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九年前の真相①


 アイゼオン共和国、中部地方・ダリアロード州。


 首都であるシルフィラインは、南部地方・主要行政区画の首都であるドラシエラに比肩する第二の首都と謳われていた。


 別名に『風精霊の通り道』とあるが、共和国の各州を結んで栄えるさまが常に新しい風に吹かれている、そう見えたことから名付けられた説が有名である。


 まだ改名していない七歳のミュートは、ここで暮らしていた。


 小さな喫茶店を経営する両親の娘として、決して裕福な生活ではなかったが、それでも苦労はない程度のありきたりな幸福の中に生まれ育った。


 父譲りで気立てが良く、母譲りで要領が良く、さらに騎士になれるだけの素質も持っている――両親いわく、彼女は『出来過ぎた娘』だった。


「お父さん、あれは何?」


「うん? あれは……ろ過器だね。水を綺麗にするもので、きっと白い石が入っている」


 毎月設けた喫茶店の定休日には、家族水入らずの時間を過ごす。


 父親であるマルクの肩に乗って、母親であるオーレリィと手を繋いで、人々で溢れ返った大通りを運ばれて行った。


 その中で路傍に目新しい物を見つけては、あれこれと好奇心から指差して尋ねた。鬱陶しがらずに答えてくれる両親に愛情を感じて、無意識にも尊敬の念を抱いた。


「あんなに小さい……私たちが子供だった頃よりも進みましたね。ここ数年は特に」


「確か、国が外から優秀な科学者を招いてからだ。その影響もあるんだろう」


 両親の会話から聞こえる、まだ覚えのない単語も例外ではない。


「かがくしゃ? えらい人?」


「そうだなぁ……凄く努力をしている人たちかな。僕らが当たり前に考えているものだって、大半は彼らが考えたものになっている。だから考えない僕たちは感謝こそすれども、新しいものに慣れて、古いものを不出来と笑ってはいけない。でも考えないから駄目でもなくて……」


「ぅー……わからない」


 日に日に物覚えが良くなる娘に、マルクが難しく語ろうとする。しかし口下手であればその要点は上手く伝わらない。


 しばしばあるこうした時には、決まってオーレリィが間に割って入った。伊達にそんな男の妻をしていないから、彼女も知っているのだ。


「また格好をつけようとする。だからいつも話が長くなるのですよ?」


「もう少し言葉を柔らかく包んでくれないかな……胸が痛いよ」


「あなたはプロポーズの時からそう。ただ潔く『僕と結婚してください』と一言おっしゃったら良いものを、やれ美の女神だ、やれ愛の女神だ、などと言葉を飾るからあんなにも時間が……」


「待ってくれ。この子の前でその話はやめないか?」


 たちまち甲斐性のなくなる父親に、呆れから口を尖らせる母親。


 それなりに世間を知り始めたミュートは、これが喧嘩ではないと気づいていた。それでいて、なら何であるのかはまだ分らなかった。聞こうにも上手い言葉が見つからなかった。


「お母さん怒っているの?」


「いえ怒っていません。積み重ねているのです。いいですか? あなたはお父さんのような、軟弱な精神の持ち主を愛してはいけませんよ。その時に欲しいたった一言をもらうのに、苦労を強いられてしまいますから。あの当時、一体私がどれだけ奔走したことか……」


「良く分からないけど、でもお父さん大好きぃー」


 娘の言葉に頬を緩ませて、マルクがオーレリィを向いた。


「そうかそうかぁ。お父さんのことが大好きか……なら今日は、お前に好きなものを一つだけ買ってあげようかな。お前はいつも良い子にしているからなぁ、あはは」


「……本当に、だらしない人ですね」





 シルフィラインの大通りから一本外れた地裏に、ひっそりと構えられた喫茶店。


 朝昼は食事目当ての労働者で忙しなく、昼下がりは珈琲一杯で長時間ねばる貴婦人に翻弄されて、夜になれば閑古鳥が鳴いている。マルクたちが営んでいるのはそんな店だった。


 開店から八年と新しくも古くもないが、口伝えに評判が広まって顔なじみも増えつつある。将来的に経営困難になりそうな雰囲気は、客の視点から見ても感じられない。


 とある日の夕時、マルクがこの店に親友を招いていた。


 普段よりも早い閉店で人払いが済まされたことで、店内にはマルク、オーレリィ、ミュート、その親友と見知った顔だけがそろった。


 滅多に会えない相手だったし、ほかに客がいては落ち着いた話もできそうにはないから――そんな計らいは、わずかな時間でも惜しむ気持ちがあってこそだ。


「あっ、ギルヴィムおじちゃん。いらっしゃい! 会いたかった!」


 父親の親友の名前は、ギルヴィム=エデルタークと言った。


 両親に彼が来ると聞かされてから、ミュートは今か今かと再会の時を待ちわびていた。その溢れるような気持ちは、彼を見た途端に抑えきれなくなった。


 喜色満面になり、小さな両腕をうんと広げて飛びかかる。彼の大きな懐におさまって甘えるように顔を押しつける。


 彼に懐いていた彼女は、それ相応に可愛がられていた。


「おっとと……お前か? 大きくなったな。少し見ない間に見違えた」


「ねぇ、しばらくお泊りするんでしょう? 夜は一緒に遊びましょう?」


「はははっ気が早い。いや、もちろんだとも」


 ギルヴィムの意識が、腕の中からカウンターの中にいたマルクに移る。


「やぁ。元気そうで何よりだよ、ギルヴィム……相変わらずだな」


「すまない。少し早くなったな……お前の方こそ変わらんな」


 しがみついて離れない少女を引きずって、ギルヴィムが親友から差し出された手を握る。


 一年ぶりに二人の間で交わされた握手は、再会を喜ぶように固く交わされていた。そばで見ていたオーレリィに「いい加減むさ苦しい」と苦情を挟まれるまで、それは解ける気配がなかった。


「おじちゃんご飯は食べた? 今日は私も作ったの」


 ミュートは少し得意げになってギルヴィムに教えた。


「本当か? なら腹を空かしてきた甲斐がありそうだ」


「うん、絶対に、絶対に美味しいから」


 ――さかのぼること九年前。


 ミュートはありふれた幸福の中で生きていた。生きているとも思っていた。


 ただ彼女は幼く、まだ知らなかった。両親がもっている裏の顔も、中立国で暮らしている理由も、自分の身体に帝国の血が流れていることも、慕っている人間の素性も、多くのことを知らされていなかった。


 それらは総じて、いつまでも知らずにいるべきものだった。


2018年1月9日 全文修正。

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