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輝炎救世譚―ある異世界転移者の回想録―  作者: コウヤ
第2章 炎を纏う者
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② 安息日

 さて、記憶が正しければ、安息日の朝を迎えた俺はいつもよりも遅く目覚めた。

 というのも前日のヴェルドの鍛錬は普段よりも激しいもので、疲労困憊ひろうこんぱいのあまり深く寝入り、しかも休日という安心感も重なって、つい寝坊してしまった。

 モゾモゾと気だるい身体を引きずるようにベッドからい出ると、テーブルの上に朝食が置かれていた。

 どうやらバレッドは爆睡する俺を起こさずにおいてくれていたらしい。

 俺は頬張ったパンをスープで流し込みながら、一日をどう過ごそうか思案に暮れた。

 せっかくの休日だ。

 城に篭っていては息が詰まる。

 では街に繰り出して、少しくらい羽目を外すのも悪くない。

 思い立ったが吉日とばかりに、朝食を終えた俺はすぐさま行動に移った。


 ただ、いくら休日だからといって、黙って出ていくのは良くないので一応メイスに断りを入れに彼の部屋を訪ねた。

 彼は俺の妙な律儀りちぎさに驚きつつも快諾かいだくしてくれて、しかも一日を過ごすには少し余る額の金銭まで渡してくれた。

 こんなに要らないと遠慮えんりょする俺に、メイスは、あって困るものではないと反論し難いことを言って半ば押し付けてきた。

 小遣いをせびるつもりが全く無かった俺は手のひらにずしりと重さを感じる麻袋を前に、この金をどう使おうか、はたまた使わずに貯めておくべきか新たな悩みを生じてしまった。

 金には魔力が宿るというが、こうして人の心を揺れ動かすあたり、あながち間違いではないようだ。


 一先ず落とさないように口紐をベルトに繋いでポケットに押し込み、表門から城を出て都の雑踏ざっとうの中へ小走りで分け入っていく。

 困ったことに、行き交う人々からしきりに握手を求められたり、声援を受けたり、俺の周囲には常に複数の人間が取り巻くようになってしまっていた。

 これでは歩くこともままならないので、俺はなるべく穏やかな口調で言った。


「今日は安息日とのことなので、安息させてください」


 すると彼ら彼女らも「それはそうだ」と納得して、各々の日常へ戻っていった。

 だがこれで収まってくれるようでは救世主の苦労も大したことではない。

 なにせ地区や場所を変える度に同じことが起きるのだから。

 市場へ行けば店の人間が供え物のように商品を俺に無料タダで献上しようとしてくるし、居住区へ逃げればまたしても群衆によってもみくちゃにされ、さりとて神殿へ行けばミオと相対することになる。


 俺はまだ彼女に対して何と言葉をかけるべきか決め兼ねていた。


 はてさて如何したものかとベンチに座る俺は、風と共に流れてきたご婦人方の噂話を耳にした。

 なんでも居住区近くの路地裏に、最近よく当たると評判になっている占い師がいるという。

 すぐに宴の夜に港で出会った者が脳裏に過った。

 よくもあんな胡散臭い格好の占い師に相談しようとしたものだ、などと呆れながらも、それはそれとしてどのくらい人気になっているのか気になった俺はこっそりと路地裏の様子を探ってみることにしたのだった。


 すると、建物と建物の間に通る狭い路地の一角に小さな机を起き、そこに水晶玉を小さな台に載せた占い師が、余興として訪ねてきた婦人たちと世間話に興じていた。

 聞き耳をそばだててみると、どうやら午後の天気を占って欲しいとのことだった。

 お安い御用と頷いた彼は水晶玉に手をかざし、暫く無言のままでいたが、やがて婦人らにニコリと微笑んで答えた。


 午後から大きな雲が広がるので、洗濯物は午前中のうちに片付けた方が良い、と。


 俺には当てずっぽうで答えているようにしか思えなかった。

 当たるも八卦はっけ当たらぬも八卦、というのが占いだ。

 しかしご婦人方は熱心に彼の言葉に耳を傾け、間もなく路地から立ち去った。

 くだらない、なんて心中でつぶやく俺の声が聞こえたのかは知らないが、一仕事終えた占い師は、はじめから気づいていたかのように俺の方に視線を向けてきた。

 初めて会ったときは夜の暗さと深く被ったフードで分からなかった彼の顔も、今はハッキリと光の下にあばかれていた。


 目鼻は幼さが残る童顔でいて、髪は黒く、そして憂いの色を浮かべた瞳は紅かった。

 もし彼の髪がもう少し長く伸びていたら、俺は彼を女性と勘違いしていたかもしれない。

 それほどまでに彼の目鼻は中性的に整っていた。


「こんにちは、救世主さん。あの夜以来だね? 前向きに善処してくれたようで嬉しいよ」


「それは、皮肉で言ってるのか?」


「フフ、さあ、どうかな? それより何かお困りごとかい? 僕でよければ相談に乗るよ?」


 善意で言っているのか、それとも商売熱心なのか、俺には彼の真意は判断しかねた。

 ともすれば安々と相談などする気にもなれず、第一、相談するほどの悩みもない。


「結構だ。俺は占いとかそういうのは信じないことにしている」


「本当にそうかい? 実を言えば、誰かに道を示してほしいと思っているんじゃないかな?」


 流石に占い師だけあって口が上手い。

 さも心の中を見透みすかしているような言い方だが、そこに具体性や信憑しんぴょう性といったものは皆無だった。

 そこで俺は少し魔が差して、彼の占いの腕とやらを試してみようと企んだ。


「じゃあ、一つ。俺は今、何で悩んでいるか分かるというのか? その水晶玉で」


「ハハ、それは占うまでもないよ。安息日だから城の外に出たのはいいものの、何をすればいいのか、誰と会えばいいのか、分からないでいる。違うかい?」


 見事に言い当てられて俺はムムッと唸った。

 彼はクスクスと小さく笑う。


「僕達の出会いも、創造神ルミエルのお導きかもしれないね。君の貴重な休日がより幸あるものになるように、少し、未来を覗いてみよう……」


 水晶玉を手に取った彼は3分ほど表面を凝視する。

 その時、俺は言い知れぬ寒気を背に感じた。

 やがてある方角を指差す。

 指先は都の東側に田畑が広がる農業区を示していた。


「そこに君を待っている人がいるよ。もちろん、行くかどうかは、君次第だけど」


「もし俺が行かなかったら、覗いた未来が嘘にならないか?」


「未来は常に変化するものだよ。それに僕たち占い師は、よりよい道を示すことが仕事であって、道を歩ませることじゃないからね。道端の案内板を杖にして歩く人はいないでしょ?」


 成る程、一理ある。

 俺は彼の言がストンと腹に落ち、ならばもう一つの悩みに対する道も聞いておこうと、さらに問うた。

 悩みというのはミオのことだ。

 彼女の冷徹の裏に隠されたものが何なのか、どうすれば心を開いてくれるのか、考えれば考えるほどわからなくなる。

 すると彼は口の端を吊り上げて意地悪い表情かおを浮かべた。


「それは、もしかして、恋じゃないのかな?」


「茶化すなよ。俺は真面目だ」


「ふむ、では僕も真面目に答えようか」


 急に彼は居住まいを正すと、俺の目を真っ向から見据えて、いやに響く声で告げた。


「彼女の固く閉ざされた扉を開く鍵は、既に君は持っている。けれど、鍵の開け方はまだ君は知らない。焦ることはないよ。扉と鍵は、いずれ再会するもの。彼女と再び相まみえた時、君は鍵を開けることが出来るだろうね。僕が言えるのはそれだけ。あとは、君次第」


「当たり障りのない答えだ。気に入らないな」


「本当の答えは、自分で見つけるから価値があるんだよ? はじめから答えが分かってしまったら、先に向けて歩むことさえ忘れ、やがて腐り落ちる。君には、そうなってほしく無いかな」


 憮然ぶぜんとしないが一々もっともなことを言われ、俺はこれ以上長居したらこの場から永久に抜け出せなくなるような感覚になり、きびすを返した。


「まあ、参考にはなったと思う。ありがとう」


「どう致しまして。で、占い料を頂けるかな?」


 音もなく差し出された手を前に、俺はただ閉口し、財布の紐を解いた。

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