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キルユーべイベー


「――というわけで、えーくん。ケーキ屋さんに行ってケーキを取ってきてもらえるかしら?」

「はい?」


 穏やかな――そう、夏も終わりちょうど涼しくなってずいぶん過ごしやすい今日この頃の穏やかな昼下がり。

 いつものようにソファに寝転がって、去年の年末にご近所さんに貰った大型テレビをぼんやり見ていた僕に、エプロン姿のミアは言った。


 まあ、エプロン姿というだけで、その下が裸ってわけでもないのだけれど。


 裸なら、なお良かったのだけれど。


 良かったのか?


 ……これ以上考えるのはよそう。とにかく、エプロン姿のミアが、ソファで寝転がっている僕に言ったのだ。


「ケーキ屋さんに行ってケーキを取ってきて欲しいの」

「ケーキだなんて。世の中不景気だって言ってるのに。景気が良いっていってるのはそう思わせたい人たちだけだよ」

「何を訳の分からないことを言っているのかしら? 私の話が聞こえなかったの?」

「いや、聞こえはしているよ。だけど、言っている意味が全く分からないんだけど。いきなりウルドゥー語で話しかけられても分からないのと同じだよ」

「そんなに難しいことは言っていないつもりよ。だから、ケーキ屋さんに行って欲しいの。予約しておいたものがあるから」

「それは、あれかな? 僕の貴重な休息のひと時を奪うに足る用事なのかな?」

「貴重な休息のひと時って、もしかして一日中何をするでもなくソファでだらだらしている時間を言うのかしら?」


 ミアが機嫌悪そうに目を細める。


「……何も僕は君の頼みを聞くのが嫌なわけじゃないんだよ。ただ、僕には僕なりの時間の使い方があるんだ。ミアから見れば何もしていないように感じるかもしれないけど、実は分刻みの過密スケジュールを全うしているところかもしれないだろ? もちろんこれはたとえ話で、実際には何もすることなんてないし、する予定もないけどさ」

「それじゃあ、何? そんなに歩いて十分もかからないケーキ屋さんに行くのが嫌なわけ?」

「それも違うね。君も君の頼みを主張したように、僕も僕なりの主張をさせてもらうってことさ」


 僕は上着のポケットから、コインを一つ取り出した。


「どういうつもりなの、えーくん」

「どちらがケーキを買いに行くかを賭けて、コイントスをしよう。表が出ればミア、君が。裏が出れば僕が買いに行く。種も仕掛けもない確率だけが支配する世界だ。公平に決めようじゃないか」

「……ねええーくん、いつもあなたにご飯を作ってあげたり、部屋の掃除をしてあげたり、洗濯をしてあげたり、お風呂の用意をしたり、お金のやりくりをしたりしているのはどこの誰だと思っているのかしら?」

「おっと、そういう話はよせよ。それは、野球の話をしているときにサッカー選手の移籍の話をするようなものだぜ。今は、ケーキ屋に行くのは誰かって話をしているんだろ? さあ、さっそく決めようじゃないか。コイントスは僕がやろう。さあ、行くよ。ほら」


 僕はコインを宙に放った。

 コインが空中で回転する。

 だが、それは僕の手の上には落ちてこなかった。

 ミアが途中でコインを捕まえたからだ。


「な、何するんだよ! これじゃ公平じゃないだろ? それとも、自らルール違反を犯してケーキを買いに行こうって魂胆かな? それなら止めないけど」

「どの口が公平だなんて言っているのかしら?」


 ミアがコインを僕に向ける。

 表だ。


「あ、表だ。それじゃあ約束通り君が買いに――ひでぶっ」


 ミアが僕の鳩尾を蹴る。

 しかも手加減なしに思いっきり。


「どの口が公平だなんていっているのかしらッ!?」


 ミアは左手で僕の頬をつねりながら、コインを裏側に向ける。

 ……やっぱりそっち側にも、表のデザインと同じ柄があった。

 つまりこのコインは、両方表のコインというわけだ。


「い、痛いっすよミアさん。そもそも、勝負の前にきちんとコインを確認しなかった君が悪いんだろ。ルール上は君の負けだけど?」

「イカサマでしょ? 不正でしょ? 不正をやったほうが負けだというのは、古今東西変わらない共通認識のはずよ。それに」

「それに?」

「そんなに断られると、私、悲しい」


 ミアの頬を一筋の涙が伝っていく。

 赤い瞳が悲しそうに伏せられる。


「お、おーいミアさん。ここに来て泣き落しですかぁ? ざ、残念ながら僕にそんな攻撃は効かないもんね。僕はあれだからね、鋼のメンタルを持ってるんだからね」

「いいわ。ど、どうせ私なんてそのくらいにしか思われていないものね。えーくんにとって私なんて、いくらでも代わりがいるのよね。私がいくらえーくんのことを好きでも、えーくんは私のこと嫌いなのよね」


 洪水のように涙を流し、しゃくりあげながらミアが言う。


「もういい、私死ぬ」


 いつの間にかミアは包丁を持っていて、その包丁で思い切り自分の喉を突き刺そうとした。


「よ、よしなよやめなよ、嫌いなんて言ってないだろぉ~!? 分かったよ、行けばいいんだろ、行けば!」

「え、えーくんが、行ってくれるの?」


 包丁を下ろし、ミアが僕の顔を見る。

 元々赤いミアの瞳が泣いたせいでますます赤くなっている。

 ミアの体はほとんど凹凸のない幼児体型みたいなものだし、こうしてみるとますます子供だ。

 子供をいじめるのは僕の趣味じゃない。


「行くよ、しょうがないな。歩いて十分もかからないじゃないか、あんなところ。すぐいってすぐ戻って来るよ」

「ほんとー? うれしー! ありがとー!」


 甘ったるい声でそう言うと、ミアはソファに座る僕めがけて飛び込んできた。

 なんだ? 急にデレ始めたのか!?

 が、そんな僕の甘い予想は、僕の鳩尾に直撃したミアの膝によって打ち砕かれた。


「な、なんか言ってることとやってることが違う気がしますけど!?」

「そんなことないよー? 私はえーくんに感謝でいっぱいだよーっ!」


 ミアの顔には満面の笑みが浮かんでいる。

 が、目元は全く笑っていない。

 現に僕の腕はミアに完璧な逆関節を極められ悲鳴を上げている。


「み、ミアさん!? これは一体どういうつもりなんですか!? あいたたたた」

「え、なになに? えーくんがなんて言ってるのか、私わっかんない」


 と、そのとき、ミアのエプロンのポケットから何かが転がり落ちた。

 本だ。題名は、「甘え上手は生き方上手! 意中の相手に言うことを聞かせる10の方法!」……。


 ミアは目にもとまらぬ速度でその本を再びポケットにしまう。

 そして、わざとらしく咳ばらいをしながら、


「ご、ごほんごほん。えーくん、あなた、何も見ていないわね」

「いやさすがにそれは無理が」

「何も、見ていないわね?」

「……何も見ていません」

「そう、それなら良いのよ」


 ミアは僕から体を放し(ようやくここで僕の関節は痛みから解放された)、ソファから立ち上がった。


「ところでミアさん、一つ質問が」

「なあに?」

「その本には、関節技で相手に言うことを聞かせろって書いてあったの?」

「いいえ、書いてあったのは効果的な甘え方よ。そこから先は私の個人的な憂さ晴らし――もとい、私流のアレンジね」


 よ、余計なアレンジを。

 妙なところでオリジナリティを出されても困るんですけど。


 僕はため息をつきながら、ソファから立ち上がった。


「じゃあ、ケーキ屋に行ってくるよ。まったく、しょうがないな。別にミアに頼まれたからじゃないんだからねっ!」

「はいはい。夕ご飯は何がいいかしら? 買い物に行くのだけれど、えーくんの好きな物を作ってあげるわ」

「えー、何でもいいよ」

「……何でもいい?」


 ミアの顔つきが変わる。

 僕はその機微な変化を敏感に察知した。


「あっ、いや、その、ミアの作るものはなんでも美味しいからって意味だよ!」


 咄嗟のフォローが功を奏したのか、ミアの表情が幾分穏やかになった。

 危ない。余計なトラブルは僕の寿命を縮めかねない。


「そう。嬉しいわ。行くときは気をつけてね。最近、この辺りで強盗が出ているらしいから」

「ちょっとそこまで行くだけだろ? 大丈夫だよ。大体ね、普通に暮らしてて強盗に出会うなんてこと、まずありえないんだからさ」



※※※



 近所のケーキ屋『くーぱ』は、何度も言うように僕らの住む家から歩いて十分かからないくらいのところにある。

 最近できたばかりの、天然素材由来の商品が売りのケーキ屋だ。


 自動ドアをくぐると、ショーケースに並んでいるケーキが目に入った。


「ああ――いらっしゃい。選んでいくと良い――ゆっくり」


 ショーケースの向こうには、コック棒を被った大柄な男が立っていた。確か名前はマショウさんとか言ったっけ? あまり面識はないけど、街でジョギングをしているのをたまに見かける。


「ええと、予約していたケーキがあるって聞いたんですけど」

「していた――予約を? 確認する――少し待て」


 そう言って、マショウさんは店の奥に引っ込んでいった。

 少し時間が経って代わりに出てきたのは、汚れたエプロンを着たお姉さん(巨乳)だった。フレームの歪んだ眼鏡をかけている。手には、ちょうどケーキが一個入るくらいの大きさの箱を持っていた。


「いやー、ごめんごめんお待たせー!」

「は、はあ、どうも」

「私、店長のラフィですー。予約が入ってたのはこれかなぁ?」

「多分それです。一応確認させてもらいますけど、中身、ケーキですよね?」

「そうそう、ケーキ。なんたってウチはケーキ屋だからねー。このケーキさ、予約してなかったらもう売り切れてたよ。ギリギリセーフってやつだね。やっぱり究極の甘味は後から添加されたものなんだよー」

「……後から添加?」


 なんだか嫌な言葉を聞いたような気がしたけど、多分僕の聞き間違いだろう。というかそうであって欲しい。


「とにかくこれがお望みのそれだね。早いうちに召し上がっていただかなくても、余裕で一週間は持つよ。なんたって特別製の――」

「いや、もうそれ以上は聞きたくないです。それで、代金は?」

「なんか前払いしてもらっちゃってるみたいだから、いらないよ。ほら、早く持って帰ってあげなよー、あの赤い目をした女の子のお使いなんでしょ?」

「まさしくその通りです。それじゃ、どうも」


 ラフィさんはケーキの入った箱を紙袋に入れて、僕に手渡してくれた。

 なんだ、あっけないな。僕のことだからもっと色々なハプニングが起こるものだと思っていたけれど、案外あっさりと家に帰れるかもしれない。


 それにしても、このケーキは一体何のためのケーキなんだろう。あのケチ……いや、節約家のミアが何の理由もなくケーキを買うはずがないし。

 とりあえず、僕はケーキ屋を後にすることにした。



※※※



 帰り道を歩いていると、向こうから見覚えのある人影が近づいて来た。

 人影は大きく手を振りながら、僕の方へ駆けて来る。


「おーい、お兄様。こんなところで会うなんて奇遇なんだよ。ひょっとすると運命なんだよ。導かれているんだよ」

「あんまり嬉しくない運命だけど。もし誰かに導かれたものだったとしたら、僕はその誰かを一生恨んで許さないね」


 僕よりずっと年下の、死んだ目をした黒髪幼女。通称ツヴァイちゃんだ。


「引きこもりの代表格のお兄様が、こんな昼間から外で何をしているんだよ? 今日はもしかしてエイプリールフール?」

「インドア派って言ってくれると嬉しいな。それに、エイプリールフールってなんだよ。僕の存在そのものが嘘だとでも言いたいのか?」

「まあ、ここであったが百年目……いや、五十年目だっけ? いや、五十歩百歩って言うくらいなんだから百年も五十年も大して変わりはないんだよ。で、何の話なんだよ?」

「えーと、落ち着いて聞いて欲しいんだけど、僕に話しかけてきたのは君の方なんだよ、ツヴァイちゃん」

「あれ、そうだったっけ? ……ああ、そうそう。お兄様が手に持っているのは、ひょっとするとケーキ屋さんの袋なんだよ。ということは、その中身は十中四苦八苦ケーキなんだよ」

「十中四苦八苦て。80パーの確率で苦しんでるじゃん、それ」

「ちょっと、話の腰を折らないで欲しいんだよ。ヘルニアになっちゃうんだよ」

「や、やめろツヴァイちゃん。これ以上そんなことを言ってたら話が進まなくなるし、ストーリー展開も遅れるんだから。序盤にいっぱい人が死ぬか女の子の裸が出てこなきゃ読んでる人も飽きるんだから」

「分かったんだよ、お兄様。あたしは物分かりがいい選手権代表候補だから、素直に言うことを聞いてあげるんだよ。でね、お兄様。何が言いたいかって言うと、あたしも甘いもの食べたいなってことなんだよ」


 そ、それを言うためだけにこんな長々と喋ってたのか?

 この子、ちょっと頭がアレなのか?


「残念だけど、僕は君に甘いものを買ってあげるくらいだったらアフリカの恵まれない子供たちのためにお金を寄付するよ」

「そんなこと言って、お兄様のことだからもっとくだらないものを買うに決まってるんだよ。例えば、使う予定のないコンドー……」

「てめえ」

「は、はい。どうしたんだよお兄様、急に怖い顔して」

「次安易な下ネタに走ったら、たとえこれが番外編だろうと君を殺す」

「わ、分かったんだよ。気をつけるんだよ。でもあたし、甘いものが食べたいんだよ。もし買ってくれないんだったら、今すぐここで裸になって誰かに助けを呼ぶんだよ」

「へえ、そうなると、どうなるんだい?」

「簡単なことなんだよ。お兄様は未成年姦淫の罪に問われるんだよ」

「つまり、ツヴァイちゃんに甘いものを買ってあげるか、児ポ法に引っかかるか好きな方を選べってこと?」

「正確に言うと児ポ法ではないんだけれど、まあ、概ねそんなところなんだよ」


 なるほど。

 困った。

 さすがに見たくもない裸を見せられて逮捕される。どうせならもっと胸の大きいお姉さんの裸が見たいものだ。僕はロリコンじゃあないんだから。いや、ロリコンを否定するわけじゃないけど。



※※※




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