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⑩ 花園

 語り終えたメイスは深く呼吸して、俺に少し興奮こうふんした視線を向けていた。

 己が歴史の立会人となっていることを改めて認識し、偉大なる祖先たちが歩んだ足跡と伝説が真実であったことの証明が叶い、飛び上がりたくなるほどの歓喜に心を踊らせていた。


 対する俺はといえば、彼の口から語られた古の物語に半ば呆れ、半ば戦慄せんりつしていた。

 神だとか、英雄だとか、冥王だとか、そんな途方も無い話はよくあるフィクションでしか知らなかったし、かといって現実として俺がこの世界に導かれたこともまた、事実だった。

 左手に刻まれた炎の紋章は未だ何も語らない。

 仮にその冥王とやらが再びこの世界に降り立ったとき、俺は太刀打ち出来るだろうか。

 否、出来るはずがない。

 即座に俺の心中で結論が出た。

 俺は逃げ道を求めるように、メイスへ更に問いかける。


「メイスさん……俺は、元いた世界に帰れるかな?」


 ふむ、とメイスは小さく唸る。

 それは俺に対して不信感を抱いたとか、早速ホームシックになったのかと笑うわけでもなく、純粋に学者として彼なりの答えをつむぐものだった。

 なれど如何に神の教えに通ずる賢者であっても、神の意思まで読み解くことは不可能だった。

 メイスは至極残念そうに首を振る。


「申し訳ありませんが、その疑問に答える術を私は持たぬのです。しかし、慈悲深いルミエル様の深いお考えあってのこと。あくまで推察で気休めと承知しておりますが、アキラ殿が使命を果たされたとき、ルミエル様はきっと貴方の願いを叶えてくださるでしょう」


 何とも有り難い御言葉に思わず嘲笑わらってしまった。

 要するに俺は帰ることなど出来ないのだ、と理解した。

 そして、どういうわけか、俺がルミエルに選ばれた。

 何の縁もゆかりもない俺が、選択の機会も与えられず、一方的に見ず知らずの世界の運命の渦中に放り込まれてしまったのだ。

 前日にも同じようなことでもんもん々としていたが、具体的な事情を聞いてからでは段違い。

 能天気な観光気分など吹き飛んでいた。


「けれど、メイスさん。その話が本当だとしたら、冥王ってのは、もうこの世界に戻って来ているのかな?」


「さて、どうでしょうか。少なくとも王国内で異変らしい異変は観測されておりません。思い当たらぬ点が無いわけでは無いですが、確証が持てぬ上は無闇に決めつけるわけにも……」


 聞き取りにくい声量でメイスが呟いたとき、彼方の神殿から正午を告げる鐘が聞こえた。

 メイスはとっさに部屋の壁に掛けられていた振り子時計の針を凝視して、己の髪を撫で回す。


「おや、私としたことが、時の流れを忘れていたとは不覚。今少しお聞きください。アキラ殿は昨日この世界に来訪されたばかりで、ハッキリ申し上げてこの世界に関する知識が乏しくあられる。また、闇の勢力との戦いに於いて、戦闘の術を磨くに越したことはありません。そこで、知識面を及ばずながら私が、戦術面を我が国最高の武人に委ねようと思っております」


「つまり、勉強と武術を教えてくれるわけだ」


「その通り。昼食の後、城の裏門にお出でください。そこにくだんの武人がおります。目立つ姿をしておりますので、すぐにおわかりになるでしょう」


 ついでとばかりに俺はその武人が如何なる人物なのか彼に聞いた。


 名は【ヴェルド】といって、国王親衛隊を率いるカルナイン王国の将軍であり、辺境随一の剣士と専らの評判だとメイスは少し誇らしげに饒舌じょうぜつになった。

 漆黒の甲冑を身に纏い、腰には名剣【トゥングル】を佩用はいようする、無口でぶっきらぼうで無愛想な孤高の不器用者と、褒めているのかけなしているのかよくわからない説明を受けた俺は途端に不安に駆られた。

 同時に、宴の夜に廊下でぶつかった人物がそのヴェルド将軍なのではないか、と直感が脳裏に閃く。

 あのときの威圧感は中々一夜で忘れられるものではなかった。

 王国最高の剣士が如何なる使い手なのか興味は尽きないが、その前に腹ごしらえをすべく、せっかくなのでメイスの部屋で彼と共に食事をすることにした。

 昼食の間も互いの世界の知識を存分に語り合った。

 それら全てをここで語るには些か長過ぎるので、今後歩んだ先にて追々詳しく説いていくこととする。


 さて、食事を終えてメイスと一旦別れた後、俺は言われた通りに城の裏門を目指して城の第一階層まで下りたのはいいのだが、入り組んだ城内を彷徨い歩くうちに迷宮の中へ迷い込んでしまったようだ。

 しかも間の悪いことに今はちょうど昼休憩なので兵士も使用人もそれぞれの詰め所で一息入れている最中で、廊下に人影がほとんど無い。

 いたとしても早く仕事を終わらせようと忙しく動き回っているために話しかける余地もなく、はてさてどうしたものかと悩みながら進むうちに、俺はいつの間にか城の中庭へ出ていた。


 耳には噴水のものと思しき流水音が聞こえ、頭上から降り注ぐ陽光が、中庭に咲き乱れる花々の色を鮮やかに照らしていた。

 薄紫色の花弁は独特な形状をしており、俺の知識のうちで似た形を持ち出すならば、彼岸ひがん花のようだった。

 更に驚くべきは、その薄紫色に染まる花々の中心で膝を下ろし、一輪を手にとってはかなげに香りを嗅ぐ、白銀の巫女こと大神殿のミオが其処にいたことであった。

 俺は息をすることすら忘れ、彼女の銀髪が掛かった細くしなやかな背を見つめていた。

 大神殿で初めて出会った時も彼女の純白さに心を奪われたが、こうして日の下で照らされた彼女の髪はキラキラと輝き、人形のような顔立ちも相まって、何とも神秘的な絵になっていた。

 俺は何と声を掛けるべきか迷ううちに、先に口を開いたミオの冷たい声が俺の胸に刺さった。


ひとの背をジロジロと見つめるなんて、結構な趣味をお持ちのようね? いやらしくて気持ち悪い人……」


 初対面のときからそうだったが、彼女の俺に対する冷徹さは一体どこに由来するのだろう。

 いやメイスの口ぶりからして彼以外の人間には等しくこのような態度を取っているように思われたし、事実そうであった。

 ミオは人間をひどく嫌っていた。

 当時は理由など知るはずもなく、俺は過剰なまでに他人を遠ざける彼女が妙に哀れに思えてしまい、なるべく彼女を刺激しないように近づいていった。


「ここ、初めて来たんだけど、綺麗な場所だね。この花、なんて名前?」


「私に聞かなくても、そこら辺にいる使用人にでも聞けばいいじゃない」


「生憎と皆昼休みで、聞く相手がミオしかいないんだ」


 するとミオは俺から目をそらし、ぼそりと花の名を呟く。


「……フィオーレ」


 ミオはフィオーレにかなり思い入れがあるようで、胸に抱いた一輪の花弁を指先で優しく撫でていた。


「俺がいた世界に、彼岸花って名の似たような紅い花があった。秋の頃になると、ちょっとした庭とか道端に生えて、風物詩みたいになってる」


「そう……悪いけど、貴方の世界のことなんて興味無いの」


「あはは、そうでしたか。で、ミオは何をしていたの?」


 更に歩み寄る俺に彼女は鬱陶しそうに睨みながらも、胸に抱いた一輪を俺に見せつける。


「愚問ね? ただ花を摘んでいただけよ」


「そっかそっか。綺麗な薄紫だもんなあ。部屋に飾ったら洒落しゃれてるし、蜜も甘かったりして」


 手を伸ばしてフィオーレの茎を摘んだ直後、彼女の白い手が俺の手の甲を打った。


「痛た……打つことないだろ?」


「貴方の無知っぷりに呆れたのよ。蜜を舐めたければ舐めてみなさい。天にも昇る心地になれるから。文字通りにね」


 俺は彼女の言葉からこの花の正体に気づき、反射的に身を退いた。

 薄紫の毒花【フィオーレ】、その甘美な蜜には生物の欲求を抑制し、大量に摂取すれば、食欲や睡眠欲など生命の維持に欠かせない欲求までも消え失せ、廃人になった後に命を落とすという。

 俺は何故にミオがそのような猛毒を愛おしそうに抱いているのか理解出来ず、むしろ、彼女の冷徹な性格を考えて、よもや気に入らない相手を……などと勘ぐってしまった。

 及び腰になる俺をミオが嗤う。


「ふふ、情けない人。花を恐れるだなんて、とても世界を救うことなんて出来はしないでしょうね。そう、誰も救うことなんて出来ない……もう、あっちへ行ってくれないかしら? 正直に言って、貴方、鬱陶うっとうしいわ。頼んでもいないのに関わってこないで頂戴。もう二度と私の前に顔を見せないで」


 それは命令というよりも、懇願こんがんしているように俺は感じた。

 根拠などまるで無いが、かつてメイスが言ったように、ミオはわざと他人を遠ざけているのではないか、本当はもっと違う性格なのではないか。

 されどこれ以上彼女に問い詰めることは避けたく、もはや交わす言葉も無いと思い、俺は一旦身を引くことにした。


 ただ、一つだけ聞いておくべきことがあった。


「わかったよ。ただ、ミオ、最後に一つだけ教えて欲しい」


「……何?」


「城の裏門って、どっちに行けばいいんだ? 道に迷っちゃって」


 直後、ミオは鋭く尖らせていた目を一瞬丸くし、やがて大きなため息を吐いて、南の方向にある廊下を指差した。


「あっちよ。ほら、さっさと消えて頂戴」


「う、うん……ミオ、教えてくれてありがとう。助かったよ」


「うるさい! 口を開かないで!」


 彼女の怒号を背に聞きながら、俺は急ぎ足で中庭から離れた。

 ミオは何かを隠している。

 それだけは確信出来た。

 二度と近づくなと言われたが、機会をみてまた話したい。

 いや、話さねばならぬ。

 何をと問われれば答えに困るが、とにかく彼女のことを冷たい奴だと放っておくことが何故かできなかった。

 嫌味と罵倒を浴びせられても不思議と嫌な気分にならなかったのも、彼女が心から人間を嫌っているわけではないと直感したからかもしれない。

 もっとも、俺が勝手に思い込んでいるだけとも言えたが。

 ともあれ俺は彼女が指し示した道を真っ直ぐに進むと、少し開けた場所に出た。


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