九年前の真相②
夕食からしばらく経った頃。
ミュートから遊び相手になるようせがまれたギルヴィムは、約束通り彼女の相手になった。
鬱陶しがらずに、そもそも嫌ではなかったから、彼女がまるで我が子であるかのように接した。夜更かしもいとわない気でいたが、しかし彼女が途中で眠気に負ければ気持ちも空回りさせていた。
「娘に振られたらしいな……大枚を叩いて美味い酒を買ったんだ。付き合わないか?」
ミュートをオーレリィに預けたところで、マルクから晩酌に誘われる。
ギルヴィムは二つ返事で付き合った。再会とはまた別に目的もあり、ミュートには伏せるべきことであれば、済ませるには都合が良いと思っていた。
だから数年ぶりの再会を祝う気持ち半分、ここで果たすべき義務を果たす気持ち半分――胸中にして、彼は親友とカウンターに並んだ。
グラスに注がれる常温の高級酒が、大粒の氷を溶かしていく――照明一つの薄暗い店内に、小さな乾杯の声と、グラスを触れ合わせる音が響き渡る。
そのまま傾けて一呼吸したあとで、マルクがしみじみと切り出した。
「君とこうしているのも一年ぶりかな。早いものだね」
「まったくな。皇都からここまで飛龍に乗って一週間。長期休暇でももらわなければ、おいそれとは顔も出せなくなった。何がどうして、騎士団長になどなってしまったからな」
肩をすくめて、ギルヴィムは呆れたように笑う。
「出世したなぁ……ご足労に感謝いたしまする、我らが憧れの騎士団長様ぁ、へへぇ」
「よしてくれ。こっちに来てからようやく聞こえなくなった言葉だ」
からかう気配のあるマルクから、大袈裟に謝辞を謳われた。
その程度のへりくだり方なら、ギルヴィムは数えきれないほど覚えがある。だから慣れているが、かといって遠路はるばるこの地を訪れてまで、うんざりとはしたくない。
「あれれ? 盛ったつもりだけれど……君も気苦労しているらしいな」
「察してくれて、どうも」
今は親しく笑みを交わして、グラスに二口目をつける。
「それにしても、あの子は君にずいぶんとご執心で……親としては少し複雑だ」
「妬いてくれるな。ご息女と結婚させてくれとは言わんさ。今年でいくつになる?」
「もうじき八歳になるよ」
「容姿は母親に似てきたな。性格はまるっきりお前だが」
話題になって、ちょうどオーレリィがカウンターまで顔を出した。
ミュートを寝かしつけたあとで、店の厨房で肴を作って運んできていた。カウンターの中に立った彼女が出したそれは、芳ばしいハムと数種類のチーズだった。
「お酒だけでは、やはり口も寂しいでしょう?」
「悪いな……昔からお前という女は良く気が回る。軍人だった時は、慣れるとそうでもなかったが、今思えばあれは奇妙な絵面だった。どこかの貴族令嬢がでかい剣を振り回して暴れている――そんな風に見えていた。いや、誰よりも勇ましい『勇者』だったな」
当時を思い返したギルヴィムは、礼のついでにオーレリィをおだてた。
それを聞いて気分を良くしたマルクから、彼女にかわって得意げに返事をもらう。
「さすが良く分かっているじゃないか。僕はあれに一発だったなぁ。あとは知っての通り、告白する度にボコボコにされて、それでもしつこく拝み倒して、今では娘をもうけた夫婦さ」
「沢山の殿方に言い寄られましたが、あれほどしつこい方はいませんでした……そのままの調子で、プロポーズまでなさっていただけたら、あの子ももう少し育っていたかもしれませんね。ですがそうでなくとも、今だって幸せですよ」
自分のグラスを用意しながら、オーレリィが微笑んだ。
「夫婦円満で良いことだ……では今の内に、面白くない話をしておこうか」
団らんの雰囲気になってしまう前に、ギルヴィムはそれを話そうと決心する。それを察した夫婦の顔つきが真剣なものに変わったところを見計らい、彼は声の調子を落として続けた。
「始めに、これは陛下からの勅令だ。陛下に胸中を聞かされているのは、まだ俺一人らしい。決して他言は許されない。これを覚えておいてほしい――」
この場でマルクたち夫婦には、次のことが伝えられた。
十年前、もとい、この時点からは昨年にあたるアルカディア騎士武闘祭において、帝国は歴史的な快勝をおさめた。これまで結果に色づけすれば斑になったものが、その年は上から一色に染まった。
将来的な軍事力の縮図とされる大会で、停戦関係にある連邦との均衡を崩したのだ。
これによって、帝国の皇帝であるラテリオスが密かに思い立った。
『もし開戦すれば、帝国は連邦を征伐できるのではないか?』
たった一度の快勝では、判断する材料としては不安が残る。
偶然にも人材に恵まれなかった、連邦が組織的に人材を隠匿していた、第三者の陰謀で妨害工作が加えられていた、そうした可能性は決して否めない。
それでも連邦さえ征服してしまえば、いずれは世界を統一することも夢ではない――この可能性がラテリオスの琴線に触れていた。
そして皇帝に信頼をおかれていたギルヴィムに、その白羽の矢が立った。
『現在、アイゼオンで暗躍しているお前の友に、連邦の内情を集めさせよ』
信頼する者が信頼する者を見込んだ勅令、それを伝える役目を負うことだ。
「――お前たちが中立国に移り住んで、ちょうど十年目ということもある」
「そうか……この先も諜報員として、それなりの給金をもらいながら細々と連邦の内部情報を集める生活を、続けて行きたかったんだけどな。それが名指しの勅令ときた、はっ……本当に、あの男は、他人の幸福を奪う天才だよ。このご時世に一体何を考えているんだ」
弱々しく笑ったマルクが、下がりそうになる頭を抱えた。
十年目という単語は、管理局が定めた一定の期間を指していた。帝国から連邦、連邦から帝国へ、中立国を介した出入国を制限する時間である。
主に諜報活動の防止を目的としており、人種、性別や身分にかかわらず、これには特例も認められていない。
中立国内に流れ込む情報を拾われることに関しては、完全には防ぎようもない。それでも、これがなければ何一つとして防ぐことなどできないだろう。
「帝国から中立国、そして連邦に渡れば向こう三年は戻れない。管理局に制限をかけられてしまう。敵国のただ中だ。その危険性は計り知れない……望むなら、俺から陛下に断りを入れる」
「馬鹿を言うな! ……それだけはやめてくれ。あれは愚かな皇帝だ。そんなことをすれば、君も、僕たちだってただでは済まない。取り返しがつかなくなる。わかっているだろう?」
親友からの提案を、マルクが苛立った調子で拒んだ。
「敵国が協定を反故にした開戦を企てている……万が一にも連邦政府に知られては、一気に開戦してしまう可能性もあり得る。三年後にお前の持ち帰る情報によっては……戦争をするおつもりなのだ。本当に、まったく愚かなことだ。太平に向かう世に、なぜ火を放とうとされるのか」
それからしばらくは、沈黙だけが流れた。
「……すまない。少し感情的になっていた」
やがて明るい笑みを浮かべたマルクが、ぎこちなくも気を取り直すように続ける。
「たしかに最高に面白くない話だった。けれど、もう終わりだろう? なら楽しい話をしよう。まだ夜は長い。ちゃんとへばらずに付き合ってくれよ?」
「……もちろんだとも。樽が空になるまで付き合ってやる」
言葉通り、ギルヴィムはその晩を飲み明かした。
2018年1月9日 全文修正。