神出鬼没な男
激しい雷雨が降り止まない森の中、墓地からさらに郊外へ向かう。
「――これが、君の知らなかった事実だ」
馬車の荷台に揺られながら、ミュートはウツロに九年前の真相を聞かされていた。
彼がどうして、そんなことを知っているのか――疑問に思っても驚いたりはしなかった。これまで暗かった部分を克明に知らされても、眉一つ動かさなかった。
仇討をするか、しないか、そう葛藤していた部分とは別の問題だったこともあって、心のあり方も依然としていた。
「それから私は管理局に保護されて、お義父様の養子になった……か?」
「養子縁組を手引きしたのはダグバルム、現中立国の右頭だ。徹底した審査のもと、連邦内で子供に恵まれなかった上級騎士の家を探し出して、お前の境遇を告げた上で預けた」
「よくも私のような子供を引き取ったものだ。いやなるほど。お義父様はそこまで知っていて、私にプロイナフをあてがってくれたのか……そのための力をつけさせようとして」
「管理局の記録では、お前は死んだことになっている。アイゼオンは開戦の企てを知った――お前の生存からそれを悟られないように、帝国から遠ざける意図もあったのだろう。ただ連邦に知られても困るから、いつでもお前を消せる用意はしていたはず。ならレゼリード=シュハルヴがそういう男だとも知っていたはずだ。……せめてもの情け。あの男らしいやり方だな」
「そうか。そういうことだったのか」
「……落ち着いているな?」
抱えた片膝にぼんやりとした顔を寄せて、ミュートは淡々と受け答えをしていた。
そんな様子を一瞥したウツロから、意外そうな口調で問われる。
自分が斬殺した男は、取り返しのつかない大罪を犯そうとした両親を止めて、なおかつ自分を救ってくれた命の恩人――であるのに、平然としていることについてだと、彼女はすぐに理解する。
そこにこそ葛藤があったのだ。それも今では、隠しておく必要はない。
「私は……」
九年間抱えていた闇を、ミュートは独り言のように吐き出した。
馬車が行き着いた先は、人里を離れた森の中にある神樹教の旧大聖堂だった。
数百年前に国の実権を失った神樹教が、権力者に疎まれていた時代に建造した施設である。
崇めるべき神から遠くに追いやられたという記憶が刻まれた、信奉者にとっては屈辱的な歴史のある建物であり、時期を経て現在の大聖堂が建造されてからは、近寄ることも忌々しい場所とされている。
組石造の塔として建てられたそれは、佇まいこそしっかりとしてはいるが、どこか大きいばかりで粗末な印象が強い。
歴史的遺物とはいえ保存管理などが一切されておらず、長い年月をかけて周囲の大樹の根に絡みつかれていて、これが実は風化による倒壊を防いでいた。
目をつぶるべき個所は多いが、ともあれまだ大聖堂と呼んでも間に合うだろう。
「この中だ。入るぞ」
ウツロが前を、ミュートがうしろを歩き、吹き抜けになった旧大聖堂の入口を進む。
すぐに40メィダ四方の玄関広間があって、そこから空間が直上に伸びている。奥には最上階まで続く螺旋階段の上り口が構えられていて、その最上階には祭壇をもうけた広間が待っている。
最上部は大樹の森を上に抜けて――遠く離れた神樹も眺められる高さにある。
当時の信者たちが座っていただろうベンチは、いつか無法者たちに荒らされたのか乱雑に壁際まで追いやられており、ところどころ生活していた痕跡も見受けられた。
また値が付くものはだいたいが盗まれたらしく、今はただ広いばかりの部屋になっていた。
昼夜の灯りは壁に連なる大窓や天窓から差し込む自然光でまかなわれるか、悪天候で陽光や月光が差し込まない場合は、フォトンストーンの照明をもちいて補われる。
雷雨ならば後者だ。
「思いのほか、早かったな」
広間の奥には男が一人、適当なベンチに腰かけて読書をしていた。
肩まで伸びた癖の強い黒髪。細い眼鏡の奥に覗かせる黒い瞳、悪魔さながらの目つき。綺麗に切りそろえた髭が口の動きにあわせて形を変える。
その洗練された身体は、厚手の服をまとっていても、見識ある者には『ただ者ではない』と思わせる。
しかし穏やかな気配を漂わせて、イヴァンは二人の訪れを待っていた。
「なぜここに……いや、そういうことなのか?」
疑問に思ったウツロが、少しだけ考えて見当をつける。
「もう少し反応があるものと思ったが、どうやら違うらしい」
手元の本から視線を外したイヴァンは、続けてミュートに言いつけた。
「娘、ここにから二階下りれば居住区がある。そこにある浴場に湯を張って服も用意してある。その濡れた身体をどうにかしてこい」
「……お前は、この男の仲間なのか?」
ミュートがウツロに目配せする。
「話はあとだ。冷める前に行けと言っている」
やや強めに催促すると、イヴァンは半ば追い出すようにミュートを向かわせた。そんな一部始終をウツロからまじまじと見られていた。もとい、睨みつけられていた。
その突き刺すような視線に柔らかい視線を重ねた彼は、ふと冗談めかした調子で言う。
「相手が子供だろうが、レディ―ファーストが信条だ」
「そうではない」
ウツロが即答する。
「なら視線を外して練気を止めろ。男に観察される趣味はない」
「何が目的だ? 何をするつもりだ?」
その強烈な生命エネルギーの発生源に意識を移す。
「その自慢の右目で確かめたらどうだ?」
「邪魔をするつもりがあるなら、殺す」
「やめておけ。お前には上手い加減ができそうにない。それにおそらく……俺の目的はお前の目的を助ける。ただ露払いをしてやろうというのだ」
ぱたんと本を閉じたイヴァンは、忠告をまじえて返した。
「……そうか。アラン=スミシィか」
ふたたび少し考えて、ウツロが納得する。彼の身体は静かに練気を止めて落ち着いた。その仮面で表情が見えなければ、やはりそのどれもが平然と行われたようにしか見えない。
「自分ばかりものを聞くな。そろそろお前の目的を話してもらおうか?」
「まだ話せない」
イヴァンは「なぜだ?」と首を傾げる。
「レディーファーストが信条と言った」
「……少し、お前の顔に興味が湧いた」
×
神樹の巫女が居住するための場所も、もれなく荒らされていた。
ところが奥にあった石造りの浴室だけは、ごく最近に手が加えられた様子がうかがえた。隅々まで清掃されていて、水垢やカビといった類の汚れも見当たらないのだ。
聖堂内のほかが悲惨なだけに、何がどうと比べるまでもなく、ここにいても不快になることはない。
浴場を飾る化粧石も風化はあるが、まだ照明があたれば輝いても見える。
「……張ったばかりなのか?」
脱衣所で制服を脱ぐ前に、ミュートは張られた湯の温度を確かめた。
浴場に立ち込める湯気の具合から予想はついたが、それも指先を浸ければ確信に変わった。また現代のようにフォトンストーンの器具一つで手軽に沸かされた湯ではないと、まわりに目配せすれば気がついた。
古くは下から火で熱して、手間をかけて沸かしたそうだが……。
そう考えて、すまし顔で読書をしていた男が想い浮かぶ。
自分たちがどんな状態で来るのかを予期して準備していた。しかし正しい時間までは分らなかったはずである。仮にそうではなかったとしても、ともかく気遣いがあったことには違いない。
「冬の湯は冷めやすい……それでもこれだけ熱い」
増え始める独り言を自覚しながら、ミュートは濡れた制服に手をかける。
ギルヴィムとの戦いで原型を失ったそれは、いっそ破いた方が早い有り様だった。それでも彼女は手順どおり脱いでいった。力を破くような気力は残っていなかったし、何より、その方が人間らしい振る舞いだと思えた。まだ自分はそれができると信じたかったのだ。
「結局お前は、何がしたかったんだろうな?」
そっと湯に浸かって、その波打つ湯に映った自分に問いかける。
自分の両親は、何らかの大罪を犯そうとしていた。ギルヴィム=エデルタークという男は、きっと断腸の思いで剣を振るっていた――ウツロに真相を教えられるより前から知っていた。
時間は九年もあった。上級騎士である義父の力にも助けられて、そこまでなら調べもついていた。
それさえ右頭とやらが流した情報なのか? とも今なら考えられるが、どの道すべてが過去のことだった。
両親の無念を晴らす、いつか報いを受けさせる、なすべき復讐だった……。
どれだけ自分を正当化しようとも、逆恨みであることは変わらない。いつ訪れるのかも定かでないその時まで、そんな厭悪の情と共生するなど耐えられない。
もう何もかも忘れてしまいたい。
「……君たちといれば、それができる気がしていた。……君のそばにいれば、もしかしたら君が私を止めてくれるのではと思っていた。……何も話そうとしなかった私が虫のいいことに」
君という一人を指して、優しい騎士という志に、心は知らぬ間に依存している。
その子供じみた考えにどうしようもなく惹かれた。
その子供じみた考えはあまりに眩しく見えた。
その子供じみた考えが自分の救いに思えた。
その子供じみた考えを思うほど苦しくなった。
「こんな私でも なぜだか君は許してくれそうな気がする」
何もかも手遅れに思えてしまう。
「……だから、もう一緒にはいたくないな」
ミュートは失意の底にいた。
「ほぅ、なかなか似合うじゃないか?」
浴室をあとにしたミュートは、まっすぐ祭壇の広間に戻った。
戻ってすぐ、相変わらず読書をして待っていたイヴァンにそう言葉をかけられる。そこから逆側の窓間壁にもたれていたウツロの、呆気にとられて固まる様子が視界に入る。
彼らが何に対してそんな言動をとったのか、それは悩まずに察しがついた。
彼女は湯上りの身体で、足首丈の黒いドレスを着こなしていた。
横に広がらない柔らかなその生地は、歩く度にひらめくほど軽い。決して堅苦しい造りではなく、かといって普段使いも難しい一着という印象がある。
何にせよ、土台の見てくれが美しいため悲惨なことにはなっていなかった。
気にしたウツロが、そんなものを用意した男に視線を送る。
「俺に女の趣味を語れと言うのなら、やぶさかではないが?」
「遠慮しよう」
「あれは昔、黒の似合う女がいた……」
「遠慮すると言った」
話したがるイヴァンと拒むウツロをよそに、ミュートは適当なベンチに腰かける。この二人がそう悪い人間ではないように思えていた。特に後者に関しては警戒心もほとんど解けていた。
それも裏を返せば、深く考える気力もなくなっている、ということでもある。
「あなたは誰だ?」
ぼんやりとした声で、ミュートはイヴァンに尋ねた。
「……そう誰もが一度は人に聞きたがる」
疑問の要点を一度逸れて、それからどこか説教臭く続いた。
「自分の思う自分と他人の思う自分は違う。しかしそれらは総じて自分だ。自分の思うそれを他人の思うそれと近づけるか遠ざけるか、それも自分次第だ……言葉だけで知ろうとはするな」
「……なら少し面倒臭い人だな、あなたは」
「構わん。それも紛うかたなき俺だ」
とりとめもない問答をしながら、ミュートは黙々とイヴァンを見つめていた。
その穏やかな気配の内に、何か得体の知れないものを飼っている――そんな彼が持っている雰囲気が、覚えのある一人の雰囲気とも似て感じられると、彼女は少なからず興味を引かれていたのだ。
「ミュート=シュハルヴ。……君との約束を守る。俺の目的を話そう」
ちょうど頃合いと見て、ウツロがふたたび語り始める。
その目的を知ったところで、何かが変わるとは思えない。しかしどう過ごしていいのかもわらない今はまだ、ミュートはそれを聞くほかになかった。
2018年1月12日 全文修正。




