② 紅髪の少女
暫く時を経た後、漸く気だるさも軽くなった頃合いに、神殿の正門が開かれた。
反射的に顔を向けてみれば、巫女の傍らに、長身の男性がいた。
収まりの悪い白髪だが年は決して老いているわけではなく、実年齢を悟らせない艶のある肌が健康的で、小さな鼻眼鏡が掛けられた灰色の目が理知的で静寂な雰囲気を醸し出していた。
また、手には身の丈ほどもある太陽を象った細長い杖を握り、裾の長い衣も何処と無く巫女の其れと似ており、どうやら彼もまたこの神殿の関係者らしい。
歩み寄って来る二人に対し、こちらも起立して軽く会釈をすると男性は恭しく礼を返し、巫女とは打って変わって穏やかな口調で言葉を紡ぎ始めた。
「お初にお目にかかります。私はこの大神殿の神官長を務めております、名を【メイス】と申す者。願わくば、貴方様のお名前を教えて頂けませんか?」
「……日守、暁良です。あ、暁良のほうが名前です」
彼らにしてみれば、如何にも東洋的な、それ以前に異界からやってきた俺の名は、さぞ耳に馴染まなかったことだろう。
メイスは顎に手を当てて幾度も俺の名を繰り返し呟き、また、俺が着ていた襟付きシャツや黒い学生ズボンなどを知的好奇心旺盛な目で観察し、更に手に刻まれた紋様を確認したことで、得心したように頷く。
「アキラ殿、次元の旅人よ、よくぞ我らがカルナイン王国へ。いえ、我らの世界へ。この日をどれほど待ちわびていたことか。私は心から歓迎します。ようこそ、重ねて、ようこそ」
両の手で俺の手を握るメイスの喜びたるや、まともに彼の顔を見れぬほどに気恥ずかしさを覚えるものだった。
目尻にうっすらと嬉し涙さえ浮かべていた。
俺は未だメイスが何故に歓喜に打ちひしがれているのか知るよしも無かったが、敵意を向けられるよりは遥かにマシで、彼の手の温もりが狼狽する俺に安心感を与えてくれた。
程なくしてメイスは半身を退き、控えていた巫女の背を手で押してこちらへ歩ませる。
「先ほど面識を持たれたようですが、恐らく彼女から自己紹介を受けていないことでしょう。色々と無礼があったと推察しますが、どうか許してあげてください」
「そ、そんな、俺のほうこそ、つい声を荒げてしまって……」
「いいえ、無理もないことです。アキラ殿が気にすることはありません。此処は貴方から見れば全く別の世界、別の土地。困惑なさるのも致し方なきこと。さ、貴女も改めてご挨拶なさい」
促された彼女は不承不承に己の名を告げる。
「……【ミオ】よ。別に、忘れてくれていいから。メイス様、私は仕事があるのでこれで失礼します」
会釈の後に踵を返したミオは足早に神殿の奥へ引っ込んでしまった。
二人して彼女が音を立てて扉を閉めたのを見て、ふとメイスの顔を伺うと、彼はさも困ったように唸りながら髪を撫でていた。
「重ね重ね、すみません。彼女はどうにも他人に心を開いてくれないのです。本当はとても優しくて善い子なのですが……と、立ち話が過ぎましたね。ここは少々肌寒い。日の温もりがある外へ参りましょう。ご案内致しますので、ご同行願います」
メイスに連れられて神殿の外に出ると、太陽の輝きに一瞬目が眩む。
その次には濃厚な緑の香りが俺の鼻をくすぐり、耳には小鳥たちの陽気な囀りも聞こえてきた。
徐々に眩んでいた視界が明瞭になると、そこが森の中であることに気づく。
背後を振り返れば今しがたまでいた神殿が拓けた場所に佇んでおり、不意に、神殿の上部に設けられた鐘が低く鳴り響く。
「正午を告げる鐘です。毎日、彼女が鳴らしてくれているのですよ?」
気を利かせてくれたメイスの説明に納得し、俺は彼の背を追う形で神殿からまっすぐ伸びる石畳の小道を進む。
生い茂る木々と葉によって薄暗い道が、徐々に太陽の黄金の輝きによって照らされ、間もなく俺とメイスは小高い丘の上に出た。
森は丘の上にあったのだ。
そして俺は眼下に広がる光景に心を失う。
街があった。
家々は真紅のレンガによって造られていた。
白い石畳の街路には多くの人々が行き交い、あるいは井戸端で婦人たちが談笑をし、商人らは店頭に商品を並べ、はたまた街の警備を担う兵士が腰に剣を吊るして歩き回っていた。
誰の顔にも笑顔が溢れ、耳を澄ませば何処からでも笑い声が聞こえてきそうだった。
更に視線を街の奥に移していくと、紅いレンガの家屋とは対照的な、純白の城壁に囲まれた城が見えた。
城には天高く聳える塔が幾つもあり、どうやら、この街は国の中心地であることが伺える。
俺の乏しい知識で照らし合わせてみると、風景や文化は凡そ西洋の其れに近いように思えた。
もっとも、石造りの建物だとか、女性の衣装が洋服に近い丈の長いスカートとドレスだとか、その程度の類似点からの連想にすぎない。
確かに言えることは、彼らには確かな文明と文化の中で生を謳歌しているということ。
思わず、感嘆の吐息を漏らした。
鉄とコンクリートに覆われた現代社会に慣れた俺にとって、その空気の旨さたるや、また人々の朗らかさたるや、形容し難い程の高揚感が俺の胸を踊らせた。
感動のあまり呆けている俺の隣では、メイスが誇らしげに街の説明をしていた。
此処は【カルナイン王国】と呼ばれる小国であり、かの街は王国の都たる【カルリス】という。
そして、王国の象徴であるかの純白の城は【銀雪城】と呼ばれており、王冠を戴く国王が国を治めている。
勿論カルナイン王国などという国名は聞いたことがなく、この地が俺が育ってきた世界とは違うと頭では分かっていたのだが、如何せんミオといいメイスといい髪の色が独特なことを除けば人間といっていい姿をしているので違和感もあまり無かった。
むしろ、そのときの俺は、ちょっとした外国旅行をしているような浮かれた気分に浸っていたのだ。
仮に、彼らの姿が人間とは似ても似つかぬ姿……たとえば尻尾があるだとか液状だとか、こちらの理性を崩壊させるような異形の生物であったとしたら、俺は恥も外聞もなく泣き叫んで逃げ回っていたことだろう。
そういう意味では随分と幸運であった。
時間を忘れて異界の人々の営みを高みの見物に興じていた俺は、ふと、こちらの丘を登ってくる人影に気がついた。
踊るように軽やかな足取りで坂を登ってくる少女は、一体何者であろうか。
紅玉のような赤い髪は頬の辺りまで伸びたところで外に跳ねており、また彼女の瞳は翠玉の輝きであった。
少女は髪の色と同じく赤い襟付きのシャツの上に黄色い上着を羽織り、また腰には八枚の花弁を模した白いスカートを穿いていた。
はじめの内は距離が離れているから小さく見えるのかと思ったが、彼女が鼻歌交じりにこちらへ寄ってくると、事実彼女は小柄であった。
いくら背筋を伸ばしてみても、頭頂部は俺の胸に達するかどうかといったくらいだった。
予てから既知であったのか、メイスをその翠色の瞳に捉えた少女は礼儀正しくお辞儀をする。
「こんにちは、メイスさま」
「はい、こんにちは。これから礼拝ですか? 毎日、感心なことです。ああ、丁度良かった。アキラ殿に紹介しておきましょうか――」
そう言ったメイスは、少女の小さな肩を引き寄せて俺の前に立たせる。
「こちらは都の郊外に住む子で、名を【キヌア】さんといいます」
「は、はじめまして! キヌアといいます! よろしくおねがいしますね?」
少しオドオドした素振りで同じようにお辞儀をしてくれた彼女に対し、俺も畏まって礼を返す。
元気がよく、純真さに溢れる言葉には淀みや含みといったものは一切感じさせない、キヌアが持つ温かみがひしひしと伝わってきた。
無垢、というのはまさにこのことをいうのだろう。
「俺は、暁良という。こちらこそ、宜しく」
「はい! えと、ア、ア……アク……」
中々発音出来ないのか、キヌアは小さく俺の名前を何度も呟き、不安そうな上目遣いでこちらを伺い始め――
「ア……アクィラさんでよかったですか!?」
と、ものの見事に名前を改変されてしまった。
メイスは堪らず手の甲で口元を押さえて喉で笑っていた。
「ふふふ、いや、アキラ殿、どうか彼女を許してあげてください。キヌアさん、驚かないで聞いてほしいのですが、何を隠そう、彼は我々が待ち望んだ次元の旅人に他ならぬのです」
途端にキヌアは目を真ん丸くして俺の顔をまざまざと見つめてきた。
「ふぇ!? そ、そうなんですか? アクィラさん!」
「むむむ……」
俺はといえば、それから何度も自分の名前を彼女に言い聞かせて、なるべく正しい発音になるまで訂正することに労を惜しまなかった。
彼ら風にすればそうなるのであろうが、少なくとも、日守アクィラなどと名乗ることだけは避けねばならないと俺も必死だった。
おかげで彼女もなんとか俺のことをたどたどしくもアキラと呼べるに至ったのである。
「ふぇ、ごめんなさい、アキラさん」
しゅんとするキヌアに俺も怒る気は起きず、また非礼とも思わなかったのですぐに許すと、彼女はすぐに元の通り輝かしい笑みを取り戻した。
機を見てメイスが俺たち二人の肩に手を置く。
「キヌアさん、礼拝に向かう途上で申し訳ないのですが、彼に都を案内して頂けませんか? 彼は先程この国に至ったばかりでして、都の素晴らしさを是非知って貰いたいのです。善行を積むには丁度よい機会ですし、創造神ルミエル様もさぞお褒めになることでありましょう」
「はい! わかりました、メイス様! さあ、アキラさん、わたしについてきてください!」
キヌアは俺の袖を掴むや一気に走り出し、丘を下っていく。
その間、俺はあらん限りの声量で「袖が伸びる!」と叫びまくったのだが、結局彼女の耳に入ることは無かった。