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輝炎救世譚―ある異世界転移者の回想録―  作者: コウヤ
第2章 炎を纏う者
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③ 異文化交流

 なかば無意識にメインストリートを東に向けて歩き、農業区の境に至ったのは正午の鐘が鳴る少し前のことだった。

 見渡す限りの畑には青々とした小麦が風に揺られ、農夫たちが朗らかに語らいながら畑の中で仕事に勤しんでいる。

 安息日といえど、大切な作物を放ってはおけないようだった。

 長閑のどかな田園の風景は心を癒やしてくれる。

 土の匂い、緑の香り、葉と茎が揺れる音、どれも自然の豊かさを実感するに十分だった。

 収穫期になればこの辺りは眩い黄金に染まることだろう。

 人々の糧となる食料を生産し、植物の命を育む農夫は、王国内でも尊い職業の一つだ。

 太陽の光が成長に不可欠な点も、光を司る女神ルミエルの贈り物、という意識もあるようだ。

 故に農夫たちに卑屈ひくつ気鬱きうつといった空気は無く、むしろ、自分たちの仕事に対して胸を張る思いで手に鎌を握っていた。


 暫く眺めていると、麦畑の中で草むしりをする紅髪の少女が俺の目に留まった。

 額に汗して一生懸命働く姿は美しく、思わず見惚れた。

 やがて作業が一段落したのか、彼女が仰け反りながら四肢を伸ばした際に俺と視線が合った。


「あっ! アキラさーん!」


 キヌアは大きく手を振りながら俺の方へ駆け寄ってきた。

 彼女は作業が容易になるようにズボンを穿き、また服の汚れを防ぐ革のエプロンを首から掛けたいた。

 背には抜いた雑草を入れるための籠が負われている。


「こんにちは! 今日はお休みなんですか? あっ、安息日でしたよね?」


「ああ。だから今日は授業も鍛錬も休み。予定も無いから適当にフラフラしてた」


「そうだったんですね。わたしも今しがた草抜きが終わって、お昼から暇なんです」


 そのとき神殿から正午を告げる鐘の音が鳴り響き、農夫たちは飯時とばかりにぞろぞろと畑から出てきた。

 ある者は持参した弁当を路肩で開き、他は各々の家に帰って食べるようだ。

 キヌアは何か思いついたように手を叩いて、俺の袖を引いた。


「あの、うちもこれからご飯なんですけど、良ければご一緒しませんか?」


「俺が行っても大丈夫かな? 迷惑にならなければいいけど」


「迷惑なんてとんでもないです! 大歓迎ですよ! ついてきてください!」


 キヌアの家は居住区にあるような赤レンガの家とは違い、農業区の外れにひっそりと建てられた木製の一軒家だった。

 一階建ての平屋で、三角形の屋根からは煙突が伸び、白い煙を立ち昇らせていた。

 石材で造られた家よりも、木造家屋のほうが温かみがあって、馴染みも深い。

 庭に植えられた種々の花々や小さな花壇はキヌアの趣味らしく、これらも根を煮詰めれば滋養じように効く薬になると彼女は得意気に教えてくれた。


 試しに城の中庭で見た毒花フィオーレについて聞いてみると、彼女は途端に顔を青くした。

 俺がフィオーレの毒性について知ったのはこの時である。

 彼女は絶対にあの花に近づくな、と俺に念押ししていた。

 そんな危険な花が何故城の中庭に植えられていたのか、俺は疑問に思った。

 観葉植物にしては物騒すぎる。

 そしてそれを摘み取っていたミオの真意も分からなかった。


 扉の前で靴についた土や泥を落とし、俺はキヌアに招かれて彼女の家の中へ入った。

 ログハウス独特の木の香りが鼻をくすぐり、玄関の先にすぐリビングが広がっていた。

 大きな円卓の上に庭で育てた花が花瓶に活けられ、隣接した台所を見れば、石が積み上げられて造られたかまどに大鍋が置かれ、天井から野菜が吊るされている。

 また別の方に視線を移すと、部屋の隅に小さな機織り機や、編みかけの毛糸の玉が揺り椅の腰掛けに置かれていた。

 何と暖かく心地よい空間だろうか。

 絢爛豪華けんらんごうかな城の部屋より余程こちらのほうが落ち着く。


「どうぞどうぞ、すぐお茶を淹れますね!」


 勧められた席に座った俺は、暖炉の火にかけられた土瓶を持ち上げてポットに注ぐ彼女の仕草を観察し、湯の中で踊る茶葉から発せられる甘い香りに酔いしれた。

 額に汗して手を土に汚した状態で食事を作るわけにもいかないので、キヌアは着替えも兼ねて一旦身体を清めるので少し待っていてほしいと俺に言ってきた。


 ここでちょっとした事件が起きた。


 俺はキヌアが身体を洗い終わるまで食卓で待機していたのだが、一旦彼女は私室に入って着替えを見繕ったかと思いきや、再び部屋の扉が開かれたとき、俺は我が目を疑った。


「キ、キ、キヌアっ!?」


「はい? どうかしたんですか?」


 部屋から出てきたキヌアは着替えを腕に抱えていたまではいいものの、何としたことか一糸まとわぬ姿で、その華奢で白い肌を足先から脳天まで恥ずかしげもなく俺の前に露わにしていたのである。

 し、か、も、狼狽する俺を何故そんなに慌てているのかとでも言わんばかりに訝しむ有様だった。

 それから暫く互いに「え?」と「ふぇ?」の応酬おうしゅうが続いた後、俺は恐らく顔を真赤に染め上げて声を荒げた。


「待て待て待て! なんだって全裸で出てくるんだよ! はしたないぞ! 破廉恥はれんちだぞ! 悪ふざけもいい加減にしろ! 年頃の男心を弄ぶなんて悪辣な小悪魔め!」


「なんでそんなに恥ずかしがっているんですか?」


「何でもかんでもあるか! まさか、恥ずかしく無いなんて言うつもりじゃないだろうな?」


「アキラさんって裸が恥ずかしいんですか!?」


「当たり前だろう!」


「えーっ!?」


 キヌアは信じられないといった風に口をあんぐりと開けたまま固まった。

 両手を腰に当てた状態で、である。

 つまりは普段見えてはならない部分がモロに見えてしまうため、俺は頬杖をつく素振りをしながら見えないように目を覆った。


 これがカルチャーショックという奴だろうか。


 確かに俺がいた世界でも海外では裸体に対してかなり寛容という噂を聞いたことがあるが、異世界とはいえ実際に目の前でそれを実証されると言葉に詰まった。

 どうやら俺とこの世界とでは「恥」の概念が少しずれているらしい。

 試しに何故恥ずかしく無いのかと聞いてみれば、キヌアは何でそんなことを聞くのかといった風に驚きながら答えてくれた。


「だって、服を着て産まれてくる生き物なんていないじゃないですか!」


 御尤ごもっともではある。

 さらに続けて言うところによれば、服はあくまで寒さから身を守るものであって、ルミエル様が生み出された人間は本来裸なのだから裸を恥ずかしがるのはむしろ冒涜だとまで堂々と言ってのけたのである。

 感服だった。

 楽園エデンにあるという知恵の実が手元にあったとしたら、無理やり口に押し込んでやりたいものである。

 その場合は俺が誘惑の蛇になるのだが。


「とりあえず、早いところ身体を洗って服を着てくれ……」


「ムムム、分かりましたよぅ。アキラさんも一緒にどうですか? わたし、洗ってあげますよ?」


「結構だ!」


 キヌアがパタパタと素足の音を立てながら家から出た後、俺は何やらドッと疲れを覚えて机に突っ伏した。

 程なくして着替えを済ませたキヌアが戻ってくると、いつもの赤いシャツに黄色い上着姿でホッとしたが、やはり彼女の裸体が頭に浮かんで俺は落ち着かなかった。

 すると、家の外が俄に騒がしくなり、扉が勢い良く開かれると、やたら体格の良い中年の女性がドカドカと足音を響かせながら家に入り、否、帰ってきた。


「あぁー、大漁大漁。今年は芋が良く育って――」


 リビングまで上がってきたところで席に着く俺に気づいた女性は、小脇に抱えていた野菜やらを床に落とし、目を丸めて唇を尖らせた。


「お、お邪魔しています……」


 遠慮がちに会釈した俺とキヌアを交互に見つめた女性は、キヌアが「おかえりなさい」と言うよりも早く彼女に駆け寄ると、その大木のように両腕でキヌアの矮躯わいくを抱き上げた。


「キヌアちゃん! アンタにもようやっと彼氏が出来たんだね!」


「おばさん! 苦しい! 苦しいです! 折れちゃう……グボボ……」


 まるで熊に捕らえられた子鹿のようで、小さな手で激しく叩くキヌアの青い顔を見た女性はすぐに腕を広げ、解放されたキヌアは尻もちをついていた。

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