039:救世主
「彼の名はヘリオドール。名高き英雄クオ様の正当な子息です」
「ほぉ……」
サンたちを下がらせることもせず、女王はクリベージ公爵と彼が連れてきた救世主ことヘリオを、王堂へと通した。
もちろんパイロープとグロッシュラーの二人も一緒だ。逆に言えば、それ以外の人間は内密な話をするためということで下がらせている。
ヘリオがクオの息子だと、王国側はまだ認めていない。公的な記録に残されているクオの息子は、サン一人なのだ。
ついにその姿を現した救世主は、確かにサンと――英雄クオと同じ顔立ちだった。
しかし身に纏う空気は全く違う。
ヘリオ、ヘリオドールと呼ばれる少年は穏やかそうな雰囲気をしていた。
どちらかと言えば人を遠ざけがちな険のあるサンとは違い、人好きのする笑顔を浮かべている。
勇者たちは思わず自分たちの知る方の「英雄の息子」と見比べた。
「同じ顔なのにこうも雰囲気が違うとは……」
「なんだよ。何か文句あんのか?」
「いーえ、別に」
彼らの存在にはヘリオたちも気づいていたようで、公爵が女王に一通り挨拶を終えたところで、早速視線がこちらを向いた。
「ところでそちらにいらっしゃるのは、クオ様の御子息の一人サン殿でございますか?」
「ああ、そうだ。お前たちが知らぬはずもないだろう、クオーツ=エステレルの息子、サンストーンだ」
アルマンディンが威圧を込めてそう告げる。
「やはりそうでしたか! ヘリオがぜひ弟君に会ってみたいと……我々はずっとサン殿とお会いできる日を楽しみにしていたのですよ!」
話の主導権を握っているのはどうやら救世主本人よりもこの男のようだった。クリベージ公爵クロムスフェーン卿。
三十過ぎの、それこそサンやヘリオの父親でもおかしくない年頃の男だ。
見た目はどちらかと言えばぱっとしないのに、饒舌な喋りや身のこなしからは成程、アルマンディンが言ったように野心家の気配が漂ってくる。冴えない見た目とは裏腹に隙のない人物だ。
クリベージ公爵に背を押され、ついに救世主なる人物が口を開く。
「初めまして、女王陛下。そして勇者の皆さん。俺はヘリオ。公爵閣下の後見を受けている冒険者の一人です」
アルマンディンが適当にサンたち勇者を紹介し、公爵に告げる。
「しばらく救世主殿本人と直接話をしたい」
「どうぞ。私は必要がありましたら補足いたしましょう。しかし陛下、彼は出自を隠し長く市井の少年として生きてきた身、不調法がありましてもお許しください」
「問題ない。ここにいる連中は皆、多かれ少なかれ身分の貴賤など問わない。勇者に必要なのは血筋よりも実力と、魔王を倒し人々を救う意志の方だからな」
「御尤もにございます。ではヘリオ、好きに話しておいで」
「はい。公爵閣下」
公爵は好きに話せと言うが、サンたちの目には彼は「余計なことは言うなよ」と念を押したようにしか見えなかった。
「さて、ヘリオと言ったか。お前は本当にクオの息子なのか?」
アルマンディンが彼の素性について問い質す。
いきなり疑うような発言にクリベージ公爵は眉を寄せるが、ヘリオ本人は至って自然に答えた。
「はい、そう聞いております」
「聞いたと言うのは、誰からだ?」
「母からです」
言われてみれば当然のその答に、勇者たちは今更の疑問を持ってサンの方を見た。
「……そう言えば、サンの母親はどうなったんだ?」
「そう言えばクオ様の話はよく聞きますし息子であるサンの噂も聞いてはいましたけど、クオ様の妻の話って聞いたことありませんね」
「サン君もお母さんの話ってしないよね」
「ん。よくわからん。いないとしか聞いてない」
「「「……」」」
あまりと言えばあまりの答に、三人は沈黙する。
クオが魔獣の王を倒し英雄として名を馳せたのは五年と少し前からだ。その頃にはもう息子のサンが傍にいて母親の影もなかったのだから、妻は亡くなったものとして周囲も特に触れることはなかったのだろう。
英雄としてのクオには今のヘリオのように利用価値があった。まだ若くて独身のクオを、婿として迎え入れたいと名乗りを上げる貴族は後を絶たなかった。
「あれ? そう言えば……」
「どうしたんだ? ユーク」
「いや……」
ユークはあることに気づいたが、ここでは口を噤んだ。話をややこしくするだけだからだ。
その間も女王へのヘリオの説明は続いている。
「母はその昔、一介の冒険者であった父に命を助けられ、恋をしたそうです。一度は別れた二人でしたが、父が再びその村に立ち寄った時に想いを通じあい、俺を授かったと聞いています」
「お前の母親は今どうしている?」
「二年前に亡くなりました」
「そうか」
ヘリオはクリベージ公爵の領地で冒険者として活動していたが、彼がクオの息子であると知った公爵がその力をもっと人々のために役立てるべきだと、この機に王都に連れてきたのだと言う。
「これが天命と言うべきものでしょうか、おかげで道中の村や街でヘリオは多くの人を救うことができました」
「そうだな。そなたらの活躍は我々も聞き及んでいる」
アルマンディンは重々しく頷いて、ヘリオの行為に礼を言うが。
「しかし、グランナージュ王国を代表する英雄クオの息子として、そう簡単に認めてやる訳にはいかない。王国が認めたクオの息子は、そこにいるサンだけだ」
「女王陛下……」
「そうでしょうね」
渋い顔をする公爵とは裏腹に、ヘリオはあっさりと頷いた。
「俺は、別に今のままでもいいんです。王都に波風を立てたくはありません。俺の力で、少しでも誰かを救うことができるのであれば、それで十分です」
救世主としては完璧な模範解答をヘリオは告げる。
けれど何故だろう、サンはその様子に違和感を覚えた。
嘘をついている訳ではない。けれど彼の言葉はどこか淡く、力のこもらない感じがする。
一方クリベージ公爵の言には、これでもかとやたら力が――野心がこもっていた。
「私はヘリオの存在は、英雄を欲しているこの時代の救世主となると信じています」
五年前、クオが死んでから魔族の動きが活発になった時には、皆がクオの名を叫んで英雄の再びの登場を待った。
あの頃のサンは、勇者となるには幼すぎたのだ。
人々の希望と成る存在は確かに必要だ。
そしてあの時も今も、サンは自分がそれに値する存在だとは思えない。
英雄はクオ一人でいい。
「もしもそなたをクオの息子と認めるとしたら、せめて確たる証拠がないとな」
「証拠とは……彼の母親とクオ様のやりとりを記した書簡などでしょうか」
「いらん。クオを慕った村娘な。どうせムース……ムーンストーンとやらだろう?」
「! すでに御存知でしたか……」
「その名はクオから聞いたことがある。確かに慕われていたらしいな」
サンの知らない話がアルマンディンの口から飛び出た。驚く彼らを尻目に、女王と公爵の話は続く。
「その話が本当だと言うのなら、提出してもらうのは遺伝子そのものだ。こちらに残るクオの遺伝子と照合させてもらう」
「……なるほど。疑いのない鑑定方法ですな」
公爵は特に反対する様子もなく頷き、ヘリオと目配せしあった。
「どうぞお確かめください」
「そうさせてもらおうか。グロッシュラー」
公爵の言葉に頷いて、女王は腹心の弟の名を呼ぶ。
「後は頼んだぞ」
「了解しました、陛下。じゃあヘリオ君、一緒に来てくれるかな? 公爵は部屋を用意させますので、そちらでお待ちください。それと」
グロッシュラーはもう一人名を呼んだ。
「サン。君もヘリオ君と一緒においで」
「へ? 俺?」
何故自分が呼ばれたのかわからないサンは、目を瞬かせる。
「この機に一緒にデータをとろうと思って。君こそ本物の“クオの息子”なんだから。それにヘリオ君も誰か話し相手がいた方が落ち着くだろ?」
「お気遣いありがとうございます」
「あー、じゃあ行ってくる」
サンはユークたち他の勇者と別れ、グロッシュラーとヘリオについて王城内の研究施設へと向かった。
◆◆◆◆◆
「で、どうなんです? 女王陛下」
後に残されたのはサンを除く勇者とパイロープ、アルマンディン。
クリベージ公爵には別室を与えて待機させている。
ここからは内密の話だ。直接救世主に会った感想はどうなのだと、フェナカイトが女王に尋ねる。
「偽者だと言うのは初めからわかっているからともかく、あの性格はまぁ、優等生過ぎて毒気を抜かれるな」
「なんかのほほんとした人でしたね。サンとは全然違います」
言いながらユークが顔を曇らせる。
「そりゃあ……性格的にはサンよりもあっちの方が本物の勇者っぽいですけど」
「ユー君……」
「ははははは」
それは言ってやるなと、フェナカイトとラリマールがぬるい目でヘリオとは別のタイプの優等生を見遣る。
「でも、本当に偽者なんですか? 確かにサン君とは全然性格が違いますけど、俺にはあの二人はそっくりな兄弟に見えますよ」
「私もだ」
瓜二つとは聞いていたが、サンとヘリオが並ぶと本当にそっくりだった。誰がどう見ても完全に兄弟にしか見えない。穏やかな兄とやんちゃな弟。
だがアルマンディンはその意見に頷くことはなく、むしろおどろおどろしいまでの口調で勇者たちに言った。
「……我々が、あの救世主がクオの本物の息子ではないと断定できる理由をお前たちにも教えてやろうか」
「理由?」
単純な感覚だけではなく、何か根拠のある話だったらしい。
「――英雄クオと呼ばれる男は、子どもができない体質だったんだよ、先天的に」
思いもしなかった女王の台詞に、三人の勇者は揃って目を点にした。
「……え?」
「……はい?」
「ちょちょ、ちょっと待ってください、アルマンディン陛下!」
ユークが女王の前だと言うのに落ち着きを失い、慌てて問い質す。
「先天的って、どういうことですか?! じゃあ、サンは何なんです?!」
「後天的の言い間違えですか? クオ様は勇者として戦っている間に大怪我の一つ二つ負うようなこともあっただろうし、それでこの十三年以内にそういう体質になったってことも……」
「いいや。間違ってはいない。クオは先天的に子種ができない体質なんだ。詳しい説明はまぁ……未成年二人の前なので省くが。クオがムースと言う名の娘と恋人関係になりながら成就しなかったのも、それが理由だ。王室で手頃な相手であった私との婚約話が持ち上がらなかった理由もそれ」
「あ……」
ユークが先程気づきかけた違和感の正体はそれだ。
アルマンディンとクオが似合いの年頃でありながら、野心家である前国王が二人を婚約させなかった理由に関してアルマンディンは以前意味深な言葉を口にしていたのだ。
「“未来のない絆など意味はない”」
女王は再び繰り返す。
「でも逆に、父王にとってはそれが丁度良かった。クオは誰とも結婚せずその血を残さない一代限りの英雄として、魔王を倒し美しく消える。そう望まれていた」
先程ユークが問いかけて、答を得られなかった台詞をもう一度ラリマールが訊き直す。
「ならば……サンは? 英雄クオの息子として知られる、サンストーン=エステレルの存在はどういう意味を持っている?」
フェナカイトとユークも、玉座の上の女王を見上げる。
クオに子どもができないならばサンは誰か別の子ども……と言うには、あの「親子」は似過ぎている。
「……サンストーンって、もしかしてそのムーンストーンさんとやらからもらってます?」
「サンの、正体は――」
女王は一度瞳を伏せると、静かに真実を語りはじめた。クオが亡くなった今では、もはや彼女とパイロープ、グロッシュラーの三人しか知らなかった秘密。
サン本人ですら知らない、彼の本当の素性を。
「あいつの正体はな――」




