⑨ 光と闇
混沌の中に産まれた光の女神ルミエルは新たな世界を創造すべく、四つの精霊を産み、空と大地と海と、そして火を、光の民である人間に与えた。
大地は肉体を、風は呼吸を、水は体液を、火は人間に温もりをもたらした。
人間はルミエルの加護の下に家を建て、村を興し、街を築き、終わりなき光を讃え、謳歌していた。
しかし光が強まれば陰もまた然り。
光が届かぬ地の底を支配する冥闇の王【アディス】は世界に夜をもたらし、人々の光の心に闇を植え付けた。
人々は本来恐れるべきでない死や暗闇に怯え、欲望の火を燃やし、隣人の富を妬んだ。
地上を堕落させた冥王アディスは平和を謳歌する光の世界を手中に収めんと、創造の女神ルミエルに反旗を翻したのである。
アディスは闇に侵された亡霊、悪霊、あるいは天地を覆う恐るべき獣らを率いた。
光の民は女神ルミエルと四精霊らの加護を受け、その手に剣を取って戦った。
だがアディスは狡猾だった。
光の民に植え付けられた闇は人々に疑心暗鬼をもたらし、ある者は黄金に魅了され、またある者は虚栄に惑わされ、欲望と怒りと妬みによって堕落した人間たちが光から闇へ移った。
世界はいつしか光の民と闇の民による争いとなっていたのである。
後世で云う【暗黒時代】の始まりだった。
その最中、光の民の中から、女神ルミエルに見出された青年が出現したという。
名を【ロア】と与えられた青年は、四精霊の力を其の心身に宿し、特に火の守護者の力によって闇を打ち払った。
そして彼は十年にも及ぶ戦いの末に、遂に冥王を極北の地に追い詰めた。
天は太陽と星の輝きを失って漆黒に染まり、身を砕くほどに凍てついた吹雪が渦を巻く氷の大地に、巨大な黒い影の塊が不気味に蠢いていた。
天と地を塗りつぶすかの者の黒霧は生きとし生ける物へ等しく恐怖と欲望と、また善や光に対して怒りや妬み、あるいは憎悪や怠惰を抗い難く邪悪に芽生えさせ、瞬時に開花させた。
ロアの心もまた黒に染まりかけた。
手にした剣を地に落とし、彼の者の前に膝を屈しかけたそのとき、漆黒の天空を一筋の光が槍のように差し込み、ロアの心を染めかけていた黒を白に戻した。
また彼の身体はまばゆく輝いた。
冥王が天を仰ぐと女神ルミエルが白翼を広げており、再び剣を手にしたロアが光と火を纏わせた切っ先で冥王の心臓を穿った。
二つの輝きによって自身の暗黒を祓われた冥王は、全ての空と山と海に響き渡るおぞましい叫び声をあげた後に、女神と地の守護者が造り給うた鎖によって四肢を繋ぎ止められ、生者も死者もいない虚無の狭間へ追放された。
されど彼の者は高らかな笑声と共に、ルミエルとロアに向けて告げた。
「我こそ冥王なり。我が名はアディス、原初にして終端なり。我は世の開闢にありて光と共に時を創りし者なり。我が産みたる影は世界の隅にありて、汝らの背に密やかに、されど確実に、我が意思を物語るであろう。心せよ。光ある限り闇もまたあり。汝らの心に闇があり、汝らの背後に影があるかぎり、我は再びこの地を踏まん。影纏う世界の地に――」
かくして冥王の闇とその民らは再び光届かぬ地の奥底へ消え去った。
しかし彼の者が光の民に与えた影と夜は消えず、人々は日の沈む夜に闇を払う火を焚いて冥王の影から身を守った。
世界を救ったロアもまた限りある命を持っており、若かりし頃はルミエルの寵愛を受け、やがて老いた彼は女神ルミエルから授かった神託を世に遺し、去った。
やがて来たる冥王の帰還、それに伴う光と闇の最終戦争。
そして、火の精霊を宿した次元の旅人が、新たな救世主として異界からやってくるという予言。
以後の二千年にも及ぶ歴史の中に於いて、火を纏う次元の旅人が出現した記録は無い。




