欠けた代表、埋める補欠
十二月十二日。
神樹の加護が完全におりた翌日、当初の予定通りに武闘祭が開始された。
この日の午後に初戦を控えるウェスタリア代表たちには、すでに弱くない逆風が吹きつけていた。
過激派神樹教徒による暴動の鎮圧に、ルチェンダート代表との練習試合に、何かと話題に事欠かない彼らであるが、それでも印象が悪いわけではなかった――それは一昨日前までのことだった。
ウェスタリア代表が刃傷沙汰を起こしたらしい、そう噂が流れていた。
一件はシアリーザの治癒によって、誰も命を落とさずに事なきを得た。しかし対立関係にある国の人間が血を流すような争いをしたとなれば、最悪の場合は国際問題になりかねない。
開戦を防げるかどうかの瀬戸際にある今は、いかなる事情があっても起こしてはならないことだっただろう。噂話で済んでいるのは、ひとえに当事者たちが声を大にしなかったからだ。
天井から床までが組積で固められた薄暗い地下空間。
吹き抜けになった地上の入口からは、地下に下りる階段が一つ伸びている。階段を下りた先には、二人の大人が両腕を広げた幅の通路が続いて、壁沿いに等間隔で鉄格子の檻が並んでいる。
そのまま突き当りは開けた袋小路になっており、最も厳重な檻を構えている。
鉄格子を一面、組積を五面のありきたりな構造でありながら、ここにある檻はどれも囚人に脱獄を諦めさせる堅牢さを誇った。
現在この最奥には唯一の囚人が収監されていた。
たしか傷はかなり深かった。いつまでも感触が消えやしない……。
檻の中の壁にもたれて、陰りのある目で血汚れた自分の手を眺める。
ミュートは大会運営に投獄されていた。
ジャルマナイト鉱石の枷で拘束された状態で意識が戻り、自分がどういう扱いになったのかを推考する。
後頭部に激しい殴打を受けていたが、その時点までの記憶はしっかりと残っているため、振り返ろうと思えば手間取らない。
「あなたは思慮深い子だと、信じていました」
臨時の看守を務めるネネが、檻の前で声に失望の響きをもたせる。
ミュートは口を閉ざしたままでいた。少し前から何度も話しかけられていたが、返事もしなければ自分から口を開こうともしなかった。ただ一方的に向けられる言葉を聞くだけだった。
「この牢獄って少しホコリっぽいでしょう?」
屋内に目配せしたネネが、無理に明るく作った声で言う。
「この国では刃傷沙汰も稀です。犯罪はあっても罰金刑で済んでしまう程度のものばかり。よっぽど重罪でもなければ投獄なんてされません。それが……あはっ。現行犯で、管理局の牢獄に投獄された養成学校生なんて、私は初めて見ましたよ……あははっ。ははっ……はっ……っ」
ネネの乾いた笑いが、地下牢の牢獄に空しく反響する。
「訴えないから大事にしないでほしい……相手の方はそう言っていました。出会って突然、刺された人がそう言った。ただ彼が寛容だったと解釈すればそこまで。でもあの彼は、あなたのことを知っている様子で話していた。あなたとあの彼の間には……何があるの?」
いつまでも自分の声しか返ってこない。
「相手の方が訴えなかった。でもこれだけのことだから、あなたには出場停止の処分が下される……合宿で整えた戦力調節は狂って、ホロロ君たちの士気も落ちている。もしかすれば開戦の原因になるかもしれなかった……これまでの、これまでの意味が無くなってしまうところだったの!? 黙っていないで、何とか言ったらどうなのよ!?」
しだいに語気を強めて、腹に据えかねたように怒鳴りつける。
「一番ね、頭にきているのはね、あなたの心に何かあるって気づいていながら、楽観して何にもしてこなかった私たち大人の馬鹿さ加減なの……それでも、私はあなたを信じていたかった」
鉄格子に手をかけて、ネネが崩れかける身体を支えた。
「…………怒鳴ってごめんなさい。お互いに少し頭を冷やしましょう」
×
武闘祭の会場・区画周辺のいたる個所に設置された大型映像板。
合宿中に使用された試作の映像通信機は、武闘祭当日までの一ヶ月で完成品にまで仕上げられて、開催にあわせてお披露目されていた。
これによって、これまでは難しかった森林区画や廃墟街区画の試合観戦が容易になったことで、観客たちの満足度や期待も高まっていた。
「思うように動けていない。やはり一件があとを引いているか」
廃墟街区画周辺の開けた場所に、三枚の大型映像版が背中合わせに設置されている。
これを取り囲む観客たちに紛れて、ジョンはウェスタリア代表たちの初戦の行方を見守った。まだ刃傷沙汰の一件には疑問や後悔は尽きないが、かといって武闘祭を投げ出すこともできない。
だから一先ずはミュートの今後はネネに任せて、彼はウェスタリア代表に付き添っている。
「流れを変える何かが、あれば良いのだがな……」
×
アルカディア騎士武闘祭二日目・第三試合。
廃墟街区画における殲滅戦――制限時間内により相手を戦闘不能にした代表側が勝利する。
開始からしばらく経っても、ウェスタリア代表たちは調子を出せずに鈍い立ち回りを続けていた。本来であれば力量的に格下である帝国代表を相手に、平行線の展開を脱せられなかったのだ。
脱落者こそ出してはいないが、現時点ではそれだけがよしと出来ることだった。
極めて単純な心理的要因があって、彼らはそうなってしまっている。
「負けはしないが勝ちもしない。この流れを引きずってはまずい……ホロロ君、大丈夫か?」
「ごめん。正直に言ってあまり集中できていない」
指揮者であるワトロッドの護衛もかねて、部隊の後方で気持ちを整えようとしたホロロであるが、それは未だできずにいた。
そんな心境を吐露する彼の声は、周囲に広がる廃墟の陰気な雰囲気に似つかわしい、覇気の欠片もないものに聞こえた。
「無理もないわ。あなたたちって仲が良かったものね」
同じく護衛についていたゴランドルが、慰める調子でこぼした。
「ナコリンさんから。……逃げ腰は良くない、って」
前線から戦況伝達に戻ってきたティハニアから、ワトロッドがそう報告を受ける。
「彼女が言うのなら間違いないのだろうな」
誰よりも先に納得したワトロッドが、ホロロを説得する言葉を続けた。
「今は苦しくても、それでも前を見るしかない」
「うん……わかった。僕たちは行かなきゃいけないんだ」
開始から十五分、試合は折り返し地点にある。
ワトロッドたちが前線に合流して、ウェスタリア代表側は集団で立ち回りを始める。
精神的に押されて苦戦を強いられている――この流れを断ち切るべく、相手側に対して強硬突撃を試みていた。しかしわずかでも思い切りが足りなければ、逆に完全包囲されてしまった。
二つの大通りが交差した十字路の真ん中に、全員で背中合わせになる。
個々の力量では帝国代表を上回っており、またそれは相手にも理解があることだったため、そんな状況に陥ってもあまり下手に仕掛けられることはなかった。
ただその代わりとばかりに、十字路の周辺の廃屋に忍ばせた弓兵で、嫌がらせのような攻撃を受け続けていた。
「実は俺たちって心が参っているのかね? なんて冴えてない。なんて美しくない……」
「あらジャンゴ君、今頃それを自覚しましたか?」
「あの、私たち囲まれているけれどぉ……」
「……呑気」
「ルチェンダートと決勝で会う組み合わせにはなっても、ははっ、このざまではな」
こともなげを装い、気を紛らわすつもりで不毛な会話を重ねた。
時おり飛んでくる矢は得物で叩き落として、あるいは避けて凌いでいた。
普段の彼らだったなら、この状況下でも前進できていたはずである。その圧倒的な速さで突破口を切り開いてくれる、彼女がいたなら――ウェスタリア代表たちも思わず想像せずにはいられない。
ところが今は、その普段から外れた例外が紛れ込んでいる。
出場停止になったミュートの代役で参加していた、代表補欠のルナクィンだ。
「ふ、ふふっ、まったく不器用で馬鹿な女よね、あんた……良くわかったわ。あたしがあんたの分も引き受けてやろうじゃないのよ、どっちだってさ……ははっ、はははっ、ははははっ―――」
一件からずっと大人しかった彼女が、ここにきて発作的に笑い始める。
ほかの代表たちから不気味がられるが、はばかられる様子はなかった。むしろ、その声はしだいに大きくなっていき、やがては帝国代表たちの耳に届くほどになった。
そしてある瞬間を境に堰を切ったがごとく、彼女の身体は相手に向かって飛び出した。
「ええっ!? ちょ、ちょっと! ルナクィンさん!?」
ホロロの声であっても、もうルナクィンの耳は音を拾わなかった。
煌気化して集団から突出したところを、帝国代表の数人に狙われた。それでもなお勢いを衰えず、最も手前にいた相手の剣兵に向かって突撃していく。
その足を止められたなら最後、あっという間に孤立して討たれてしまう――理解しているのか否か、彼女に踵を返すような気配はない。
『馬鹿な奴だ! 一人で何ができる!』
動きを止めるだけの腹積もりで、同じく煌気化した相手の剣兵が防御に集中する。
「ぶっ飛べぇえええ――――っ!」
そんな相手がしっかりと構えた得物の上に、ルナクィンがそのまま双剣を薙ぎつける。あわせて、これまで溜め込んできた鬱憤を発散するかのような気合がかかる。
『――ぎゃっ!?』
相手の得物を叩き折った双剣が、威力を保って相手の身体に達する。凄まじい衝撃に弾かれたその身体は、力が向いた先にあった廃屋を突き破り、さらに奥の廃屋に衝突して動きを止めた。
それは、ただならない威力を秘めた一撃だった。
ホロロたちが強化合宿で中立国に渡っていた頃、本国に残っていたルナクィンには、ソルクィンと一緒にジルから指導を受ける機会があった。
そこで煌気化を習得した際に、授けられたものがある。完全なる習得とは言えないが、しかしそれによって彼女の総合力は飛躍していた。
大戦中に連邦の剣聖と並んで恐れられた女の奥義――『十二精霊気』。
鼠、牛、寅、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鳥、犬、猪、時間をかけて精霊になった十二種の動物霊のフォトンを人間の身体で再現することで、それぞれが固有する能力を得られる。
今しがたルナクィンが発揮それは、術者のフォトンを『重さ』に変える牛の精霊気だった。
「見てなさいよ、やってやるんだから! あたしの時代がきたぁあああ!」
双剣を構えなおして吠える。ルナクィンが大きな見得を切った。
×
「なんと……たまげた。ジルがルナクィンに仕込んでいたか」
大型映像板の中で急展開を続ける試合に、ジョンは刮目していた。
ルナクィンに触発されたウェスタリア代表たちが息を吹き返して、これまでからは想像もつかない見事な立ち回りを始めた。飽きかけていた観客たちも、彼らの活躍でふたたび熱をもっていった。
試合はそれから数分とかからずに、帝国の代表たちが殲滅されて決着する。
『おい、あの蜜柑色の髪の女の子いいな』
『猪突猛進っていうか真っ直ぐっていうか、なんか応援したくなるな』
『型にはまれば双剣ってあんなに強いのか。……なぁ、あの子の名前ってなんだっけ?』
『何だ、お前ら知らないのか? 俺は知っているぜ。あの子はな――』
呆気ない結末だったが、差し引いても有りあまりあるルナクィンの一撃の魅力に、しばらく観客のどよめきは絶えなかった。
時に、ウェスタリア国から彼女を応援しに来ていた熱心な誰かが、彼女を『闘技場の暴れ牛』というあだ名を叫べば、それは瞬く間に世界規模で拡散していった。
「ルナクィンは、あの男よりも双剣を世に知らしめる使い手になるやもしれんな」
かくしてウェスタリア代表たちは、無事に二回戦に進出した。
目指すべきは二百校の頂点であるが、戦力として大きかったミュートの欠場に先行きは暗い。今はそれでも代表たちの吹っ切れた様子を見て、ジョンは少しだけ気が楽になるのだった。
2018年1月5日 全文修正。




