② 故郷の味
そして迎えた二度目の安息日、俺はまたしてもキヌアの家にお邪魔した。
「へえ、便利なものだねえ」
俺の左手から迸る火が竈の薪に燃え移り、煮え立つ鍋を前にして、ミーテがいたく感心げな声を響かせた。
流石は都随一の肝っ玉母ちゃんだけあって、人の手から火が出ても動じる様子が皆無だった。
一方、傍らで見守るキヌアは両手で口元を押さえて目を丸めており、俺としては、順当なキヌアの反応のほうが有難かった。
キヌアは俺の安否を気遣って、いつも手紙を送ってくれていた。
手紙など通さずともすぐに城の外に出て会えれば良かったのだが、身体が回復してからというもの、いつも城の中にいたので中々外に出る機会も恵まれ無かった。
ただ、そのやり取りの中で、次の安息日には是非とも快気祝いをしたいので、また家で食事をしましょう、という誘いがあり、俺は快く応じて再び彼女の家の扉をくぐったわけだ。
良い機会なのでミオも一応は誘ってみたのだが、どうも彼女はその時、俺が壊してしまった神殿の片付けや修理に勤しむ大工たちの世話で忙しく離れられないとの返事があったので諦めた。
そこで俺は自分の力が何か役に立たないかと考えた末に、竈に火を灯すことにした。
料理を作る前に、俺はミーテやキヌアから、何か食べたいものは無いか、と聞かれた。
本音を言ってしまえば米の飯と鰹出汁が利いた味噌汁にありつきたい。
禁断症状とまでは言わないが、毎日毎日パンばかりで少し嫌気が差していた。
が、生憎とこの世界に米も味噌も存在しなかった。
幸いであったのは小麦の他に大麦があったことで、ならば麦の飯があればこれほど嬉しいことはないと思いたち、ミーテに台所を貸してほしいと頼み込んだ。
彼女は快諾してくれた。
遠く離れた地で心細くなっている俺のため、少しでも故郷の味に近づけようと、しきりにどんな味だったのか、またどんな材料を使っていたのか、などを事細かに聞いてきた。
臼で挽き割った大麦が水と共に鍋に注がれ、白い炊煙を立ち昇らせる。
二人は興味深げに麦飯を仕上げる俺の背を見ていた。
彼女たちにとって麦とは粉にしてパンや麺を作るための素材であり、精麦したままを粥にして食べる風習は珍しかったようだ。
赤ん坊や老人、または凶作で食べ物が少なくなった時は、具が溶けるまで煮込んだスープを食べるのだと教わった。
故に彼女たちは鍋の中で炊かれていく麦の香りに唾を飲んでいた。
期待半分、不安半分といったところだったか。
炊き上がった頃合いを見計らってサラダ用の大さじで麦飯を混ぜてみると、底の方からおこげも出てきた。
口の中に唾液が溢れ、白米のような粘り気はなく飯粒がパラパラとしてはいるが、それでも飯であることに変わりはない。
おかずには当日の朝に港に揚がったばかりの新鮮な白身魚の塩焼き、また市場の八百屋で揃えた菜ものをサッと茹でで冷水で締めた御浸し、塩で味をつけた炒り卵、そしてミーテの家で漬けられていたピクルスといった具合だ。
味噌や醤油が無いので完全再現とまではいかないが、それでもかなり日本の食卓に近しくはなったと満足したものだ。
「いただきまーす!」
せっかくなので適当な枯れ枝を削って箸も作った。
キヌアとミーテは使い慣れたスプーンやフォークを使っていたが、やはり日本人の手には箸が馴染む。
料理の前で合掌一礼し、塩をふった麦飯の椀を取って一口頬張ったときの感動ときたら忘れられない。
旨かった、ただ、旨かった。
二人もはじめは舐めるように味を確かめていたが、すぐに口いっぱいに飯を運び、気づけば俺達は黙々と食べ、魚の身をほじっていた。
飯を食い、彼女らと言葉を交わしていると、俺はまだ人間でいられる気がした。
もはや元の世界に戻ることは叶うまい。
戻ったところで、そこはもう、俺がいるべき世界ではないのだろう。
寂しくはあるが、心細くは無い。
なにせ有難くも俺は友を得た。
ミオの閉ざされた心を開き、彼女を苦しみから解き放つことが出来ただけでも、この世界に招かれた甲斐があるというもの。
「アキラさん? どうかしたんですか?」
顔に憂いが浮かんでいたのか、満腹になって顔が緩んでいたキヌアが覗き込んできた。
「いや、何でもないよ。それより美味かったな?」
「はい! ええと、麦ご飯でしたよね? アキラさんの世界のお料理が食べられて、とっても嬉しかったです!」
キヌアの屈託のない笑みは、いつも俺の心を癒やしてくれる。
また、そんな俺達を傍から眺めるミーテも満更ではない様子だった。




