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機械仕掛けのエリー

作者: うろつき狼

 彼女は下町の小さな工房で生まれました。

 貧乏だけれど天才的な発明家、D博士の最初にして最後の最高傑作。

 博士が亡くなったあと、人々は彼女をこう呼びました。



「ねじ巻きエリー」



 彼女の背中にはネジがひとつ。

 ネジが切れれば彼女はぽんこつ。

 だけど、ネジが十分に巻かれている間のエリーは誰より強く、誰より優しく、誰より聡明な女の子。

 街のみんなはエリーが大好きでした。


 エリーは毎朝、家中をお掃除します。

 博士がいた頃、そのままに。

 いつ誰がもう一度、この研究室を使うことになっても良いように。


 それから近所のおじい様、おばあ様達のために、パンを焼きます。

 美味しくて栄養たっぷり、しっとりふっくらしていて、甘いパンです。

 みんなが元気で長生きしてくれるように。


 午後になると博士のお墓へ花を届け、教会の十字架の前でお祈りを捧げます。

 天国の博士が、今日も幸せでありますように。


 夕方には商店街で買い物をし、夜になると家の屋根に上ります。

 そうして、野良猫と一緒に街の人々が安心して眠れるように、一晩中街を見守るのでした。


 そんな規則正しい生活を送る彼女にも、ひとつだけ最近、気になることがありました。

 それは、教会で出会う若者のことです。

 ある日、思い切ってエリーは彼に尋ねました。


「何かお悩みがあるのなら、私に話して下さいませんか」と。


 若者は深い溜息を吐きました。


「偏屈で有名な僕のおじい様が、体を壊してしまったんだ。

 家族の誰も世話をしたがらなくて、困っているんだよ。

 僕にとっては大切なおじい様なのだけれど、僕には仕事があるからいつもそばにいてあげることが出来ないし。

 ああ、誰か、僕の代わりにおじい様のそばにいてくれる人がないものだろうか」


「それはお困りでしょう。では、私がその方の元へ参りましょう」


 エリーは一も二もなく応えました。

 機械人形のエリーにとって、人間が困っていたら助けるのは当然のこと。

 それに、博士もとっても偏屈でした。エリーはそんな博士が大好きだったので、博士みたいなご老人にまたお仕え出来るのは、とても素晴らしいことだと考えたのです。


 早速、エリーは研究所をもう一度掃除すると、たくさんの家具と研究資料を布で綺麗に覆いました。

 自分の留守の間、大切な博士の荷物や道具が埃で傷んでしまわないようにです。

 そして、新しい旦那様に失礼のないよう、博士にもらった宝物やお洋服の中でもとびきり大切なものと、とびきり上等なものだけを選んで、トランクにぎゅうぎゅう詰めました。

 それからきっちりすべての扉と窓に鍵をかけると、ゆっくり丁寧にお辞儀をして、研究所に暫しのお別れを告げたのでした。


 大切なお別れを済ませると、エリーは新しい旦那様のお屋敷に向かいます。


 エリーが新しくお仕えすることになった旦那様のお屋敷は、博士の研究所が3つ入ってもまだ余裕があるほどの大きさでした。

 たくさんのきらきらした壺や、大きな銅像、古い肖像画などが飾ってありましたが、室内の空気はどんよりと重くて、カビと湿気のにおいがします。


 エリーは奥へ奥へと進んでいきます。


 廊下は長くて暗く、しんしんと冷えておりました。

 きっと明かりを灯す者がいないのでしょう。


 夜になったら真っ暗ね。

 こんなところで旦那様が転ばれたら大変だわ。


 エリーは考えながら、歩いていきます。


 旦那様は、広くて薄暗い居間のソファにでんと座っておりました。


「こんばんは、はじめまして、旦那様。

 私は機械人形のエリー。

 今日から旦那様のお世話をさせていただきます」


 ふん、と旦那様は鼻で笑いました。


「知っているぞ、木偶人形め。このぽんこつめ。

 おまえがわしの世話をするだと。

 出来るものならやってみるが良いわ」


 それは人間であれば間違いなく気分を害してしまうような悪態でしたが、エリーには「怒る」という機能がありませんでした。

 なので、丁寧にお辞儀をして、こう言います。


「ありがとうございます、旦那様。

 エリーは精一杯お仕えさせていただきます」


 その言葉の通り、その日からエリーはこの旦那様のために、出来ることをみーんなやることに決めました。


 まずは家中のカビ取りです。

 しつこい汚れをごしごし擦って、ほこりを取って、ほったらかしだったランプに火を入れます。


「うるさいうるさい、ぽんこつめ。

 わしの家を壊すつもりか」


 早速叱られてしまいましたが、エリーはくじけません。


「いいえ、旦那様。

 エリーは旦那様に、綺麗で素敵なお屋敷に住んでいただきたいのです」


「ふてぶてしいおしゃべり鳥め。出来るものなら、一晩で、この家をまるごと洗って見せるんだな」

「かしこまりました、旦那様」


 エリーがお行儀よく頭を下げたので、この人形を困らせてやろうと思った旦那様は、びっくりです。

 ふん、とまた鼻を鳴らして、こう言いました。


「出来なかったら、おまえはクビだ。出ていってもらうぞ!」


 さてはて、疲れ知らずの機械人形でも、こんなに大きなお屋敷を一晩でまるっときれいにするには、ちょっと時間が足りません。

 エリーは考えました。

 そして、良いことを思いつきました。


「そうだ。みんなに手伝ってもらえば良いんだわ」


 エリーが呼んだのは、街に住むたくさんの野良猫達でした。

 みんなはいつも餌をくれるエリーが大好きだったので、すぐににゃーにゃー集まって、エリーの用事を聞こうとします。


「ねえ、みんな。私の大事な旦那様のために、このお屋敷をいっしょにぴかぴかにして欲しいの」

「合点承知、エリーのためなら、お安い御用だ」


 猫達は言いました。


「でもね、エリー。ただでとは言えないよ。

 ぼくらは野良猫。毎日生きるのに必死なその日暮らしさ。

 旦那様のために働いてあげるから、僕達もこのお屋敷に住まわせておくれ」

「解ったわ。もしお掃除が完璧に出来たなら、旦那様にエリーが頼んであげましょう」


 その言葉に、猫達は大喜び。

 エリーはまず、猫達がお屋敷を汚さないようにお風呂に入れました。

 シャンプーでごしごし洗って、小さなチョッキを着せました。

 これで可愛い掃除夫さんの出来あがりです。


「さぁ、お掃除の始まりよ」


 猫達は元気で身軽だったので、家の隅々まで走り回ることができました。

 天井の隅っこ、柱の上の方、床下まで。


 ぱたぱた、ごしごし、きゅっきゅっきゅ


 あっという間に、埃だらけのお屋敷は磨きあげられ、次の朝が来るまでには、すっかりあったかくてぴかぴかの素敵なおうちになっておりました。


 これには旦那様、またもびっくり仰天です。


「なんということだ。説明したまえ、ぽんこつ人形。

 これは何が起こったんだね」

「ご説明いたします、旦那様。

 この街で最高の掃除屋さんが、旦那様のために腕をふるってくださったのです」

「わしのためにか」

「さようでございます、旦那様。

 そして、その掃除屋達は、これからも旦那様にお仕えしたいと申しております。

 給料は、毎日、めざしを一袋」

「めざし? なんとそんなものでいいのか!

 安いものだ。その掃除屋を、雇ってやりなさい。

 きっとぽんこつのおまえより役に立つ」

「かしこまりました、エリーの優しい旦那様」


 こうして猫達はお屋敷に掃除屋として雇われることになりました。

 自分達でぴかぴかにしたお屋敷を、猫達はとっても気に入ってしまいましたので、それからも率先してお掃除を続けます。

 毎日ほこり一つないお屋敷は、旦那様を非常に満足させました。


 それからエリーは旦那様に健康になってもらうことを考えました。

 ですから、毎日あたたかくて美味しい食事を、ほんの少しだけ作ることにいたしました。

 旦那様はちょっと太り過ぎで、これ以上たくさん食べてはいけないと思ったのです。

 実は体を壊したのも、食べ過ぎが原因だと聞いておりましたから。


 もちろん、旦那様は今度も大層怒りました。


「ええい、このみみっちいぼろ人形め。

 わしを飢えさせて殺すつもりだな」


 でも、旦那様思いのエリーはにっこり笑います。


「栄養価は計算して作っております。エリーは旦那様に、健康的に長生きしていただきたいのです」

「こんな味のないちょっぴりの食事では、逆に寿命が縮まってしまうというものだ!

 健康的で、美味くて、たっぷりおなかがふくれる料理を持ってこい!

 そうでなければ、おまえは、クビだ!」


 今度も、エリーは困ってしまいました。

 機械人形のエリーには、「味覚」というものがないのです。

 レシピ通りに健康的な食事を作ることは出来ても、旦那様のリクエスト通りに美味しい料理を作ることは出来そうにありません。


「そうだ。また、お友達に手伝ってもらいましょう」


 エリーは街に出て、踊り子のおねえさん達に声をかけました。

 彼女達はダイエットにいつも一生懸命でしたので、きっと美味しくて、おなかいっぱいになる、健康的な食事をたくさん知っていると思ったのです。


「ねえ、みんな。私の大事な旦那様のために、毎日食事を作ってあげて欲しいの」

「もちろん、お安い御用よ、あなたのためなら喜んで」


 踊り子達は言いました。


「でもね、エリー。ただでとは言わないわ。

 私達は踊り子よ。自分の仕事にプライドは持っているけど、若いうちが花。

 いつか私達が年老いても安心して働ける場所が欲しいのよ。

 旦那様のために働いてあげるから、私達もこのお屋敷で雇ってちょうだい」

「解ったわ。もしお料理が完璧に出来たなら、旦那様にエリーが頼んであげましょう」


 その言葉に、踊り子達も大喜び。

 エリーはまず、踊り子達にお屋敷で働くための清楚な服をあげました。

 上等な服で身を包み、上品なお化粧をした踊り子達は、まるで生まれながらのメイドさんのようです。


「さぁ、お料理をいたしましょう」


 踊り子達はすぐに空っぽのキッチンに足りないものを調べあげます。

 大きなお鍋にフライパン、つるつるおたまと、よく切れる包丁。

 それからもちろん、旦那様のためのお料理の材料!

 みんなは商店街に繰り出すと、安全な調理具と新鮮な食べ物を買いました。

 何年もしーんと静かだったキッチンから、踊り子達の歌とステップが響きます。


♪私達、今日から最高の料理人

 旦那様のために作ろう 美味しいごはん

 旦那様が幸せならエリーも幸せ

 ついでに私達もみーんな幸せさ♪


 出来あがった料理は、美味しくてボリュームたっぷり。

 旦那様が苦手な野菜も食べやすく調理されていて、健康にもよさそうです。

 旦那様、またまたびっくり。


「なんだなんだ。これはどういうことだ。何が起こったんだね」

「ご説明いたします、旦那様。

 この街で一番の料理人が、旦那様のために腕をふるってくださったのですわ」

「わしのためにか」

「さようでございます、旦那様。

 そして、その料理人達は、これからも旦那様にお仕えしたいと申しております」

「こんなに美味いものが毎日食べられるなら、いいだろう。

 その料理人を、雇ってやりなさい。

 きっとぽんこつのおまえより役に立つ」

「かしこまりました、エリーの優しい旦那様」


 こうして踊り子達もお屋敷に料理人として雇われることになりました。

 綺麗なお屋敷に美味しい料理は、旦那様をいたく満足させました。


 それからも、エリーは事あるごとに街の仲間を呼びました。

 いつしか鳥は洗濯を手伝い、子供達は庭の草むしり。

 仕事を失った若い男は、執事として屋敷を切り盛りします。


 旦那様は騒々しいとぶつぶつ文句を零しましたが、しかしそれでも、賑やかになったお屋敷は、いつしか旦那様のとげとげした心を、ほっこりと丸くしていくのでした。


「木偶人形、おまえはどうしてわしのために、こんな、家族にも見捨てられた偏屈爺のために、これほどよくしてくれるのだね」


 ある日、旦那様はエリーに聞きました。

 エリーはいつも通りに微笑んで、こう言います。


「何を不思議なことがあるでしょう。

 旦那様はエリーの旦那様でございますから、旦那様のために尽くすのが私の動く意味でございます」

「そうか。機械人形のおまえには、見返りなど要らないのだね」

「さようでございます、旦那様」


 家族に見捨てられた老人は、最初から偏屈爺だったわけではないことを、エリーはもう知っていました。

 彼の最愛の妻が亡くなった後、遺産の相続で娘や息子達はひどい喧嘩をしたのです。

 家族の死よりもお金にこだわる子供達に、彼はとても幻滅し、そして幼かった孫息子にだけ愛情を注ぐようになりました。

 そして、もう誰も憎まず、恨まず、怒らずに済むように、そっと屋敷の中に引き籠ってしまったのです。

 みんなに煙たがられる旦那様は、元々、とても優しいお父様であり、おじい様だったのでした。


 そんな誤解されやすい旦那様を、エリーはとても素敵な人だと思っています。

 彼のために働く毎日は充実していて、きっとこういう生活を人間は「幸福」と呼ぶに違いありません。



 でも、とエリーは思いました。


 見返りはいらないけれど、でも一つだけ。

 旦那様が「エリー」と呼んでくださったら、それはとてもとても素敵だと思うわ、と。


 そして、一年が経ち、二年が経ち、五年が経ち。

 お屋敷からは笑い声が絶えず、旦那様は可愛い掃除夫と元気な料理人に囲まれて、幸せに暮らしておりました。


 そんなある日のこと。

 エリーはふと、自分の体がとても重い事に気付きました。


 そういえば大分と長い事、メンテナンスをしていません。


 機械人形のエリーは人間と同じように歳をとることはありませんが、体の中で色々な部品が古くなって、定期的に取り換えないと壊れて動かなくなってしまうのです。

 けれどエリーに使われている部品はとても貴重なものなので、簡単に取り換えるというわけにもいきません。

 遠くの街へ出て、部品を買い、エリーの博士ではない博士にお願いして、体の中を綺麗にしてもらわなくてはいけないのです。

 そのために旦那様のそばを長く離れるのを、エリーは不安に思っていました。

 なぜなら最近、旦那様の体調があまり思わしくなかったからです。


 自分のいない間に旦那様に何かがあったらどうしよう。

 エリーは、博士がいなくなった時のことを思い出してしまいました。

 また、エリーは空っぽのお屋敷を、毎日掃除して暮らすことになるのでしょうか。

 それを考えると、エリーの神経回路に変な電流が走って、ぴりぴりするような心地がいたしました。


 だから、旦那様が天にお帰りになる最後の時まで、エリーは彼の傍らにおりました。


「このぽんこつめ、木偶人形め」


 旦那様はそう言って、いつものようにエリーをお召しになります。


「まったくおまえはひどいぽんこつだった。

 わしの屋敷を、こんなぴかぴかにしてしまいおって。

 わしの体を、こんな健康にしてしまいおって。

 おかげで早死にをするつもりが、予定外に長生きをしてしまった」

「エリーは機械人形の分際で、差し出がましい真似をいたしました」

「そうだ。とんでもないことだ。

 とんでもないことだぞ、おまえというやつは」


 あんまり小さな声で旦那様がそういうので、エリーは聴覚を研ぎ澄ませましたが、大事な旦那様の声は掠れてうまく聞き取れません。


「旦那様……旦那様は、エリーがお嫌いになりましたか」

「嫌いになったかだと。ねじ巻き頭め」


 そうして旦那様はゆっくりと手を伸ばし、初めてエリーのほっぺたに触れました。

 優しい優しい仕草で、エリーを撫でてくれました。


「……わしのエリー。可愛い娘。誰がおまえを嫌うものか」


 それが旦那様の最後の言葉でした。


 旦那様は冷たく小さく固まって、もう動きません。

 心臓の音ももう、聞こえません。


 エリーはまた、一人になってしまったのでしょうか?


 いいえ、そうではありませんでした。


「良かった。今度はエリーも、いっしょに参れます」


 エリーの体の中で、きりきりと歯車が音を立てて止まります。

 摩耗した鉄の糸が、ぷつんと切れるのが解りました。

 ゆっくりゆっくり、エリーは動けなくなっていきます。

 けれどエリーは満足でした。

 だってこれからもずっと、大好きな旦那様のそばにいられるのですから。


 翌朝、動かなくなった一人と一体を見付けたのは、エリーに仕事を依頼したあの若者でした。

 彼はずっと、遠くの国で仕事をしていて、今朝、やっと戻ってくることが出来たのです。

 彼はまず、ぴかぴかのお屋敷と、楽しそうな使用人達にびっくりしました。

 それから愛する祖父と、エリーを探し回りました。


 そうして、あたたかな寝室で仲良く寄り添って眠っている二人を見付けました。


 若者は、一瞬、壊れたエリーを直すことを考えました。

 けれどすぐにやめました。

 二人がとても幸せそうに見えたからです。


 代わりに彼女のために、特別な贈り物を用意しました。


 今、旦那様は博士の隣に眠っています。

 二つの十字架の真ん中で、ガラスの箱に入れられたエリーが、にこにこ微笑んで眠っています。

 街の人が入れ替わり立ち替わり訪れるので、教会の墓地はいつもにぎやかです。

 エリーは幸せな夢と喧騒に包まれて、いつまでも穏やかに眠り続けました。

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