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⑪ 決意

 奥には正門に比べて半分ほどの規模きぼの門が見え、その門の前に立ち尽くす男の姿を確認した。

 メイスの言う通り、物々しい漆黒しっこく甲冑かっちゅうに身を包み、背には蒼いマントを纏う武人は、やはり俺が宴の夜にぶつかった男だった。


 名は確かヴェルド将軍といったか。


 彼は黙して腕を組んだまま巨木のように微動だにせず、恐ろしい程に静謐せいひつで、近づくことを躊躇ためらう程に隙がない。

 また、昨夜は暗くてよく見えなかったのだが、彼の腰に佩かれたトゥングルは思いの外刃渡りが長い。

 目測でおよそ三尺、90センチといったところか。

 俺は一先ひとまず挨拶だけでもしようと一歩彼に向かって踏み出すと、一瞬、疾風しっぷうが俺の頬を撫でたかと思いきや、俺の喉元に冷たい刃の腹が押し当てられていたのである。


 鞘から抜き払われたトゥングルの刃は、中天に輝く月の光のようだった。

 また反りがついているところから片刃かと見ていたのだが、実際には両刃で、斬撃に特化していながら刺突にも応用出来る造りだった。

 額に嫌な汗が滴り落ちる。もし刃があとすこしでも喉に触れていれば、俺は真っ赤な血を噴き出しながら地にたおれていただろう。

 生唾を飲み込んだ音がやけに辺りに響き、ヴェルドは押し当てていた刃を引いて鞘に収めた。

 そして、彼は近くの補修用木材に立て掛けてあった変哲のない長剣を取って、俺の前へ放る。

 すぐに稽古を始めようとしているのはわかったが、ここまで彼が一言も声を出さないことに俺は閉口していた。


 俺の人間性や所作を測っているのだろうか。

 ならば受けて立ってやる、と、俺は若さに伴う勢いで剣を取り、柄を掴んで刃を抜く。

 無論、両刃の長剣を扱ったのは初めてのことで、正しい構えがどういうものなのかすら知らない俺は剣道の基礎たる中段の構えを取った。

 たかだか学生剣道の分際でこんなことを言うのは誠におこがましく恥ずかしいのだが、長い戦乱と太平の歴史のなかで培われた武士もののふの技が異界に通用するかどうか試してやる、なんて子供じみた考えに当時の俺は取りかれていたのである。


 結果は自分で言うもはばかるほどに散々なものだった。


 当然といえば当然だ。

 相手は年季もさることながら、盗賊征伐などで幾度も実戦を重ねてきた。

 対して俺はと言えば、徹底したルールの中で点数を競うだけのスポーツで多少成功しただけだったのだから、負けて当たり前。

 相手を傷つけない竹刀しないとは違い、鍛錬で用いるのは正真正銘の真剣だ。

 傷つけ、傷つけられるかもしれないという恐怖に、俺は鍛錬前の威勢も消えて腰が震えた。


 これで例えば神様から与えられた使命だとか精霊の力だとか、とにかくそういう人知を超えたもので俺の腕前が突然達人以上の領域になって勝ったのだとしたら、それは間違いなくインチキだ。


 勝ったところで虚しさしか残らないだろうし、俺は俺自身に恐怖していたに違いない。

 だから、今思えばあのとき、負けてよかった。

 身の程を思い知る大切さを学べただけでも、ヴェルドのことを師と呼ぶに値した。

 裏門の石畳に仰向けに倒れた俺は全身の痛みに苦悶くもんし、剣は手の一部となったかのように吸い付いていて手放すことが出来なかった。

 ヴェルドは終始物語らず叩きのめし、生意気な若造の甘さをへし折り、体力が尽きて大の字になっている俺を置いてマントを翻しながら立ち去ってしまった。

 結局彼は一言も喋らなかったが、ようやく俺が起き上がったとき、側に獣皮の水筒が置かれていることに気がついた。

 栓を開けて恐る恐る口にすると、城の井戸から汲み上げた新鮮な冷たい水が俺の喉に流れ込む。

 成る程、メイスの評は的確だったと唸った。

 無口でぶっきらぼうで無愛想で不器用者だ。

 この時、俺はいつかあの剣士を超えてみたい、という密かな目標を心に決めた。

 負けっぱなしは悔しかったし、何よりも、自分の身を自分で守れる術が欲しかった。

 震える両足で立ち、共に負けた剣を鞘に収めて、腰のベルトの金具に剣の鞘を引っ掛けた。


「お疲れ様でした、アキラ殿」


 いつの間に居たのか、あるいははじめから見ていたのか、廊下の柱の影からメイスが姿を出して俺に湿ったタオルを渡してくれた。


「いやはや、分かってはいましたがヴェルドも遠慮がない。お怪我などはありませんか? 随分とこっ酷くやられたようですが……」


「うん、見事に負けちゃったよ。でも、次は負けない」


 メイスは、その意気や良し、と強く頷いた。

 不意に俺の腹が低く鳴る。

 身体を存分に動かしたからか、それとも稽古の緊張感が解けたからか、今度は俺の胃袋の方がやる気を出した。

 メイスはすぐに夕食の支度を使用人たちに命じ、疲れた身体を引きずって部屋に戻ると、バレッドが夕食を運んでくれた。

 俺は一心不乱に料理を胃袋に詰め込んでいき、熱い湯に飛び込んで身体の汚れを落としてから、ベッドに突っ伏す。


 俺は吹っ切れていた。


 元の世界のことをくよくよ考えたところで、状況は何も進みはしないのだ。

 暫し元の世界のことなど忘れ、この地で、自分に出来ることをやっていこう。

 どこまでやれるかは分からない。

 周囲の勝手な期待に振り回されるかもしれない。

 それでも、これほどまで自分が何かに求められたことがあっただろうか。

 自分が必要とされたことがあっただろうか。

 一宿一飯の恩義、なんてのは古臭いが、俺は既にこの世界と人々に何度も救われた。

 だから俺も全力で恩を返していこう。

 暗い天井に向けて火の刻印が浮かんだ左手を掲げて拳を固め、俺は、この世界で生きていく腹をくくった。

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