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① 悪夢

 俺は火の中にいた……。


 焼け焦げた黒い大地には頂きから噴煙を立ち昇らせる山々が連なり、火口から流れ出した溶けた岩が紅蓮ぐれんの大河を幾重にも枝分かれさせている。

 空を仰げば、雲だか煙だか判別出来ない灰色に染まり、雨のように細かな火の粉が降り注いでいた。

 あらゆる生命を否定し、あらゆるうるおいを認めぬ灼熱の世界。

 地獄という場所が本当に存在するとすれば、こういう場所を言うのだろう。


 そんな他人事のようなことをぼんやりと考えていた俺は、まさにこの地獄の只中に立ち尽くしていたのである。

 あまりにも現実離れした光景が、俺の感覚を麻痺まひさせたのだろうか。

 これは夢に違いない。

 夢に決まっている。

 そう思わなければ気が狂いそうであったし、これだけの熱風の中で呼吸などすれば、あっという間に肺が焼け付いて、遠火で焼かれる魚よろしくこんがりと肌を狐色に染めていたはずだ。


 一体どれほどの時間を此処ここで棒立ちしていたのかは記憶していなかったが、少なくとも意識を得たときには此処にいた。

 そして、それからどれほどの時間を経たのか、不意に目の前で変化が現れた。

 大地を流れる溶岩流の中でも一際大きな流れの奥底で何かがうごめき、そちらに視線を向けた刹那せつな紅蓮ぐれんの河から突如として、岩の柱が天に向かって伸びだした。


 否、それは断じて柱などではなかった。

 如何なる生物を凌駕りょうがする竜のようであり、はたまたこの地獄に相応しい悪鬼のようでもあった。

 先端には死神の鎌を思わせる湾曲した鋭い爪が五本生え、掌を広げて大地を抉りながら支えとすると、次には丸く盛り上がる流れの中から彼の者がその巨躯を露わにした。

 先程の腕と同様に肌はゴツゴツとした岩石に覆われ、その亀裂の至る所から溶岩が流れ落ち、口には鋭い剣のような牙が生え、頭には槍のような四本の角が伸び、長く太い尾がしなる度に嵐が巻き起こり、ひとたび咆哮ほうこうすれば天地が激しく震え、連なった山々が呼応するように噴火の勢いを強めていく。


 そして、その総身の毛を逆立たせるほどに荘厳そうごんで強大で兇暴きょうぼうな顔を俺の方へゆっくりと向けた彼の者は、大きく息を吸い込むと、足元にも満たぬちっぽけな存在に向かって激しくも妙に和らかな火炎を吐き、俺はその地獄から跡形もなく蒸発した……。



 ハッと悪夢から目覚めたとき、俺はまだ自分が夢の世界に取り残されているのではないかと錯覚した。

 何故なら見慣れた自分の部屋が、今まさに火の海の中に沈もうとしていたからだ。

 外では群衆の叫ぶ声と、馴染み深い消防車のサイレンがドップラー効果を放棄して鳴り響いていた。


 火事だ、逃げねば、すぐにベッドから出て、窓を開けて、彼らに助けを請わなければ。


 頭では分かっていても、部屋に充満した煙によって俺の体は思うように動かず、なんとか寝床から這い出したときには、既に炎は俺の目の前にまで迫っていた。

 燃える、焼ける、何もかもが灰に変わっていく……。

 間もなく炎は夢と同じように、俺の体も、魂さえも灰に変えてしまうのだろう。

 思わず、乾いた笑いが口から溢れた。


 なんと呆気ない最期なのだろう。


 まだ成人すら迎えていないうちから、しかも、生きながらに火葬されるとは思いもよらなかった。

 しかし、逃げようにも、既に体は動かない。

 俺は薄れゆく意識の中、ただただ助かりたい一心で、目の前に手を伸ばす。

 すると、炎の合間から眩い白き光が俺の手を包み込み、やがてそれは次第に大きく輝きを増して、俺の全身を呑み込んだ。

 その日、一件の民家が不審火によって焼け落ちた。


 生存者は見つかっていない。

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