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輝炎救世譚―ある異世界転移者の回想録―  作者: コウヤ
第2章 炎を纏う者
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⑤ 毒蜜

 大神殿へ続く丘を一歩ずつ登る毎に、俺の足は段々と重くなっていた。

 軽やかな足取りのキヌアとは対照的だった。

 腰に吊るした剣を杖にしたいと思う程に、俺の歩は前に進むことを拒み始めていたのだ。

 しかしながらいつまでもグズグズしているのも嫌だったので、意を決し、一度大きく踏み出すと後はキヌアに追いついて、並んで森の小道を進んだ。


 間もなく大神殿とその入口が見えてくると、俺は一度立ち止まって唇を固く結び、率先してドアノブに手をかけてゆっくりと扉を押し開けた。

 視界に入ってきたのは、かつて見たとおりの光景。

 整然と並べられた長椅子、祭壇へ続くレッドカーペット、そして白翼の女神像。

 ただ一つ異質であったのは、祭壇の前で倒れ伏す白銀の巫女の弱々しい背であった。


「ミオ!」


 慌てて駆け寄り、彼女の震える肩を抱き上げると、額には嫌な汗があふれ、ただでさえ白い顔色が更に血色を失っていた。

 ただ事ではないことはすぐに分かった。


「キヌア! すぐにメイスさんを呼んできてくれ!」


「わ、わかりました!」


 キヌアが城に向けて駆けていく背を見送り、俺はミオを抱きかかえて長椅子に寝かしつけ、袖を破って額の汗を拭った。

 呼吸が乱れ、何かを求めるように手を宙に伸ばしている。

 俺は反射的にその手を握った。

 すると、彼女の唇が微かに動き、声にならぬ言葉を呟いていることに気づいて、耳を近づけていく。


「……が、いた……」


「なに? 何だって?」


「喉が……乾いた……」


 ようやくそれだけ聞き取れた俺は、すぐさま水を求めて神殿のあちこちを探し回り、やがて裏手に井戸があることを知って汲み上げた水を両手に溜め、彼女の口元へ流し込んだ。

 小さく彼女の喉が動き、水を嚥下えんげすると、閉じていた瞼が開いて、焦点の合わぬ目が俺を捉えた。

 俺はといえば、なんとか意識が戻ってくれたかと胸をなでおろしながら、改めて彼女の名を呼びかける。


「ミオ、大丈夫か?」


「どうして……貴方が?」


 吹けば消えてしまいそうな程に細い声で反問するミオに、俺はありのままを答える。


「キヌアの付き添いで来てみればミオが倒れていたからさ、気がついてくれて良かった。今、メイスさんを呼びにやってる。すぐに来てくれると思う」


「余計なことを……うっ」


 無理に起き上がろうとしたミオは四肢に力が入らず、俺の胸元へ倒れ込んだ。


「無理しちゃ駄目だ。その身体じゃ暫く動けない」


 なるべく彼女に負担がかからないように気をつけながら再度寝かしつけると、彼女は祭壇の脇に設けられた小さな扉を指差して言った。


「薬を、持ってきてくれるかしら……」


「薬? どんな薬だ?」


「小さな、瓶に入っているわ。机の上に、置いて、あるから」


 ミオに言われた通りに扉を開けると、そこは彼女の寝室だった。

 あるものといえば衣装棚に姿見鏡、そしてベッドと小さな机があるだけの殺風景な部屋であったが、そんなことよりも俺は件の薬を探すことに必死で、机の上に金色の液体が入った小瓶を見つけるとすぐに引っ掴んで彼女へ届けた。

 蓋を開け、中身を一気に飲み干したミオは幾分か落ち着きを取り戻したようで、酷く気だるそうに上体を起こし、背もたれに身体を預けた。


「はぁ、はぁ……貴方も分からない人ね? 私に近づくなと言ったでしょう?」


「でも、おかげで助かっただろ? 付き添いとはいえ、ここに来るべきかかなり悩んだ。でもこんなことになってるなら、来て良かったのかもな。あれかな? お導きってやつ?」


 今度は桶に井戸水を溜めて、清潔な布を湿らせて彼女の汗を拭いた。

 ミオは抵抗せず、しばらく黙って俺にされるがままだった。

 何か深く考え込んでいるようにも見えたが、そこに今までのような嫌悪は無い。

 やがて彼女は空になった薬の小瓶を摘んで俺の目の前に持ち上げてみせた。


「これ、なんだか分かる?」


「いいや。薬のことはサッパリだから」


「でしょうね。これは、あの花の蜜よ?」


 あの花と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、城の中庭に生えていた毒花フィオーレ。

 人の欲求を失わせ、廃人と化し、やがて死に導く魔性の甘蜜。

 それを彼女は薬と言い、迷うことなく飲み干した。

 俺は背筋がゾクリと震えた。

 一瞬、彼女が苦しみに耐えかねて自決を図ったのでは、とさえ思った。

 そんな俺の考えを見抜いたのか、ミオは首を横に振る。


「私は飲んでも平気。いいえ、飲まなければ平気でいられなくなるのよ……」


「病気、なのか?」


「病気ですって? ええ、そうね……永遠に治らない病といっていいかもしれない」


「医者にそう言われたのか?」


 彼女は俺を鼻で笑った。


「フフ、医者なんかが診て分かるもんですか。メイス様も、貴方でさえも、私のことなんて分かるわけない。私の苦しみも……私の痛みも……」


「ああ、そうだな。分かるわけないさ――」


 俺は彼女に対し、静かながらも怒りのようなものを沸き立てていた。

 自虐的な笑みを浮かべ、顔を逸らす彼女の背を少し強く掴んで顔をこちらに向けさせる。


「分かるわけないだろ。何も話してくれない、誰も近づけない、そんな奴の気持ちなんて誰が分かるっていうんだよ。強がるのも大概にしろ。辛いなら辛いって言えばいいだろ」


「知った風なことを――うっ」


 今度は彼女が顔に怒気を浮かべかけたが、弱りきった身体では腕を振り上げることも叶わず、糸が切れた人形のように俺の腕の中に伏した。

 俺がその背を擦ってやると、小さな嗚咽おえつが聞こえ、暫くして伏していたミオが顔を上げた。

 彼女は小さく「ごめんなさい」と呟き、俺の瞳の奥を覗き込むように見つめて言った。


「貴方は、とても不思議な人。今まで私が出会った人間とは、違う。そんなに、私のことを知りたいの? きっと後悔するし、今のように私の側にいられなくなると思う。それでも?」


「ああ。このまま知らないままでいたら、俺も苦しみにさいなまれることになる。こういう風に言うとアレだけど、助けたんだ。その借りを返して欲しいかな」


 ミオは可笑しくなったのかフッと笑い、祭壇の女神像を凝視して静かに語り始めた――。


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