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輝炎救世譚―ある異世界転移者の回想録―  作者: コウヤ
第2章 炎を纏う者
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⑧ 開花

 瞼を開けたのはそれから3日後、5月10日の朝だった。

 俺は城の部屋でベッドに寝ており、額には熱冷ましの濡れタオルが掛けられていた。

 微睡まどろむ意識で記憶の引き出しを漁ってみるも、どうも曖昧あいまいでハッキリとしなかった。

 覚えていたのはキヌアの家で過ごした時間と、大神殿でミオの過去を打ち明けられたあたりまでで、其処から先がすっぽりと抜け落ちていた。


 ただ身体の変化についてはすぐに気がついた。


 というのも、左手の刻印が淡く赤色の光を放っていたからだ。

 何だこれはと思いながら左手に意識を集中させると、何故か脳裏に小さな火が灯るイメージが浮かび上がり、徐々に火の勢いが大きくなったので意識を振り払うと、刻印が描かれた手の平から小さな炎が一瞬燃え上がった。

 俺はまだ夢を見ているのかと頬をつねったが、痛みが走って現実であることを受け止め、暫し光る刻印を眺めた。

 それから唸りながら髪の毛を掻きむしって何とか思い出そうと試みるも徒労に終わり、ならば誰かに聞こうと横たえていた身体を起こすと、ベッドにもたれ掛かるようにして寝息を立てるバレッドの頭があった。

 生真面目な彼女が眠りこけているところを見るに、どうやら夜通し看病をしてくれたようだ。

 俺は起こさないように指で彼女の前髪を撫でて礼を言い、静かにベッドを出て着替えを済ませ、バレッドの背にシーツを被せてからメイスの部屋に赴いた。


 ノックをして自分の名を名乗ると、すぐさま扉が開かれ、ほぼ同時に互いの口から「一体あのとき何があったのか」と声が重なった。

 俺もメイスもキョトンとした後に何やら可笑しくなってしまい、改めて部屋に入れて貰い、温かな茶を交えつつ、俺は覚えている限りの記憶を語った。

 更に、左手の刻印が輝いていること、そして、気を集中させると火が燃え上がることなども合わせて彼に報告した。


 メイス曰く、左手の変化は既に知っており、神殿でミオと共に俺が救出された時には刻印が輝いていたらしい。

 大神殿は大火災によって半壊し、屋根もあの火柱によって大穴が開いてしまい、修理にはかなり時間がかかるとのこと。

 また、彼は分厚い布に包まれた一振りの剣を俺の前に置いた。

 それは俺が火の中から生み出した緋煉剣エルプシオンであったのだが、布を広げて刃を見てみると、緋色であったはずの刃が鏡のように研ぎ澄まされた鋼色に変わっていた。

 それ故か刃に触れても熱さはなく、むしろ驚くほどに冷たい。

 だが俺は、少なくとも、意識がある内でこの剣を目の当たりにするのは初めてだった。


「メイスさん、この剣は?」


「これは、アキラ殿が炎の内より引き抜いた剣だと聞いています。私が発見したとき、刃はまさしく火のように熱く、緋色だったのですが、やがてこのように我々が知る剣と同じように鋼色に変色していったのです。私が思うに、アキラ殿の火から離れた為ではないかと」


 俄には信じがたい話しだったが、左手から実際に火が出た以上は納得せざるを得ず、ともかくもこの剣は今後、俺の所持品とすることで合意した。

 また、この剣に合うさやを都の職人に作らせている旨も合わせて聞いた。

 流石に抜き身のままでは危なすぎるとのことで、俺としても有難く、一度茶で舌を潤してからミオについて尋ねた。

 彼女は無事なのか、今はどうしているのか。

 メイスは俺を安堵させようと穏やかな微笑を浮かべ、大きく頷いた。


「彼女は昨日に意識を取り戻しました。外傷も無く、多少体力が落ちてはいますが、健康にも問題は見受けられません。アキラ殿は、彼女の過去をご存知だそうで」


「ミオ本人から聞きました。覚えているのはそこまでで……」


「彼女は、闇に囚われた意識の中、貴方の戦いをずっと見ていたそうです。やはりアキラ殿は我らの導き手であられた。よくぞ彼女を救って下さいました。神官長として、彼女の養父として、感謝の言葉もありません。私の力では彼女を救ってあげることはできなかった。彼女の苦しみも、彼女の悲しみも、間近で見ていることしかできなかった。せめて彼女の為に薬を作ることしか手立てが無い無知な己が悔しかった。アキラ殿、どうか、今後も彼女の良き友でいてあげてください」


 そこまで言われると少し気恥ずかしくなってしまい、それよりも早くミオの様子が見たいと思った俺が彼女の居場所を聞くと、どうやら例の中庭にいるとのことだった。

 メイスもそれ以上俺を引き止める真似はせず、俺は駆け足で階段を下り、廊下を抜けて、あの毒花が咲く花園へ躍り出る。

 すると、以前と同じようにフィオーレと戯れる彼女の白銀の背が見えた。

 彼女の名を呼ぶと、ミオは少し驚いたように俺の方へ振り向き、少しの間迷った末に、ぎこちない微笑みを浮かべてくれた。

 俺はそんな彼女の隣へ腰を下ろす。


「笑うって、案外、難しいものだったのね……」


「少しずつ上手になっていくさ。身体は、大丈夫?」


「ええ。まだ思うようには動けないけれど、大丈夫よ。貴方こそ、あれほどの火に包まれて、あれほどの戦いで無傷だったなんて……」


 俺はここであの戦いの全容を彼女の口から聞かされた。

 我ながらとんでもないことをしたものだと驚き、話題を移す。


「で、今は何をしていたの?」


「……お別れよ」


「お別れ?」


「そう。この子たちと」


 ミオは摘み取ったフィオーレの花弁を手のひらに載せて、淋しげにつぶやく。


「私の心に宿っていた闇は晴れた。吸血衝動も無くなって、もうこの子たちの蜜を飲むこともない。それは、私にとって、この子たちは単なる毒になってしまったの。だから、ここでお別れ。私も他の人達と同じように、この花に近づけなくなる。この花園も近いうちに別の花に植え替えられるわ。なにせ、此処はメイス様が私だけのために作ってくれた場所だから」


 ミオは決別の意を込めて、手のひらの花弁に息を吹きかけて遠くへ飛ばそうとした。

 俺は手を伸ばし、彼女の手と重ねて花弁を守る。


「別れることなんて、無いんじゃないかな?」


「え?」


「こんなに綺麗な花なんだからさ。蜜は確かにおっかないけど、見る分には別に害は無いらしいし、部屋に飾るとか、身近にあってもいいと思う。たとえ猛毒でも、この花たちはミオの苦しみを和らげてくれた恩人みたいなものだろ? 用済みだからさようならっていうのは、ちょっと、違うと思う。フフ、俺の国にも、喰ったら死ぬ毒を持つ魚や植物がいてさ。でも味がいいものだからどうにかして食べられるところが無いかって食い意地張った昔の人が捨てずに料理して、今じゃ立派な高級食材……って、また余計なことを言ったかな」


 つい頭に浮かんだことを実直に口にしてしまい、また彼女を不機嫌にさせてしまったかと危惧したのだが、ミオはフッと笑って小さく頷いた。


「そうね。貴方の言うとおりだわ……もうお別れなんてしない。一人ぼっちは、もう、沢山だもの。この子たちも私がいないと一人ぼっちだから」


 手に載せていた花弁を優しく握ったミオは畏まったように俺の方へ向き直り、目に温かな涙を溜めて、頭を垂れた。


「助けてくれて、ありがとう……」


 嗚咽おえつを堪えた彼女の言葉に、もはや、以前のような刺々しさは微塵も無かった。

 感極まったミオは俺の胸元へ顔を埋め、泣きじゃくる。

 童のように、悲劇の夜、両親にそうしたかったように、俺の胸を涙で濡らすミオは言葉にならぬ声で何度も「ありがとう」と言い続けた。


 俺は彼女の肩を抱きとめたまま動かず、一時間ほど経って涙も枯れたミオが、俺に御礼を渡したいと言ってきた。


「いいよ、気を遣ってくれなくても」


「駄目。それだと私の気が済まないの。もう、あげるって決めたのだから、受け取って頂戴」


 ここまで言われては無碍むげに断るわけにもいかず、一体どんなものをくれるのかと内心楽しみにしていた俺に、ミオは急に顔を近づけ、その小さくも瑞々しい薄桃色の唇を、俺の頬にそっと触れさせた。

 途端、強い風が何処からともなく吹き抜け、フィオーレの花弁が舞い上がる。

 まるで、新たな人生の門出を迎えた友を祝うかのように。

 柔らかな接吻キスの感触と彼女の甘い香りによって俺の頭は真っ白に染まり、呆然とする俺の耳元で、ミオのささやきが聞こえた。


「貴方の世界に、キスの文化は無かった?」


 俺は無言で首を横に振ると、ミオは銀色の髪を手で掻き揚げながら俺に背を向けた。


「貴方のおかげで私は生まれ変わることが出来た。これからは殻の中に閉じこもらず、多くの人達の中で生きていくわ。貴方は私の初めてのお友達。だから、いつでも遊びに来て頂戴ね? 私、待ってるから」


 ミオらしからぬ弾んだ言葉を残した彼女は、照れ隠しからかそのままそそくさと俺の前から立ち去った。

 俺はといえば頬に残る彼女の唇の感触に麻痺まひしてしまい、やがて、女子にキスされたという自覚が沸き起こって顔面が真っ赤に染まり、火のように熱くなった。

 されど心は晴れやかだった。


 かくして俺は、この身に火を宿した守護者としての人生を歩み始めたのである。

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