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⑧ 賢者の部屋にて

 メイスの部屋は俺の部屋よりも一階層下にある。

 最上階が国賓のための部屋ならば、此処は国の重鎮じゅうちんたちの部屋だった。

 通路の一番奥にある扉をノックすると、中からメイスの理知的な声が返ってきた。


「どうぞ、お入りください」


 言われてドアノブを回し、中に入ると、まず目に飛び込んできたのは書物の山であった。

 壁一面に設置された本棚にも、机やソファの上にも、果ては床の絨毯じゅうたんにまで、とにかく部屋のありとあらゆるところに何かしらの書物が山積みにされていた。

 呆れたことに、ふと部屋の奥を見れば、別室として書庫まで用意されている。

 察するに書庫に収まりきらない書物をこうして執務室等にまで広げているのだろう。

 メイスはそんな本の山というよりは山脈の只中で、白い湯気が昇る茶を味わっていた。


「凄い本の量ですね?」


「はは、お恥ずかしい限りです。これ以上本棚がおけず、かといって他の部屋に移したくも無いのですよ。すぐ手に届くところにないと落ち着きませんので。ささ、どうぞ楽にしてください」


 メイスはソファに積み上げていた本をどかして俺を座らせた。

 さて、ここでメイスという人物について少し触れておきたい。

 彼は冒頭で述べた通り、ルミエル信仰の大神官であり、ミオがいる大神殿の管理者である。

 が、ただの宗教者というわけでもない。


 カルナイン王国において神官とは、すなわち神の教えや天地の運行、あるいは古の文献を紐解いて創造神ルミエルと祖先が積み上げた教訓などを研鑽けんさんする、いわば学者の一面も備えていた。

 その神官の中で最高位たる神官長のメイスは、王国において神学の権威であり、同時に国王の相談役として持ち前の知識と知恵でもって仕えていた。

 書庫に収められた無数の本も、神学、考古学、薬学、天文学、その他博物学といった小難しい専門書ばかり。

 しかもそれらのほとんどを諳んじているというのだから、驚きを禁じ得ない。

 人には少なからず特定の分野に対する欲望が強い面があるが、彼の場合は貪欲どんよくなまでの知識欲がほぼ全てを占めているといってよかった。


 しかも、彼の目の前には、この世界で誰も知ることがない異界の知識を詰め込んだ人間がいるというのだから、この白い賢者は内心で知的好奇心の涎を溢れさせているに違いない。

 ある程度は少年王から話を聞いていたらしく、茶を啜りながら彼の口から出てきた質問は、俺がシクルスに教えたものに更に詳しく突っ込んできたものばかりだった。


 たとえば「自動車」と呼ばれる機械の構造、何故に「飛行機」という鉄の鳥が空を飛ぶのか、または「スマホ」なる遠方の人間といつでも交信出来る魔法の道具とはどういうものなのか。

 などなど、俺からすれば科学技術の一端に過ぎぬそれらも、この世界の住人から見れば十二分に「魔法」と呼ぶに値する不可思議であった。


 もっとも、技術系の専門学校を出ているわけではない俺の乏しい知識で彼の欲望を満たすにはとても足りず、なんとか知りうる限りの知識と多少のハッタリで疑問に答えていった。

 自動車や飛行機は無理でも、せめてスマホが実際に手にあれば説明も容易たやすいのだが、俺の愛機は既に黒焦げたガラクタとなってゴミ処理場の露と消えていることだろう。

 メイスはすっかり冷めてしまった茶で乾いた舌を潤し、今度は俺に質問を促す。


「アキラ殿も、まだまだこの世界における疑問に満ちていることと拝察します。微力ながら私も貴方に力をお貸ししたい。気になる点があれば何なりと仰ってください」


 来た、と俺は心の中で呟いた。

 気になることなど山ほどある。

 あれこれと考えを巡らせるうちに、俺は想いを集約させて彼に問う。


「メイスさん……俺は、この世界で、一体、何をすれば良いんですか?」


 自分は何のためにこの地に来たのか。

 何故、俺でなくてはならなかったのか。

 俺の疑問はまさにこの世界に存在する日守暁良自身についてだった。

 メイスもこの質問を予期していたのか、手元に置いてあった一冊の本を俺に手渡す。


「少し、昔話を致しましょう。これは昔々の物語。古の墳墓ふんぼより出土した文献、代々語り継がれてきた伝承を、我ら神学の徒が研鑽し、組み上げた、我々とアキラ殿に繋がる、およそ二千年もの月日を隔てたルミエル様と祖先たちの軌跡……」

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