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② 用心棒

 難儀した山越えだったが、誰も怪我などせずに反対側へ下りられたのはまさに僥倖ぎょうこうだった。

 大神殿の御守のご利益も、あながちバカにはならない。

 目的地まであと一歩のところまで至ると、山から流れ出した水が川となって草原の中を流れており、植物や動物たちを育んでいた。

 俺たちもその川辺を辿って、時折水の中から跳ねる魚を見つけては、キヌアは楽しそうにはしゃいでいた。


 ナイトもここまで来れば港町まで迷うことはないと言って水晶玉を懐にしまい込み、ピクニックよろしく花々の香りや葉の間を駆け回る小さな動物たちと戯れていた。

 鳥も野ネズミたちも、ナイトのローブの中に潜り込んだり、肩に止まって羽を休めたりして、恐れる様子が無い。

 逆に俺がいくら手を差し出しても小憎たらしいことに逃げられてばかりで、一体俺と彼との差は何なのかと微妙な気分になったものだ。


 しばらく川沿いに歩いていくと、彼方に広大な水の世界が広がっていた。

 俺はてっきりアレは海かと思っていたのだが、かといって潮の香りはせず、ナイトに尋ねてみたところによれば、アレは海ではなく巨大な湖とのことだった。

 その湖畔こはんに目的地たる港町【ルポール】がある。

 海ではなく湖に面した港町とはまた新鮮な印象を受け、懐に仕舞い込んだ少年王の親書を何度か手で触って有ることを確かめ、街の入口に向けて歩を進めた。


 都を発って何度昼と夜を迎えたことか。

 いざ目的地を前にすると何とも言えない達成感と安心感が俺の胸にこみ上げた。

 街に近づくにつれて湖面から吹いてくる涼しい風が旅の疲れを慰めてくれる。

 また白い水鳥の群れが頭上を旋回して、街を訪れる旅人たちを迎えてくれた。

 ルポールの町並みは都のような石造りではなく、その多くが木造建築だ。

 大抵は岸に建てられているが、桟橋や一部の施設は水面上に柱で支えられ、街を取り仕切る貴族の館はその中でも一際大きな三階建ての石造りであった。


 桟橋には漁に使う小舟が多く停泊しており、住人のほとんどが漁師であったり、もしくは魚を加工する仕事に勤しんでいた。

 ともすれば自然と街の名物も、魚の塩漬けや燻製などが主になってくる。俺は店先に吊るされた種々の干物を見て涎が溢れたが、まずはシクルスから預かった仕事をこなすべきだと気を引き締め、領主の館へと足を運んだ。

 門を守る衛兵に事の次第を伝え、間もなく玄関から執事らしき初老の男性が出てきた。


「使者殿、遠路遥々お疲れ様でした。主は早速にも謁見したいと申しておりますので、どうぞ中へ。ご案内致します。お連れの方もどうぞ。ああ、それと、失礼ながら武器の類はこちらで預からせて頂きます」


 執事は使用人に白い布をもたせ、俺は彼の言に従って腰の緋煉剣エルプシオンをベルトから外し、預けた。

 また武器ではないがキヌアも携えていた杖を渡し、ナイトも用心のためということでローブの中に仕込みがないか簡単に調べられてから入館が許可された。

 この時点で、ここの領主が用心深い人物であることが見て取れる。

 都の城では国王の私室に入るときは別として、基本的に佩剣も認められていたし、また誰かを疑ったり用心することもなかった。

 もっとも、兵士が見張り番をサボるのは如何なものかと思う場面も多々あったのだが。


 広いエントランスから続く階段を上がりながら背後の二人を伺うと、ナイトもやれやれと言いたげに肩をすくめ、キヌアは壁に飾られた絵画や美術品の類に目を奪われていた。

 応接室を兼ねた執務室の前で一旦キヌアたちと別れ、二人にお茶と菓子が供されるのを見届けながら領主の部屋にはいると、まず目についたのは領主自身のものであろう大きな肖像画であった。

 綺羅びやかな礼服を着飾り、ちぢれ毛の金髪に立派な口ひげを蓄え、それでいて子犬のように小さくつぶらな目が何とも対照的だ。

 貴族にとっては当たり前なのかもしれないが、少なくとも俺は自分の写真なり絵なりをこうも自慢げに掲げるのは恥ずかしくてとても真似出来ない。

 そして俺が視線を執務机の方へ流していくと、直前に席を立って両手を広げながら俺の方へ歩み寄ってくる、肖像画とまったく相違ない男が見えた。


「やあやあ、よくぞお越し下さいました。このようにお見苦しい住まいで申し訳ない。私めがルポールを預かるアリストクラッツ男爵で御座います。ささ、おかけください。お飲み物は何がお好きでしょうか。お茶が宜しいかな? いやいや此処は一つ歓迎の意を込めて一献乾杯といきたいところですな。四十五年ものの逸品がございますぞ。私と同い年で、これが何とも言えぬ味わいで――」


 と、アリストクラッツ男爵は行き着く間もない早口と小刻みな仕草で俺を席に座らせ、机の上に置かれたベルを鳴らし、使用人に飲み物を取りに行かせた。

 これでは終始彼のペースに嵌められると危惧した俺は、機を見て懐から親書を取り出して彼に差し出す。


「国王シクルス陛下からの親書です。それと、遅ればせながら、俺はアキラといいます」


「ああ、私としたことが! 都からのお客人と聞き、すっかり興奮して肝心なところを失念しておりましたぞ。確かに頂戴致しました。陛下には、ルポールは変わらず平穏無事である旨をお伝えくだされ。あぁ……」


 男爵は俺の名を呼ぼうとしたが上手く発音できそうもなく、口ごもっていた。

 彼も幾度か俺の名を呟いた後に、多少訛りはあるが覚えてくれた。

 ただ、俺が異界からやってきたことは言わなかった。

 無用の混乱は避けたかったし、なんとなく、この慌てん坊の領主は救世主さまがいらっしゃったと大騒ぎして街中が騒然とすることが目に見えた。


 俺としてはなるべく静かに、誰に注目されることもなく、この街をそれなりに楽しんで都に帰りたいと思っていた。

 故に親書を届ける役目も無事に果たされたので、お茶をご馳走になったら適当な宿でも探して身軽になりたいと考えていたのだが、この領主が中々手ごわかった。

 というのも、わざわざ都から、しかも国王の使節として街を訪れたのだから、今宵はこの館で歓迎の宴をもよおしたいと彼は申し出た。

 礼儀の面から考えてもいたく常識的な御言葉ではあったが、この世界に来た日の夜を否応なしに思い出して気が滅入る。

 正直に言えばありがた迷惑。しかし心遣いを無碍にしたくはない。


 はてさてどう答えたものかと迷っていると、不意に部屋の扉が押し開けられた。

 すぐ外から苛立った執事の声が聞こえ、同時に、一人の青年が執事の叱責を明らかに適当に聞き流しながら扉をピシャリと閉めてしまった。

 髪は淡い緑色で、暴の中に智を隠す灰色の瞳が俺と男爵を舐めるように動く。

 引き締まった肉体は丈の長い青地に派手な金糸で装飾された上着を纏い、手足や胴を銀甲で鎧っていた。

 また額にも鉢金のような防具がついた長布が締められ、明らかに戦うための装備だ。

 腰のベルトには短剣が左右一対に差し込まれている。


 更に目を引いたのが、手に携えられた長さ2メートルほどの銀槍だった。

 穂先は研ぎ澄まされ、柄は飾り気のない無骨な造りで、槍穂の根本に薄紅色の馬の尾のような槍桜が飾られていた。


 自分でも気づかぬうちに彼の一挙一動を観察していたのか、不意に彼と視線が合う。

 そのとき、不思議と心地よい風が部屋の中にどこからともなく吹き込んできたが、俺は呆気にとらえて気にも留めなかった。

 男爵もこれには顔を赤らめ、客人の前で恥をかいたと口から唾を飛ばして彼を叱った。

 青年は面倒くさそうに視線を逸し、俺の方をちらりと盗み見て、無遠慮に口を開いた。


「いやさ見回りの報告をせねばと思い、気を利かせたつもりだったんですがね」


慮外者りょがいものめ! 時をはばからぬか! 使者殿、お気を悪くなさるな。此奴は【ヴィント】と申しまして、私が用心棒として雇った粗暴な傭兵ゆえ、礼儀作法の心得もなく、かように主に無礼な物言いをする……で、何かあったのか?」


「いや、別に何も。まあこんな昼間に盗みに入る輩もいるとは思いませんがね。仮に忍び込んだとしても、こんだけ所狭しとお宝が飾られてちゃぁお持ち帰りされても分かりゃしませんよ。こちとらも腕と足は2本、頭は1個なもんで」


「分かった分かった! 引き続き見回りに務めい」


「承知」


 フンと鼻を鳴らし、傭兵のヴィントは肩に槍を担いで部屋を出ていった。

 直前に俺に向けて不敵な笑みを浮かべたのは、気の所為では無かったと思う。

 だがヴィントは俺にとってある意味で助け舟になった。


「まったくアヤツときたら。なまじ腕が立つだけに調子に乗りおって。お見苦しいところをお見せ致しましたな。ええと、何のお話でしたか、年のせいか最近物忘れが……」


 叱責しっせきした勢いで直前の会話の内容をころりと忘れてしまい、はてと首を傾げる彼に俺はすかさず申し出た。


「せっかくこの美しい湖の街へ来たので、観光がてらに色々と散策したく思います。ついては動きやすい宿を紹介して貰えないでしょうか。連れも疲れているので早く休ませたいのです」


「おお! それは御尤もでございますな。よろしい、この街でも一番の宿に部屋を用意させておきましょうぞ。ただし、夕食だけは当館でお召し上がりくだされ。旅の話をゆるりとお聞きしたいので。料理人たちもさぞ喜びましょう。ルポール自慢の魚料理をご堪能くだされ」


「はは、楽しみにしています。では後ほどに」


 そそくさと応接室から脱した俺は、焼き菓子に舌鼓を打つキヌアたちを連れて館から出た。

 そこで応接室での一件を包み隠さず話し、館を出る際に執事から教えられた件の宿に向かった。

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