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⑤ 初めての逢引

 日が落ちて夜を迎えた城内は廊下の壁の燭台に灯された蝋燭ろうそくの火によって照らされていたが、それでも足元は暗く、つまずいてしまわないように気をつけながら足を動かす。

 階段を駆け下り、廊下を急ぎ足で進んだ先、ちょうど曲がり角になっているT字の通路を右に抜けようとしたとき、俺の鼻っ面が固い何かにぶつかって床に尻もちをついた。

 鈍く痛む鼻先を撫でながら何事かと視線を上げてみれば、漆黒の甲冑かっちゅうに蒼色のマントを纏った武人が、俺のことを無表情に見下ろしていた。

 腰のベルトには反りのある一振りの剣がかれて、多少剣道をかじっただけの目で見ても、その武人が容易ならざる使い手であることはすぐ理解できた。


 薄暗くて見えなかったとはいえ、ぶつかってしまったことを謝ろうと俺が口を開くよりも前に、彼はそそくさとマントを翻して廊下の奥へ立ち去ってしまった。

 ぶっきらぼうというか、無愛想というか、この時の俺は彼に対して、神殿のミオと同じようにあまり良い印象は無かった。


 立ち上がった俺はそのまま城門の前にまで至ると、門の脇に設けられた番兵の詰め所から兵士たちの明らかに泥酔でいすいした下品な笑い声が聞こえた。

 メイスが仕組んだことなのかは知らないが、城を守る兵士にしては頼りない。

 おかげさまで何の苦労もなく城の外へ出ることが出来た。


 遠目に見ていても賑やかだった都のメインストリートは、昼間の喧騒けんそうとは全く違う姿となっていた。

 人々は家々から弦や鼓笛といった楽器を持ち寄って曲を奏で、吟遊ぎんゆうの徒が我が喉から発せられる美声で曲に即興の詩を当てていく。

 その詩とリズムに合わせて、若い娘たちが篝火を囲んで男たちと腕を組み、共に歌い、共に踊っていた。

 また道の脇に置かれたテーブルに目を向けると、店を閉じた料理人たちがこぞって腕を競い合っていた。

 城のごちそうに比べれば少々見劣りこそすれど、肉や魚を串焼きに、または油で揚げたり、釜でじっくり煮込んだものなど、普段彼らの食卓に並ぶ料理がずらりと揃っていた。

 プロの料理人だけでなく、腕自慢の婦人たちも集って、おふくろの味を披露している。

 既に俺の容姿などは噂で彼らの知るところであろうから、もし見つかれば城の貴族連中以上に囲まれ、もみくちゃにされてしまうに違いない。

 故に俺はなるべく目立たない夜の陰に身を隠しながら詩に耳を傾け、踊り狂う少女たちを眺めて楽しんでいた。

 いや、見惚れていたといったほうがいいか。


 そのときである……。


「くぉらぁあ! また皿を割ったのかぁ!」


「ごごごごごめんなさーい!」


 何やら聞いた声が必死に謝っていた。

 無意識にそちらのほうへ目を遣れば、胸に白いエプロンを掛けたキヌアが、無残に砕けた皿を手箒で拾い集めている姿が見えるではないか。

 察するに料理を運ぶ手伝いをしていて、ドジを踏んだらしい。

 観察していてわかったのだが、どうも彼女は生真面目なのだが空振るというか、不器用というか、ともかく一生懸命なのは伝わってくるが結果が伴わないようだ。

 散らばった破片を一箇所に集めてから取ればいいものを、律儀にも、一つ一つ拾い集めているあたりが何とも見ていて歯がゆく、それでいて微笑ましい。

 気がつけば、俺は手を袖の内側へ引っ込めて破片を拾っていた。


「ふぇ? アキラさん? なんでここにいるんですか?」


「城の空気に耐えかねて出てきた。それより、その箒、貸してみな」


 キヌアから手箒を借り受けると、地面に散った大小の破片を一箇所に纏めて、手を切らぬように気をつけながらゴミ入れの麻袋の中へ片付けた。


「はい、一丁上がり。手、怪我とかしてない?」


 言われて、キヌアは小さな両手の表と裏を交互に見て頷いた。


「大丈夫です……あの、ありがとうございました! わたしが片付けないといけなかったのに、すっかり手伝ってもらっちゃって……」


「いいよ。街を案内してもらったし。それより、何してるの? バイト?」


「はい! お手伝いです! といっても、ちょっと足引っ張ってますけど……」


 彼女は恥ずかしげに笑って頬を掻いていた。

 しかし手に提げた袋が思いの外、重たい。

 明らかに皿一枚分では無さそうだ。


「ところで、割った皿って、何枚だ?」


 すると彼女は指を三本立てた。


「ああ、3枚か。まあそういうことも――」


「13枚です!」


「馬鹿野郎! そりゃ怒られるわ!」


「し、失礼な! 野郎じゃないです! アマです!」


 頭が痛くなった。

 反論する気にもなれず、割れた皿が入った袋をメインストリートの角にあるゴミ捨て場に投棄した。

 流石に足手まといと思われたのかキヌアは店主から「もう遊んできてもいい」と言われ、心ばかりのお駄賃を貰えたようだ。

 あれだけ皿を割っておきながら弁償しろと言わないあたりが、ルミエル信仰の見上げた美点というべきか。

 とはいえキヌアも反省しているらしく、賃金の受取も一度は拒否したが、店主はその小さな胸に小袋を押し付けて追い払ったのだ。


 それからは彼女も気持ちを切り替えて、皿の片付けを手伝った俺に何かご馳走したいと申し出てくれた。

 俺は、城でご馳走を腹いっぱい食べたので自分のために使えばいい、と言ったのだが、彼女は是非にと聞き入れてくれなかった。

 そこで俺は考えた挙句、昼間の味が忘れられない果実ポルクを一つ奢って貰った。

 一方のキヌアはといえば、ポルクの隣に置かれていた赤い皮の果実を選んで、給料袋の中から四角い銀貨を一枚取り出して店の老婆に手渡した。

 硬貨といえば円いイメージがあったが、こちらでは四角が通常のようだ。


 キヌアは疲れた俺を気遣ってか、人通りがあまり無い港で食べましょう、と誘ってくれた。

 俺もいい加減耳が疲れていたので物静かな波の音を聞きながら食べたいと思い、白い月が見下ろす中、船乗りたちが休むために設けられた小さな公園にて、鏡のような水面に映った星空を見ながら甘い果肉を頬張る。

 キヌアも赤い果実の皮を手で剥いて齧ると、よほど酸いのか、唇を窄めた後にパッと頬を緩めた。


「ふはぁ……やっぱりお仕事の後は、酸っぱい【クモーネ】に限ります! アキラさんも一口どうですか?」


 差し出された俺は指で小さく果肉を千切って口に運ぶと、途端に口内に唾液が溢れ出して唇が歪んだ。

 レモンだとか梅干しの比ではない強烈な酸味だ。

 あるいは肉料理とか魚料理に絞ってかけるにはいいかもしれないが、少なくともそのまま齧っていいようなものとは思えない。

 だがキヌアは鼻歌交じりに、何とも美味そうに、クモーネの果肉や果汁をしゃぶっていた。


「そういえば、メイスさんから何かご褒美を貰ったのかい?」


「あ、はい! ずっと欲しかった本を譲って貰えたんです! 薬草に関する本なんですけどね、本ってすっごく高くって中々買えなかったんですけど、メイス様がたまたまその本を持っていたから譲って貰ったんです!」


 キヌアは天上に瞬く星々のように目を煌めかせて喜びの程を熱弁してくれた。


「将来の夢は、医者か何か?」


「はい! お医者さんとか、薬剤師とか、病気や怪我で苦しんでいる人を助けてあげたいんです!」


 なんと殊勝しゅしょうな心か。

 俺は彼女の裏表の無い献身けんしんの心に打たれ、気づけば彼女の頭を小動物のように撫でていた。


「キヌアは偉いね」


「えへへ、そのためにも一杯お勉強しなきゃいけないんですけど、わたしの家って中々その余裕がなくて……アキラさんは、将来の夢ってあるんですか?」


 問われた俺は少し答えに詰まる。

 というのも、冒頭で述べたように、俺は将来に対してこれといった志を持たぬまま、ただ流れるままに学業に勤しんできた。

 それだけに明確な夢を語る彼女が眩しく見え、彼女の疑問に答えるだけのものを持ち合わせていなかった俺は、静かに首を横に振るだけだった。


「俺も含めてだけど、俺の周囲にキヌアのように胸を張って夢を語れる奴はいなかったよ。そりゃ小学校のときは叶いもしない夢を作文したものだけど、中学、高校と進むうちに段々と夢なんてものが遠のいて――ん?」


 半ばまで話したところで、俺はキヌアが目を丸くして俺を見つめていることに気がついた。

 それは昼間のような観察眼ではなく、どちらかといえば、驚愕だとか驚嘆だとか、そういった類の視線だった。

 手から零れ落ちたクモーネがスカートを濡らしていることにも気がついていない。


「な、なに? 俺なんか変なこと言った?」


「あの、わたし、聞き間違ったかもしれないんですけど、アキラさんって、学校に行ってたんですか?」


「え? ま、まあ、そりゃね。小学校、中学校、高等学校って進んで、最後は大学に行くのが大半だけど……それがどうかしたの?」


 するとキヌアは俺の手を握って顔をグッと寄せてきた。


「どうかしたって凄いじゃないですか! アキラさんってもしかして、すっっっごく頭が良い人なんですか? いえ、良いに決まってます! だって高等学校ですよ? わたしなんて小学校を出てからお金が無くてずっとお家で勉強してるんですから! それで将来の夢が無いってどういうことなんですか!? よりどりみどりじゃないですか!」


 言い寄られて俺は目から鱗が落ちる思いがした。

 今までは義務教育と受験が当たり前だったが、彼女のように、事情によって勉学が出来ない者も大勢いる。

 軽率な言葉で彼女に不快感を与えたのではないかと危惧きぐして詫びると、彼女はにこりと笑んで掴んでいた俺の手を放して言った。


「大丈夫です! アキラさんも、いつかきっと、ご自分の夢を見つけることが出来ますよ。わたし、応援してますよ? だってアキラさんは、わたしたちの導き手なんですから」


 今日だけで一体何度俺のことを導き手だとか救世主だとか呼ばれたのだろう。

 ため息が出そうになる。

 たかが学生にそんな多大な期待を寄せられて、いざ無理でしたとなったとき、一体どうなってしまうのか、考えただけでも気が滅入る。

 古今の歴史に名を残した偉人たちも同じ悩みを抱えていたのだろうか。

 そもそも俺は元の世界に戻ることは出来るのか。

 それすら定かでないフワフワとした状態で導き手だの救世主だの、我こそはと思う者がいたら是非役目を差し上げたいものである。


「と、かなり月が高くなったな。あまり長く外にいるとメイスさんが心配する……」


「そうですね。お祭りもそろそろ静かになってますし、帰りましょうか」

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