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わがまま


 七月六日。


 今朝から軽雨に見舞われ、午後になるほど雨脚が強まりそうな空模様をしていた。


「何をやっている、だらしない奴らめ! ちんたら動くな、手を抜くんじゃない!」


 ボッフォウが教官になってから、五回目の訓練が行われていた。演習場には常に、彼の怒声が響きわた

る。そこには生徒たちが不満の表情を浮かべ、言われるがままの訓練に取り組む姿もあった。


「なんだか、見ていられませんね……」


「ふむ……あれでは生徒たちが潰れるか……」


 休憩がてらに生徒たちをうかがったネネが、眉間にしわを寄せる。ジョンも同調するように、声の調子を落として呟いた。


 ボッフォウが訓練に際して最初に行ったのは、生徒たちを三人一組に分けて、不変とすること。


『木剣を使ったニ対一の模擬戦闘、その役割を十分ごとに順番交代で行う』


 という訓練をするためだった。彼が初日に「同程度の力で競っても向上しない」と持論を展開すると、生徒たちも上級騎士の方針であるとして、これを受け入れた。


 しかし実際は、一人が一方的に痛めつけられるという、予想とは異なるものでしかなかった。


 時に相手を気遣って手加減すれば、その都度に怒号が飛ぶ。反抗すれば、顔を叩かれ強要される。ここ数日は、そのような訓練が繰り返されてきたのだ。


 生徒たちには、もう限界が近づいていた。


 ふとボッフォウは木剣で打たれてうずくまったままの女子生徒を目にとめた。


「……そこのお前、さっきから何をやっている!」


 強面を険しい形相に変え、演習場の泥濘をバチャバチャと踏み鳴らして歩み寄る。その女子生徒を労わるつもりでないことは、誰の目にもあきらかだった。


「立てぃ!」


『……教官、もう無理です……私、ついていけない……足だってもう……』


 女子生徒の声は、嗚咽交じりに震えていた。心が折れたように、立ちあがれる気配もない。


「お前たちはフォトン能力者だ、人より多くフォトンを持っている、骨折程度の怪我ならすぐに治せるだろう!? 戦えぃ、お前はなんのためにこの場にいる!? 今すぐ治して立たないか!」


『いや、いやだ……もう、こんなの……』


 女子生徒が落としていた木剣を拾いあげて、ボッフォウはそれを振り被った。


「軟弱者が、それで騎士になるつもりか!?」


 圧倒的な恐怖に萎縮して動けなければ、生徒たちの誰しもが、その時を待つばかりだろう。


 ただし、目をおおいたくなるような瞬間は、一向に訪れなかった。


「まぁまぁ……もう少し怠けませんか?」


 いつの間にか、生徒たちの目には、ボッフォウの腕を掴んで離さないジョンが映っていた。


「…………ジョン教官、これはなんの真似だ?」


 いつからここに、いや、どうやって近づいてきた……?


 油断はなかったはず、そもそも、これは油断がどうのという距離感じゃない……。


 直前の記憶を振り返るも、そんな自覚がボッフォウにはあった。だから、内心の動揺を悟られまいと、無意識に笑みを作り、ジョンに問いかけていた。彼も生徒たちと同様に、腕を掴まれるまでは、まったく気づけなかったのだ。


「日は浅いですが、一応……私もこの場をあずかる教官ですからな。むやみに怪我をする生徒がいては、私も立場がないのですよ」


 木剣を振り下ろす気は失せたらしいと察して、ジョンは掴んだ手を放した。


 ここに来てからも、彼は優しげな微笑みを絶やさないでいた。


 思わず割り込んでしまったが、果たして私の行いは正しいのか……。


 今はどうも、見捨てておく気になれそうもない……。


 優しい騎士ならば何と思うか、今の私のように思うのだろうか……。


 そうだとして、果たして私に勤まるだろうか……。


 気色には見せない思いをめぐらせて、今はそう心のおもむくままにある。


「……わがままな男だな。お前は立場と言ったが、そうすると、俺の立場はどうなる? たった今、俺はお前に訓練を邪魔されているんだぞ?」


「おそれながら、ボッフォウ殿が振ろうとした剣は、教えるためのものには見えませんでした」


「ほぅ、お前に俺の剣がわかるというのか?」


「私も……多少は剣が扱えますからな……」


 ボッフォウは会話の途中から徐々に表情を失くして、失くしきる頃には試そうと思い立ち、木剣でジョンに斬りかかった。


 万物にフォトンを籠める――『籠気術』により、木剣に通常ではありえない威力を発揮させて、寸止めをする。


 側頭部を狙う木剣を中心に、大気が激しく弾かれて、降りしきる雨や足元の水溜りが散った。


 手加減を間違えて人を打ちぬけば、間違いなく死にいたらしめるだろう一撃だった。


「いやはや、見事な剣筋ですな」


 ジョンは微動だにせず、余裕綽々とでも言うように、感嘆の声を返した。


 別段それは虚勢などではなく、ましてや反応ができなかったわけでもない。ボッフォウの木剣に、打ち抜くだけの敵意がないことを察していたからにすぎない。


「……あながち嘘でもないらしいな」


 どちらかというと虚勢を張ったのは、そう言ったボッフォウだ。


 ジョンと会ってから胸の奥に生じていた妙な感触が、この時に明確なものとなる。


 自分より若く、体が一回り小さい、悟りきった態度をしている――そんな男の持つ存在感が、あきらかに自分のそれを凌駕しているように感じられる――そんな不快感によるものだった。


 相手と自分を比べたいという好奇心からか、あるいは相手に劣るという感覚の否定からか、ほんの軽い気持ちの挑発と威圧をきっかけに、欲求はたちまち大きくなった。


「互いに意見が違うようだ……ならばジョン教官、ここは男らしく剣で白黒つけようじゃないか?」


「剣ですか……ほかにもう少し、穏便な方法はないものですかな?」


 ボッフォウの提案に、ジョンはわずかにも微笑みを渋くした。


「ジョン教官、俺たちはここにいる子供に剣を教える人間だ。いわば、子供に人殺しの方法を教える人間だ。それも将来に戦場で殺戮の限りを尽くし、酷使されるかもしれない能力を持った子供を――ともすれば俺たちの方針一つでその生死も変わる。これだけ重要なことだ、剣が相応しいだろう?」


「それは承知しています。聞けば、かつては十四、五で戦場に立つ子供もいたとか……ですが、何も彼らの気概や覚悟に習わずとも、この子たちに相応しい教育があるでしょう? 当時の過酷な教育が今も通用するとは限らないだろうと、近頃はそうも思うのです」


「……それがこの依怙贔屓の言いわけになると?」


「志のない者に剣を与えてどうなります、今しがた、ボッフォウ殿も見たではありませんか。辛い、苦しい、痛い、それを理由に訓練で心の折れるような、それを支えるだけの志がない子供たちの姿を……将来もし戦場に立つことになっても、率いた兵を道ずれに死ぬばかりだ。この停戦の時代です、何も騎士にならずとも、話し合いの場で活躍することもできるのでは?」


「言うじゃないか……確かに、子供とはいえ、自覚が足りていない者がほとんどだ」


 その言葉尻に、ボッフォウから一瞥される。


 張りつめた空気の中、耳にしていた二人の会話の内容も相まって、生徒たちは怯んだ。


 ――お主らにとって、騎士とはなんだ?


 彼らの脳裏には、ジョンの言葉が思い返されていた。


 自分たちが剣を教えてもらえなかった理由は何か、自分たちがこの場にいる意味は何か……。


 自分たちが騎士となってなすべきことは、何か……。


 それらを考えて、これまでいかに考えなしに木剣を振るっていたか思い知る。二人から目を背ける生徒たちの顔は、一様に曇りきっていた。


 そうした時、ボッフォウが「だがな……」と続けた。


「話し合いは認められん。なぜならば、剣なくして、今この時はあり得ないからだ……連邦と帝国の開戦から二百年。世の中は七十年の平穏にあるが、これは停戦という仮初が奇跡的に長引いているにすぎない。現在も長大な国境線では両勢力の騎士が睨み合い、木の葉一枚くれるものかと剣を握り、強い敵意を示し合っている。騎士はまだ、話し合いのテーブルになど座っていない。この戦争に決着がつかない限り、最後は俺たちも剣で決めねばならんのだよ」


 会話がなりゆくまま、提案を断ろうと考えていた矢先、ジョンはこれを思いとどまった。


 連邦と帝国の決着がつかない限り――その言葉を聞けば、戦乱の時代に生きた世代として、不安定な停戦という時代を招いてしまったことに、少なからず責任を感じてしまっていた。


「それは……そう、なのかもしれませんな……」


 今の世代の者が、本気でそれを望むのであれば、これは受け入れるべきなのだろう……。


 ホロロが志す優しい騎士がなんたるものか……。


 私には語るだけの優しい心も、貫くだけの信念も、まだ持ちあわせが足りぬようだ……。


 修羅に身をやつした私が話し合いで諍いを解決しようなど、おこがましいことだったな……。


 伏し目がちな微笑みに自嘲を含ませて、ジョンは「いいでしょう」と賛成する。


 ちょうど、雨脚が強まろうとしていた。





「先に一本取った方の勝ちだ」


「心得ました」


 演習場の中ほど、二人は木剣を手にして対峙した。


 長めに取られた間合いは、目算で40メィダほどある。ボッフォウが剣尖を相手に向けて構えるのに対して、ジョンといえば自然体で構えずにいる。


 立会人を引き受けたネネによって、すでに試合の開始は宣言されているが、まだ互いは沈黙して動かない。


 生徒たちが緊張に静まり返ったこの場は、執拗に雨音だけが響いている印象があった。


 やがては、そんな時間も終わりをむかえた。


 ボッフォウの雄叫びが校舎に木霊す。


 フォトンを練る――『練気術』により、高密度の生命エネルギーとして変質したフォトンが、青白い光となって体外に溢れ出して、彼の全身を激しく流動するように包み込んだ。


 ごく微細な粒子であるフォトンは、練気するほど体外で鮮明に可視化する。


 上級騎士に必須の条件とされる力――『煌気化』は、結局のところフォトンを高密度化させたものでしかない。また効果も依然として、所有者の身体能力を向上させるものでしかない。


 しかし、可視化するほど高密度化した上級騎士のフォトンは、騎士長のそれとは比較にならない威力を発揮する。


「わかるか、俺から溢れるこの煌気の光が、俺の存在をあらわすのだ! 上級騎士と騎士長の間に、一体どれほどの差があるかを、今からお前に……」


「御託はそのくらいにしておきませんか? じっとして雨に打たれるのは、いい気分ではないから」


「後悔するなよ!」


 ボッフォウが前傾気味になって突進する。


 彼の煌気に触れた大気が、激しく押しのけられた。地鳴りがするほど強く踏み締められた泥濘が、豪快に四散した。獰猛な肉食獣が迫るそれよりも、さらに大きな迫力がある。


「よい機会かもしれん、自分がどれくらいだったか、試すとしようか……」


 ジョンは自然体のまま、練気を始める。


 かつて自分がどれほどの力を持っていたか、それを確かめるように本気で行った。それが煌気として体外に解き放たれた時は、ちょうどボッフォウに斬りかかられる直前だった。


 周囲をおおい隠さんばかりに、青白い光がほとばしる。


 ジョンを中心に押し広がり、あったはずの雨音が途絶えた。すべては、身体から溢れ出した膨大な量のフォトンの奔流が与えた影響である。


 およそボッフォウのものとは比較にならない威力を宿して、彼の煌気は発動されていた。


 おっと、これはいかん、加減せねば死人が出そうだ……。


 話し合いは諦めたが、かといって相手を死にいたらしめようと引き受けた試合ではない……。


 ジョンは力の大きさを自覚すれば、次に木剣の使用を控えようと考えた。


「な、なん……!?」


 目がくらんで怯んだボッフォウの胸に、あけた片手を静かに添える。


 軽く押した、そのつもりであったが、ジョンはそれが不十分であったことを結果から知った。


 地面を何度も跳ねて転がるように、遠く離れた演習場のはしまで、ボッフォウの巨体は猛烈な勢いで吹き飛んでいたのだ。それでも、発揮された威力は、割合を考慮すれば極わずかだろう。


「……どうにか、生きておるようだな」


 まだ身体が鈍っておるようだ、思わず力んでしまった……。


 しばらくは勘を取り戻す鍛練をせねばならんな……。


 でなければ、いつかうっかり人を殺めてしまうかもしれん……。


 ボッフォウのそばまで歩み寄って安否を確認し、ジョンは自分の未熟にあきれた。ふと、手にする木剣に視線を落とすかたわら、彼は目を回すボッフォウの弱った顔を覗き込んだ。


 わざとでなかったにしろ、この結果を前にしては、言わずにおけなかった。


「すまんな……剣では白黒つかなかったな」


2017/4/1 全文改稿。

2018年1月12日 1~40部まで改行修正。


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