奥から次々と服や装飾品や小物を取り出し、一緒に来ていた女中のカテジナと共に、ああでもない、こうでもないと互いに口にしながら荷造りをして行く。
「前回の時を参考に用意したのだが、準備が足りなかったかね?」
「ええ、まったくもって。
今回は以前の屋敷ではなく、港街の方に作った別邸の方に招かれている、とお話ししたと思いますが」
確かにそう聞いたな、と妻に頷き返す。
妻の妹の屋敷には以前にも訪問した事があり、彼女は落ち着いたゆったりとした雰囲気を好む人物だと思っているし、妻や父上からの話からでもそう判断している。
それならばあまり仰々しく行くのも、向こうが嫌がるのではないかと思っていたのだが、どうやら妻の意見は違うようだ。
「噂をお聞きになっていないのですか?」
「ん? どんなだね?」
「春にその別邸のお披露目を兼ねて、あの子の子供の顔見せもした噂です」
それなら少しだけ聞いている。
夫も迎えずに子供を産んだと言う事には思うところが在るが、王家主催の催しで陛下自ら演説の中でその子供を認めるという旨の発言をした話は、社交界で一時物議を醸したほどだ。
もっともその話も、魔物の繁殖と言う衝撃的な話の前には霞む程度ではあったが、魔物の繁殖と共に国中の貴族に広まっているのは確か。
そしてその噂が落ち着く間もない頃、義妹さんの別邸のお披露目と共に、無事に子供が生まれた報告がなされたともな。
我が家にも陛下自ら認められた手紙を送られたほどで、父上から義妹の子供に関して不用意な言動を控えるようにと厳命をされている。
「長年軍務にお付きになっていたのですから理解しておりますが、もう少し周囲の話に意識を向けて戴くようにお願い致します。
恐れ多くも当家に届けられた国王陛下直筆のお手紙には、母親に似た姿を輝やかんばかりの生誕記念樹の下で健やかに眠る姿を息子と共に確認した、と書かれていたとお義父様はお話しされていましたわよね」
ああ、そうだな、確かにそう手紙にあったと聞いているし、手紙も拝見させて戴いたので覚えている。
「それとお披露目に関して社交界に流れている噂とのその内容。
なによりその噂の元が、どの家から発せられているものか、お考えになられた事は?」
ん……?
そこまで妻に言われて、あらためて耳にした噂を思い返してみる。……見るのだが、様々な噂が駆け巡る度に内容が集積し、そこから見える噂の本質がより明確になってゆき……。
「ああ……、ミレニア、私が間違っていた。
そしてそれを気が付かせてくれた君には、感謝の言葉と想いで私の胸は一杯だ」
「分かって戴けて良かったわ。
私は貴方に恥を掻いて欲しくないだけなのよ。
ましてや今回の旅行は、子供達が初めて領地の外を出ての旅行でもあるのよ。
あの子達に父親である貴方が頼りになって、格好いいと思える姿を見せてあげて欲しいの」
そうだ、よくよく考えたら、手紙の内容から察するに国王陛下夫妻と王太子殿下夫妻が、別邸のお披露目会に出席したと言う事だ。
そして社交界に流れている、そのお披露目会の噂の元を辿れば殆どが高位貴族、その中でも国の中心とも言える家々が大半。
確かに眉を顰めるような内容の噂もあるが、そちらはおそらく義妹を良く思わない者によるものだろう。
義妹は色々とよくない噂はあるが、彼女が妻に似て卑しい人間でない事は私がよく知っている。
寧ろ妻の様に優しく、それでいて包容力のある人間だと言えよう。
まぁ……実際の包容力は、体型が体型だけに欠片も有りそうもないが、そこは関係ないし、そんな事を一瞬でも考えたなどと、妹想いの妻にバレたら恐ろしい事になる。
どちらにしろ此処で言えるのは、義妹の別邸は国王陛下を始めとする高位貴族をお招きするのに恥ずかしくない屋敷だと思われる事。
確かにそんな屋敷に、親戚だからと気軽な格好と荷物で訪れては恥を掻いたに違いない。
「君の妹という事で軽く考えていたが、今は辺境伯だったな。
言い訳になるかもしれないが、普通は有り得ない事だけに失念していた」
「いいのよ、私だってあの子が辺境伯だなんて、未だに信じられないもの。
実際、あの子やあの子の周りは気にしないでしょうけれど、辺境伯という立場であれば多くの人の目や耳が集まるでしょうから、辺境伯の親戚としては筋を立てておくべきだわ」
あの義妹の性格を考えたら、身一つで言っても喜ばれそうな気はするが……、だからと言って辺境伯という立場にいる人間を軽んじている、と思われる行動は控えるべきだ。
流石は我が妻だ、素晴らしい
うむ、私も屋敷に戻って来れたと、何時までも気を抜いていてはいけないな。
素晴らしい妻に負けぬよう、私も精進せねば。
「だが、そうなると幾ら誘われたと言っても、甘えるかのように旅行先として頻繁に足を運ぶと言うのも憚れるか?」
辺境伯は伯爵位とは言え、侯爵相当と国法で定めているほどで、歴とした高位貴族だ。
近隣の領だというのであればともかく、我が家のような地方の子爵家程度が、催しでもないのに気軽に出入りするのも、辺境伯家を軽く見られる要因になる。
「昔から……と言うにはどうかと思うけれど、それでもあの子が爵位を戴いて比較的直ぐに取引を通して家同士の付き合いがあるから、その辺りは何とかなるんじゃないかしら?
子供達も年齢が近く……はないけれど、それでも子供同士だと言える年齢だもの」
確かにそれは言えるな。
昔からの取引相手に辺境伯の姉の立場、更に歳の近い子供と条件が揃えば言い訳は何とでもなるか。
「そう言えば、手土産は何を準備したんだ?」
「香料の原液よ」
「そ、それは……確かに我が領の特産品ではあるが、辺境伯に贈る手土産としては少々心許ないと思うのだが」
「見栄を張っても仕方ないわよ。
それに香料と言っても、何時だったかあの子が別の大陸から貰ってきた花の種を栽培して、その花から作った物を中心にして揃えたから、花の栽培を無事に成功させて、こうして香料を摂れるくらいの品質になったと報告を兼ねてだから、きっと喜ぶと思うの。
商品の幅が広がったって」
確かにそれなら手土産にはなるだろうが……、姉妹間の贈り物としてそれで良いのだろうかと疑問に思うのは、はたして私だけだろうか?




