⑨ 森の盗賊
火の灯りに照らし出された人影は短弓を携え、その他にも正確な数は分からなかったが、数人の男たちが手に剣やら斧やら、とにかく物騒なものを握りしめて俺たちを囲んでいた。
かといって騎士のような高潔な連中ではない。
下品な風貌、清潔感のかけらもない髭面、そして悪臭。
長らくこの森で生きてきた彼らのマントは酷く汚れ、服にも今まで仕留めてきた獲物の返り血が染み込んでいた。
獲物とは言うまでもなく、旅人や商人である。
俺たちも彼らの獲物となりかけていた。
少しでも妙な動きをすれば、あっという間に身体の至る所に矢が突き刺さり、剣と斧の刃が切り刻んでくるだろう。
だが彼らは俺の身体の秘密を知る由もない。
キヌアは怯え、俺の背後に身を隠した。
一方、ナイトは表情一つ変えずに状況を観察していた。
古森の賊たちは案の定というべきか、俺達に食べ物と金目の物を差し出すように命令してきた。
せめて分けて下さいとお願いしてきたのなら考えないではなかったが、武器を向けられて脅されては、こちらもいい気分にはならない。
森の入口で護衛の営業をした男の言も、あながち嘘ではなかったようだ。
するとナイトが目配せを飛ばしてきた。
向こうが脅してくるなら、こっちも脅しちゃえ、と言いたげな、悪戯っぽい顔を浮かべていた。
そうこうしている間にも、目ざとい賊の一人がナイトの懐で光る水晶玉を見つけ、それをよこせと彼に詰め寄った。
「いやあ、これは大切な商売道具なので……もし良かったら、あなた方の未来を占ってあげましょうか? 今なら特別に無料サービス中ですし」
などと得意の口先で時間を稼ぐ彼を救うべく、俺は恐怖のあまり半ベソをかいているキヌアに伏せているように言い聞かせ、意を決して立ち上がった。
突然動いた俺にすべての鏃と視線が向けられ、誰かが、大人しくしていろと怒鳴った。
俺はミオがくれた御守を握りしめ、叫ぶ。
「悪いことは言わない! 俺達は、ただ森を通りたいだけだ! この場は見逃してくれれば、お互い傷つくことはない! でも、そっちが俺の友人を傷つけるというなら、俺にも考えがあるぞ!」
気の利いた脅し文句が言えれば良かったのだが、当時の俺にはこれだけ言うのが精一杯だった。
当然、賊たちはゲラゲラと下品に笑い飛ばす。
何せ数において圧倒的に向こうが優位で、しかも俺達の姿は、誰が見ても経験が乏しい若者の集まり。
賊たちからすれば格好の獲物に映ったことだろう。
問答するだけ時間の無駄だ、とばかりに賊の頭が指をパチンと鳴らした。
直後、弓の弦が弾かれ、一瞬の風切り音が聞こえるや、俺の胸に矢が突き立った。
「アキラさん!」
キヌアが叫んだ。
無理もない。
目の前で友人が射られれば、誰だって動じる。
このまま背から倒れ、呻きながら息絶えていく。
恐らく賊たちは今までの経験からそう確信していたのだろう。
だが彼らは次の瞬間、驚愕することになった。
俺は一度足元をふらつかせたが、すぐに地面を踏みしめて姿勢を整え、自分の胸に突き刺さった矢を見下ろした。
間もなく傷口から激しい火花が飛び散り、木製の矢は激しく燃え盛って炭となり、やがて砕け散った。
傷口はナイフで試したときのように火によって塞がれ、あとは痛くも痒くも無かった。
賊たちは混乱し、弓持ちは俺に向かって矢を乱発する。
だがその全てが俺の身体に刺さった直後に燃え尽きていく。
彼らが成し遂げたことといえば、俺の服に穴を開けたくらいだったか。
賊たちの視線は完全に俺一人に集中していた。
その間にナイトがキヌアを連れて、大木の根の陰に身を潜めた。
「ナイトさん、アキラさんを助けてあげて下さいよ!」
「ごめん、僕、戦闘は無理」
「そんな! その水晶玉で叩くとか、木の枝で殴るとか出来ませんか?」
「君も可愛い顔してすごいこと考えるんだね?」
なんて会話が小さく耳に聞こえ、二人が安全な場所に隠れていることを確認した後に、俺は腰の緋煉剣を抜いた。
左手で柄を握り、意識を集中して手の内に火を灯すと、燃え盛る炎が刃へ渦を巻きながら伝わって緋色に染まっていった。
暗闇に包まれた森の中で輝く緋い刃は、それだけで賊たちに威圧感を与えていた。
「ば、化物だ!」
「怯むな! かかれ! かかれ!」
恐れおののく手下たちを叱咤する賊の頭は、自ら斧を握って俺に飛びかかってきた。
「っ、バカ野郎!」
逃げてくれれば良かった。
いや、そう願っていた。
俺のことを化物でも怪物でも、何でもいいから敵わない相手と判断し、互いに傷つかないまま事が収まってくれと祈っていた。
だが敵は俺に向かってきた。
斧の刃が俺の肩に食い込むが、やはり火が噴き出して傷が塞がっていく。
このままでは俺ではなく、側に隠れているナイトやキヌアに凶器が向けられるかもしれない。
そう判断せざるを得ず、俺は間合いを詰め、頭の懐に踏み込むと、剣を真横に薙いだ。
高熱を帯びた切っ先が頭の腹部を、まるで水を切るように呆気ない手応えで切り裂き、血と腸が焼け焦げながら溢れ出して地面に倒れ伏した。
指揮者を失った賊たちは散り散りに遁走していき、俺は自らの手で命を奪ったことへの恐れから、崩れ落ちるように膝をつく。
手に握りしめた剣の柄を放すことが出来ず、呼吸は乱れ、鼓動が激しく高鳴り、吐き気がこみ上げ、息絶えた頭の無残な姿を涙が溢れる眼で凝視した。
殺った、殺ってしまった……。
もっと良い方法があったのではないか。
誰も傷つかず、誰も死なずに済む、賢い選択が残されていたのではないか。
そんな考えが次から次へと俺の頭の中を駆け巡り、目の前が真っ白になりかけたとき、背後から駆け寄ってきたキヌアが俺の肩に抱きついた。
「アキラさん……っ」
言いたいことがありすぎて言葉にならない彼女の抱擁で、俺は先ずやるべきことを思い出した。
二人は無事だった。
傷一つ負ってはおらず、むしろ、キヌアは矢傷が無いかとしきりに俺の身体を弄っていた。
無論、俺の身体には傷跡すら残っていない。
そのことにキヌアは目を丸め、しかし俺のことを恐れることは無く、ただただ、俺の無事を喜んでくれた。
一方で、ナイトは事切れた賊の頭の瞼を手で閉じてやり、凶器の斧は地面に埋めていた。
この遺体もやがて森の養分として土に還っていくことだろう。
俺は自らの手で殺めた者の前で、合掌した。
この男が如何なる経緯で賊になったのかは知らないし、彼が実際どういう人間であったのかも、もはや知る術はない。
だが亡くなったからには弔わずにいられなかった。
キヌアは俺の背を訝しげに見つめていた。
彼女の言い分では、相手は人の命を奪うことを何とも思わない悪人なのだから、弔う必要があるのか、というものだった。
確かに彼女の考えもわからないではない。
自業自得といえばそうだし、因果応報といってしまえばそれまで。
ここらも互いの世界における文化の違いなのだろう。
俺は、少なくとも俺が生まれた国では、悪人であっても死者に対して冥福を祈るのが一種の徳なのだと説いた。
彼女は憮然としない様子で、聞こえるか聞こえないかという程に小さな声で遺体を見つめて呟いた。
「あの人も、闇の民だったかもしれないのに……」
俺は聞かなかったことにした。
むしろ、血の匂いを嗅ぎつけて、森に生息する肉食獣が集まってくることのほうが恐ろしかったので、同意見のナイトの先導に従ってその場を離れた。
俺はこの日を忘れることは無いだろう。
否、忘れてはならない。
人生において初めて、自分の手で人の命を奪ったのだから……。




