③ 少年王
すっかり伸びてしまった袖に嘆く俺も、キヌアに続いて町中を歩くごとに、そのような些細なことなどすっかり忘れた。
王都は大きく分けて四つの地区がある。
人々が寝泊まりする居住区、露店が立ち並ぶ商業区、食料を生産している農業区、海に面した港湾区だ。その中央に件の城が鎮座し、北東に位置する丘の森に大神殿がある。
キヌアの献身的な案内も然ることながら、すれ違う都の人々は見慣れぬ風体の俺を何処からやってきた旅人と思ったのか、誰もが気さくに声をかけてくれた。
また、都の台所である商業区の市場ではこんなこともあった。
数多の露店が立ち並ぶ市場には各地から運ばれてきた種々の食べ物や工芸品が並べられていたのだが、当然のことだが俺は見たことも無いものばかりで、果物屋の老婆がしきりに勧めてくる紫色の丸い果実を前に俺はどうすればいいか分からずに狼狽えてしまう。
すると老婆は自らの手で果物の皮を剥いて半分に割り、その片割れを目の前で食べてみせた。
実際に食べている姿を見ると俺も幾分か安心し、受け取って齧ってみると、なんとも甘美な味わいが溢れ出る果汁と共に舌の上でとろけるではないか。
名を聞くと、その果実は【ポルク】といって、この国の特産であるらしい。
今までに味わったことがない旨さに心を弾ませたのも束の間、俺は自分が無一文であることにはたと気づき、逃げるわけにもいかず、正直に老婆へ打ち明けて頭を下げた。
すると、老婆はニコニコと笑いながらよく熟れたポルクを俺に手渡してくれた。
聞けば、遥々遠い地から訪れた俺へのプレゼントとのことで、それでは悪いと何度言っても老婆は俺の手にポルクを握らせて次なる客の相手に勤しんだ。
キヌアもポルクは大好物というので、せっかくなので市場の外れに設けられたベンチに腰を下ろして二人並んで食べることにした。
「この街の人たちは、皆、親切なんだなぁ」
俺がしみじみとつぶやくと、キヌアは少し自慢げに胸を張る。
「はいっ! それもこれも、ルミエル様の御教のおかげです」
「ルミエル様? ああ、あの白翼の女神のこと? 神殿の祭壇に祀られていた」
「そうです。わたしたち光の民は、ルミエル様によって創り出されました。なので、ルミエル様はわたしたち光の民の、お母さんみたいなものです。善いことをすれば、それだけルミエル様から御加護を頂くことが出来ます。だから、みんな優しく生きようって決めているんです」
いたく信心深いキヌアは、手を組んで頭上に輝く太陽へ感謝の祈りを捧げていた。
いや、キヌアだけでなく、この街に暮らす者たちはすべからくルミエル信仰が篤い。
俺が生死の狭間で見た白い光がそのルミエル本人なのかどうか、当時の俺に確証はもてなかったが、なんとなく、そうだったのだろうという気持ちだけは心に浮かんでいた。
わざわざ自分の姿を祭り上げた神殿に俺を寝かせるあたり、あまり良い性格とも思えない。
それは俺が完全な余所者だから考えられたのだろう。
少なくとも生まれた瞬間からルミエルの信仰の中で生きてきたキヌアたちには、とても出来ないはずだ。
ともあれその信仰のおかげで俺は救われたのだから、心の中で不満をつぶやくのは止めにした。
ふと隣に座るキヌアに視線を戻すと、こちらのことを興味深そうに覗き込んでくる彼女の視線と重なった。
「顔に何か付いてる?」
反射的に手で頬を撫でると、彼女は少し可笑しそうに頬を緩めた。
「いえ、異世界から来た人というからどんな人なのかなって思ってましたけど、アキラさんもわたしたちとあまり変わらないみたいで、ちょっと安心しました。もしアキラさんに尻尾が生えていたり、ドロドロの姿だったりしたら、わたし、怖くて泣いちゃうところでしたもん」
世界は違えど考えることは一緒のようだ。
俺から見ても、彼女たちから見ても、互いに未知の世界で生きてきた。
明るく振る舞っているようで、内心では俺のことを得体の知れない存在だと不安に思っていたに違いない。
俺とてそうだ。
そのことを打ち明けると、彼女は心外だと言わんばかりに頬を膨らませた。
そして、共に腹を抱えて笑いあった。
街中を歩くと、時折、腰のベルトに剣を吊るした兵士とすれ違うことがあった。
背に蒼いマントを纏い、鎖帷子の上に赤い軍服を着ていた。
彼らは俺が今まで生きてきた世界に於ける警察のような存在らしく、路地裏に屯している若者や昼間から飲んだくれている男を見つけると睨みを効かせていた。
見慣れない人間である俺の方も訝しげに見つめてきたが、すぐ側でキヌアが俺の手を引いていたので特に咎められることはなかった。
警察にせよ兵士にせよ、疑惑の目を向けられるというのはあまり気分がいいものではない。
「気にしなくても大丈夫ですよ? 兵隊さんたちも、お仕事ですから。いつも怖い顔をしていたら疲れちゃいますし」
と、キヌアは両手の人差し指で目の端を吊り上げてみせた。
愛らしい仕草に俺の心が温まる。
こういう気持ちを、いわゆる萌えというのだろうか。
その後も暫く街中を連れ立って歩いていると、兵士の一人がこちらを見つけるや駆け足で歩み寄ってきて、メイスからの伝言を告げてくれた。
城で歓迎の準備が整ったのだという。
兵士の先導に従い、俺とキヌアは銀雪城の巨大な門に向かってメインストリートを進む。
其の頃には街中で俺のことが話題になっていた。
異国から珍しい旅人がやってきている、と。
メインストリートを歩く度に、人々の好奇心を孕んだ視線を受けた。
気恥ずかしいあまり少し俯いた。
異国どころか異なる世界からやってきたのだ、と彼らが知ったらどれほど驚くことだろう。
丘の上から遠目に見ても巨大であった城の門前に至ったとき、俺達は首が痛くなるほど視線を上へ向けていた。
いや、少なくともキヌアはそれを知っているはずであったのに、俺に合わせて聳え立つ門を見上げていたのだ。
門の前には槍を持った番兵がおり、すぐに城の門が開かれた。
低く軋んだ音を響かせながら城門が左右に開かれると、色とりどりの花々が咲き乱れる庭園に囲まれた道が真っ直ぐ続き、その両脇に、城の兵士やエプロンドレスを着込んだ使用人と思しき少女たちが整然と並んでいた。
更には軍楽隊により楽器の甲高い音色が鳴り、想像以上の熱烈な歓迎ぶりにすっかり怖気づいた俺の目の前に、再びメイスが現れた。
「コホン、改めまして、国王陛下に成り代わり歓迎申し上げます。ようこそ、アキラ殿。都見物は愉しんで頂けましたか? 気に入って頂けたのなら幸いなのですが」
「え、ええ。キヌアの案内のおかげで、とても」
「それはそれは。キヌアさん、ご苦労様でした。あとでご褒美を差し上げますからね。アキラ殿、ささ、こちらへ。国王陛下がお待ちです」
国王と聞いて俺は少し身構えた。
今日来たばかりの得体の知れない者が、いきなり国のトップと面会して良いものなのだろうか?
そのことをメイスに尋ねると、彼はただ大丈夫ですと言うばかりだった。
何か彼には確信めいた思いがあるようで、同時に、俺に対する期待感のようなものも言葉の端々から感じられた。
燭台が幾つも置かれた廊下を歩き、石造りの階段を上がっていく間、俺は彼が何故ここまで俺に期待感を示しているのかわからなかった。
国王がいる玉座の間は城の三階にあり、レッドカーペットが敷かれた廊下の先に木製の扉で隔てられている。
そしてメイスの手によって扉が開かれると、瑠璃や琥珀などで装飾された円柱によって支えられた広い部屋が広がっていた。
その奥に黄金の玉座があり、しかしながら、其処にいるべき王の姿はみられなかった。
メイスは俺を玉座の前で立たせ、彼自身は玉座の脇の方へ控えて俺のことを笑顔で見守っていた。
だが俺はこれから王に会うことになると考えると、小心なことに、額に脂汗が滲み出し、手足が小刻みに震えそうになる。
出来れば顔を洗って緊張を解したかったのだが、程なくして、衛兵が国王の到来を大きな声で告げてきた。
「カルナイン王国国王【シクルス】陛下、御降臨!」
途端に一同が深く頭を垂れ、俺もつられて腰を曲げた。
こういうとき、起立の礼で良かったのか、それとも跪くべきだったのか、俺は緊張のあまり判断する余裕はなかった。
ただ、シクルス国王の衣が床に擦れる音が玉座の前で止まるまで聞き耳を立て、やがて部屋の中にか細い声が響いた。
「異界から来訪した旅人よ、面を上げても良いよ」
「へっ?」
俺は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
反射的に顔を上げると、玉座に腰掛けていたのは、俺よりも遥かに年下であろう少年だった。
彼は短く滑らかな金髪が生えた小さな頭にはおよそ分不相応な大きさの王冠を被り、いやあの場合は被られているといったほうがしっくりくるのだが、女児と見紛うばかりに華奢な胸に幾多も勲章をつけ、白と蒼を基調とした壮麗な衣とマントで着飾っていた。
俺は国王といえば威厳のある、少なくとも青年か壮年の男性であろうと勝手に思い込んでいた。
しかし俺の目の前にいるのは、俺が漏らした間抜けな声に少し吃驚している少年王。
互いに驚いて固まっている妙な空気にメイスは口元を指で押さえて笑いをこらえていた。
してやったり、といった風で、どうやら俺が国王の容姿に驚く様を狙っていたらしい。
何とも意地の悪い性格だ。
一方で、彼の周囲にいる王国の重臣たちもまた、俺が年端もいかぬ若造であったことに驚愕しているようだった。
彼らもまた、メイスが言うところの次元の旅人について、俺と同じように頼もしい武者か騎士が来るとでも勝手に期待していたのだろう。
その空気を予見していたメイスが、すかさず王に歩み寄って皆に聞こえるように口を開く。
「シクルス陛下、そして重臣のお歴々、この御仁こそ我らが待ち望んでいた次元の旅人、アキラ殿であります。創造神ルミエル様の使徒を、我々は心より歓迎せねばなりません」
すると、不満を隠しきれない重臣の一人がメイスに食って掛かった。
「神官長殿、今何と仰ったか、私には聞こえませなんだぞ。よもや、このような、いや失礼、彼の如き若者が我らを救い給う使徒と言われるのか?」
「左様です。ご覧なさい、彼が纏う異国の服装を。そして彼の左手には古文書の通り【火の刻印】がしかと御座います。しかも、彼は大神殿の祭壇の前に、何の前触れもなく現れた。創造神ルミエル様の御前に、です。これを以ってして尚も否定なさるというのですか?」
メイスは「失礼」と一言断った上で俺の左手を取ると、手のひらに刻まれた紋様を皆に見せつけた。
「これこそ創造神ルミエル様が造り給うた火の守護者の証! かのアキラ殿こそ、やがて再臨する冥王を倒し、この世に真の光をもたらす救世の導き手に相違ありません!」
「ええっ!」
ここにきて俺は事の次第を漸く理解した。
そのときの衝撃たるや、言葉ではとても言い表すことが出来ない。
俺はあろうことか、世界を救う救世主という使命を背負わされてしまったのだから……。