014:英雄の影
冒険者一行の救出から戻って数日後、サンは一人王城の訓練室を借り切って、神器使いとしての鍛錬を行っていた。
この訓練室は人類が到達した科学技術の粋を集めた代物で、殺風景な何もない空間に映像で屋外の光景を映せるばかりか、気温や天候、ある程度の重力まで制御して鍛錬に必要な環境を作り出せるのである。
サンは父親である英雄クオがよくこの訓練室を使っていたためにその存在を知っていた。昔は父親の鍛錬に付き合って、サンもたまにここの部屋の隅で体を鍛えたものである。
映し出されている景色は、静謐な山腹の遺跡だ。
先日、天空やスーと呼ばれていたあの魔族と戦った場所である。ホログラムはあの戦闘で壊れた建物の被害までは反映せず、寂れた遺跡は時の移ろいに朽ちた元の姿を晒している。
時折聞こえてくる小鳥の鳴き声まで再現された室内で、サンは一人考え込む。
フロー一行の報告によれば、結局、この遺跡に神器らしきものは眠っていなかったらしい。
「神器か……」
サンは両腕に嵌めた腕輪を見つめる。
先日の一件、一度瀕死の重傷を負ったはずのユークは、そこから蘇った後、以前の彼よりもパワーアップしていた。その力は、魔王軍の神器使いと戦うために有用な戦力となる。
神器を持ったばかりのサンは焦っていた。神器使いとしての実力は、一日どころではない長が他の神器使いにある。一番焦りを覚えるのはやはり、天空の存在だ。
ただでさえ彼女は暗殺者として桁違いの実力を持っている。
何せクオを――あの父を殺したくらいだ。
今のところ、父の死の真相に近づくためには暗殺者である天空を追うしかない。父の仇をとるためには、サンは天空を倒さなければいけない。
しかし今の自分の実力では、なかなか本音も本気も見せないあの女に勝てる気がしない。
ユークに致命傷を負わせたあの一瞬が天空の本当の実力だとしたら、彼女に勝つためにはもっと強くなる必要がある。
そう考えたとき、サンの脳裏を過ぎったのは先日のユークの変化だ。
天空やラリマールは神器が目覚めると評していた。古の魔導具とその適合者の変化と成長。
一朝一夕とは言わないが、短期間で大きな力を得るなら神器に頼るべきだろう。
だが、サンに与えられた神器は、あの時のユークの神器のようには応えてくれない。
「どうして……」
何故ユークにはできて、サンにはできないのか。足りないものは何なのか。
それともこれはもともと父親が使っていた神器だというから、その影響か何かでサンにも扱えていたこと自体がイレギュラーなのか。
銀の腕輪に嵌められた緋色の石は何も答えてはくれない。
「サン?」
「! ラリマール……」
不意に声をかけられて我に帰れば、いつの間にか訓練室の入口でラリマールが困ったような顔をして立っている。
「お前も訓練か?」
「ああ。入っていいか?」
「俺は構わない。好きに使え」
サンが頷いてホログラムを消すと、何の飾り気もない殺風景な白い室内が戻ってくる。
「ありがとう。外の練兵場は正規兵たちが使っていてどうにも居心地が悪いものでな」
サンの近くまでやってきたラリマールがにこりと笑顔を浮かべる。
確かに、この非常時にラリマールのような子どもが王城にいることに奇異の目を向ける者は多い。
それはサンも同じであり、父に似た顔立ちのせいでややこしいことになる。
アルマンディンもその辺は当然承知している。貴賓室周辺に近づく使用人たちには指示を出しているらしく彼らはサンに関して余計なことは言わないが、全ての人間がそうとは限らない。
サン自身も、人の多い場所には自分から近寄らないようにしていた。
国王に選ばれた勇者とは名ばかりで、ここにサンたちの居場所がある訳ではないのだ。
この場所を再び出ていくためにも、早く魔王を倒さないと、早く天空を倒さないと、早く……。
「なんだか難しい顔をしているな」
再び思考に没頭していたサンを、ラリマールの声が呼び戻す。
「私は邪魔だったか?」
「いや、違う。そうじゃなくて……考え事をしていたんだ」
先ほど確かに考えていた神器に関する話を、ちょうどいいとラリマールに相談する。
「ふむ。確かに、ユークは神器を覚醒させたおかげでこれまで以上に水の力を引き出せるようになったようだ」
「あの力は俺たちにも必要なんじゃないか?」
天空を、そして彼女の背後にいる魔王を倒すには、もっと力が必要だ。
「しかし、覚醒どころかそもそも神器に認められることこそが稀なのだぞ? 手あたり次第に試していけばいつかは自分と相性の良い神器が見つかるかもしれないが……」
ラリマール自身はそう考えて神器を探すために各地の遺跡を巡っていたのだと言う。前から思っていたが、この子どもは見かけからは想像もできないほど豪胆すぎる。
「他にも神器を見つけたりしなかったのか?」
「もしかしたらあったのかもしれないが、私にとっては何も反応がなければただの武器と見分けがつかないからなぁ」
「……じゃあ、そのまま置いてきたお宝の中に隠れた神器があったかもしれないと?」
「ははははは」
アルマンディンたちはグロッシュラーが開発した機器で神器を見分けているらしいが、ラリマールは便利な判別グッズなど使えない。
どちらにせよ、ラリマール個人ではどう頑張っても、遺跡の中の発掘品を全て引き上げるのは不可能だ。
「サン、何をそんなに焦っているのだ? お前が焦ったところで、神器は応えてくれないぞ?」
「……焦るに決まってるじゃないか」
父の復讐や勇者という立場、サンはそう言ったあらゆるものから早く解放されたくて仕方がない。
「そうか。だがこればかりはな……。ユークがそうであったように、自分自身の望みに自分で気づかぬうちは神器も私たちに応えてはくれぬのだ」
ラリマールのふっくらとした小さな指先に光る指輪。どうやらそれが彼の神器らしい。
「俺自身の、望み……」
改めてそう言われると、サンは自分でも自分が何を望んでいるのかわからないことに気づいた。
……ああ、そうか。
父と比べられることが苦しいのは、そこに自分が「ない」からなのだ。
いつだってサンが必要とされるのは父の代わりで、人がサンの向こうに見ているのは英雄クオの姿だ。
「大丈夫だ、サン。機会はそのうちやってくる」
サンの苦悩を知ってか知らずか、謎めいた子どもは空色の瞳でそう告げる。
「ラリマール」
「昔、私の前にお前が現れたようにな。……さて、それでは立ち話もこの辺りにして訓練に励むとするか」
「あ、おい!」
ラリマールは、ぐいぐいとサンの腕を引っ張って訓練室の中央まで進んでいく。
サンはいまだ彼のことを思い出せないというのに、それでもいいと彼は笑う。
――これ以上は考えても仕方がないのだろうと、サンも頭を切り替えることにした。
その日は二人で軽く手合わせをしながら、訓練室の使用制限時間ぎりぎりまで鍛錬に明け暮れた。
◆◆◆◆◆
「へぇ。そんな風に訓練していたんだ。俺たちも呼んでくれれば良かったのに」
「ふん、僕は結構です。個人で鍛錬はしていますから、あなた方で好きにやればよろしい」
「今はまだそれでもいいけど、最終的には連携の訓練もしないと足並みが揃わないぞ?」
二人は与えられた貴賓室に帰る途中で、丁度ユークとフェナカイトが話しているところに出くわした。
貴賓室と訓練室の間にある柱廊は人通りも少ない。そのまま四人で少し立ち話となる。
「と言うかお前は何やってたんだ? 訓練しなくていいのか?」
全員での訓練に対し否定的なユークにサンは尋ねる。
「その前に、治ったとはいえあれだけの大怪我を負ったんだから一応休養をとった方がいいと思うんだけど」
フェナカイトは連携の訓練よりもむしろユークの体を心配してそう言った。
「ありがとうございます、フェナカイトさん。でも大丈夫です。すっかり良くなっていますから。……で、サン。僕をお前のような暇人と一緒にするな。僕には勇者としての仕事以外にも、クラスター家の人間として軍人としての仕事が山のようにあるんだよ」
「誰が暇人だ! 元はと言えば人をこんなところまで引っ張ってきたのはお前だろ!!」
「そう言えばユークは貴族だったなぁ」
サンとユークがいつも通り口論を始める以外は各自がまるで好き勝手に喋る、いつものやりとりを四人が繰り広げているところだった。
廊下の向こうからやって来る一団が彼らに気づいて声を上げた。
「フェナカイト君、クラスター将軍。勇者の皆さんじゃないか」
「おや、フローさんたち」
「もう大丈夫なんですか?」
「ああ、君たちに助けられた後、肉体的にも精神的にもたっぷり休養させてもらったよ」
前回の事件からすでに一週間以上経っている。フローたちはまず体を休めた後、死んだ仲間の故郷に遺骨を届けることなどしていたらしい。
「あいつのためにも、俺たちはより一層女王陛下の御命令に従って魔族を排除しないと!」
「そうですね。頑張ってください。フローさんたちが王都の民を守ってくだされば、僕らも安心して魔王に突っ込めます!」
フローたちに対し、ユークは笑顔で対応する。
「いや、クラスター将軍。その言い方だと突っ込んで帰って来ないみたいなんで、できればもっと穏便な感じでお願いしたいんですが……」
ユークの言い様にはさすがのフローもたははと笑って頬を掻くしかないようだった。
しかしサンやラリマールは笑えなかった。フェナカイトは表情こそ笑顔なのだが……瞳の奥の光が笑っていないことに、二人は気付いた。
ユークとの話が一段落したフローは、不意にサンへと視線を向ける。
「そう言えば、前から気になっていたんだけど」
前置きの時点で嫌な予感がして、サンは思わず眉を顰めそうになった。
「君はもしかして……あの英雄、クオ様の息子さんじゃないか?」
「……ああ。クオーツ=エステレルの息子のサンだ」
「やっぱり! クオ様は僕らの憧れなんだ。その息子である君が勇者として戦ってくれるなら、こんなに心強いことはないよ!」
元々気のいい青年なのだろうが、クオの名を口にするフローは普段よりもはしゃいだ様子だ。その姿は英雄に憧れる純粋な子どもそのもの。子どもという歳ではないが。
「クオ様は僕ら人類の希望だった。まさしく天の勇者、地の希望と呼ばれるに相応しいお方だったよ。まるで太陽のような人だった」
現在二十五歳のフローと似たような年頃の彼の仲間たちは、王都でクオの姿を見たことも多いのだと言う。
その後の会話に対し、サンは硬い顔でほとんど当たり障りのないようなことしか言えなかった。
フローもその仲間たちも気にしていないようだったが、それは彼らがサンではなくその向こうのクオを見ていたからだろう。
「……サン君、大丈夫かい?」
冒険者一行が女王への報告があると言ってその場を去った後、フェナカイトがそっと尋ねてきた。ラリマールがさりげなくサンの手を握ってくる。
気遣われている。フェナカイトもラリマールも、どうしてここまでと思う程に人が好い。何故サンが口にしてもいない思いまでわかってしまうのだろう。
ユークは複雑な表情でサンを見つめていた。いつもは彼の方が、親の七光りだとサンを否定するくせに。
彼の喧嘩腰に腹が立つのも本当だが、それ以上に厄介なのが、あのようにきらきらした顔でクオの名を出された時の劣等感だ。
自分は、父のようにはなれない。
他者の目で勇者としてのクオを語られる度にそう感じる。
偉大な父、思慕も敬意も劣等感も、サンの感情総ては最終的に父へと行きつく。
それなのに勇者ではない一人の人間としての彼を思えば、サンは父を殺した相手を決して赦さないと、復讐に向かわざるを得ない。
サンの人生はまだ全てが、クオへと繋がっている。父なくしてサンの人生は成り立たない。
ならば、一体いつになったらサンは「クオの息子」ではなく、サンという一人の人間になれるのだろう。
喪われた英雄の名は、いまだにサンを縛り続けている――。




