⑥ 案内人
「やあ、救世主さん。道に御迷いかい?」
思わず閉口した。
声がしたほうにキヌアと共に目を向けると、そこには風にローブとマントを靡かせるアノ占い師が俺たちを見つめていた。
まるでタイミングを見計らっていたかのようで、言い知れぬ気味の悪さも覚えた。
考えてみれば、俺が知る限りにおいて、彼の占いは見事に的中していた。
今度は一体何を言ってくるのかと俺が身構えると、彼は手にしていた水晶玉を袖の中へ仕舞い込んだ。
「今日は別に、占うつもりはないよ。また次の街に行こうと思っていてね。ここでの仕事はもうお終いにすることにしたんだ。たまたま見かけたから声をかけたんだけど、迷惑だったかな?」
「いや、迷惑というわけではないけど……俺達も、これから少し旅に出るところだったし」
すると彼は、俺の言葉を待っていたとばかりに微笑んだ。
「それは嬉しい偶然だね。実はまだ行き先を決めていなかったんだ。良ければ御同行してもいいだろうか?」
やられた、と俺は臍を噛んだ。
余計なことを言った自分のお人好しさを悔やむが、時既に遅し。
さてどうしたものかとキヌアを伺うと、彼女は無言で頷いた。
自分がそうであったからか、それとも都での評判を聞いていたからか、彼も連れて行っていいのではないかと目が語っていた。
俺としては名前も知らない人間を連れていくことに抵抗があったが、それは俺が現代という義理と人情が薄い世界で生まれ育った所為だったのかもしれない。
逆に、慈悲と愛情を崇拝するキヌアからすれば、曲がりなりにも困っている人間を放っておくことが出来なかったのだろう。
「僕は長く各地を放浪してきたから、道案内くらいは出来ると思うけど?」
などと畳み掛けてきた彼に対し、俺は半ば諦めて頷いた。
こうなれば全員道連れにしてくれる、とさえ考えるほどだった。
占い師は浅く一礼した後に、己の名を告げる。
「そういえば、まだ自己紹介をしていなかったね? 僕の名は【ナイト】。改めて言わせて貰えれば、流浪の占い師で御座います。以後、よろしく」
大きな袖の中から差し出された白い手を俺は握り返した。
「日守暁良だ」
「キヌアっていいます。よろしくお願いしますね、ナイトさん」
しかし問題が残る。
つまりは三人分の食料など俺は持っていない。
俺が持っている荷物は一人分だけだった。
三人で分け合うととてもではないが目的地に着くまでに、三人そろって渇ききった日干しになること疑いない。
都から出たばかりならまだ間に合うと二人にそのことについて述べておくと、どうやらキヌアは家から食べ物を持ってきたようで、背嚢に軽くて長持ちする乾パンなどが詰められていた。
またナイトも、自分の分は確保してあるので心配は無用だ、と言った。
見た目には荷物を抱えているようには見えないが、どうもマントとローブの間に収められていたらしい。
流石に流浪の身を名乗るだけあって旅慣れている様子だった。
北の港町ルポールにも既に何度か訪れたことがあるらしく、彼は快く道案内を引き受けてくれた。
先導のナイトが先に立ち、その数歩後ろを、俺とキヌアが並んで続いた。
会話以外で聞こえてくる物音といえば、風と、揺れる草花が擦れ合う微かな囁きだけ。
静かだ。
都の喧騒も、城で忙しく動き回る使用人の足音も、この大草原では一切聞こえない。
ましてや、電車や自動車の騒音に耳が慣れていた俺にとって、その汚れなき空気の旨さも、高き空に輝く太陽の温もりも、全てが清浄だった。
緑の香り、土の匂い、呼吸の度に心の垢が洗い流されていくようだ。
鉄とコンクリートで塗り固められた自分の世界が如何に息苦しく、不浄で、不毛の地であったかを思い知らされた。
たとえ深い山奥に逃れたとしても、あるいは人気のない無人島に渡ったとしても、あまねく地上を見下ろす空は隅々まで黒煙によって穢されているのだから。
かつては迷える人類を導いた星々の輝きは霞み、代わって地上の科学に人々は羽虫のように群がった。
太古の叡智は忘れ去られ、目新しい物を貪欲に求め、盲目のように物事の真理さえ見失っていく。
この異世界に於いては、俺が正にその不毛の世界の代表者であった。
キヌアたちにとっては何の変哲も驚きも無い風景が、俺にとっては、まるで空想の絵画の中に迷い込んだかのような衝撃と感動をもたらしていた。
願わくばこの世界が機械と蒸気と油によって灰色に染まらないことを祈ってやまなかった。
あるいはあの灰色の大地こそ、人間の心の穢れの色そのものだったのかもしれない。




