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神樹の加護

 

 十二月十日。


 晴天に恵まれたこの日、アルカディア騎士武闘祭の開会式が行われていた。


 連邦各国から、帝国各領から、中立国各州から、延べ二百校が大闘技場に集い大会運営の声に耳を傾けている。そこには復帰したダグバルムの姿もあって、つまずきなく進行していた。


 武闘祭の主要な会場となる大闘技場。


 バルパーレイクのそれが三つ収まる大きさを持つ、十万人が収容可能な世界有数の施設。


 人々の混雑に配慮した通路の構造、あらゆる事態を想定した設備、それらは見るに適当な仕事で建造されていないことを感じさせる。


 知られる限り、世界最大最高とされるものだ。


「騎士たちの祭典ともいうべきか。壮観であるな」


「昨年を見ていましたが、今年はどこか違って見えますよ」


 闘争の場に整列した三千人の生徒たちを眺めて、ジョンとネネが述懐する。


 開戦を阻止する密かな決意を抱いて武闘祭に臨む生徒たちが、連邦には多数いる。過去のことから圧勝を信じてやまない生徒たちが、帝国には多数いる。


 思いはそれぞれながら、一様に得物を携えた彼らが放つ気迫を感じ取って、十万の観客も期待にざわめいていた。


「神樹教の巫女より、神樹の加護を賜る」


 生徒たちの前方に構えられた壇上で、ダグバルムが拡声器に声を通す。


 袖に控えていた神樹教の巫女であるミントが現れる。


 その十三歳の少女がまとう神々しさたるや、開会式の長丁場に弛み始めていた生徒たちの注目を引き、沈黙をもたらすほどだった。


 だから壇上に立った彼女が生徒たちの中から一点を探し当てて、一瞬だけ微笑んだことには多くが気づいていた。それでいて理由がわからずに首を傾げた者も多かった。


 ごく限られた一部の人間だけが、その意味を知っていた。


「ホロロ先輩。気のせいですか? あの子こっちを見ていませんでしたか?」


「……気のせいで、間違いないと思うよ?」


 ウェスタリア剣術代表補欠として、うしろに並んだルナクィンに囁かれる。ホロロは振り返らずに壇上を見やったままでいた。ミントが巫女として振る舞い始めれば、適当を言ってはぐらかした。


「好天に恵まれたこの日まで、研鑽に励んだ三千の若き騎士たち、汝らの培ってきた力と技の全てが存分に示されるよう、我がミルフィントの名において神樹の加護をこの地におろす」


 壇上でうしろに向きなおったミントが、やや空を仰いで両手を大きく広げる。


 彼女の視線の先には神樹がそびえていた。大闘技場から根元まで500メィダほど離れているが、その巨大な幹は威風堂々と風景の一部として溶け込んで見えた。


 彼女の意識と視線につられて、この会場にいる人々の注目は神樹に集まっていった。


「彼らに加護を……」


 粛々と片膝をついたミントが、胸元で手を組んで呟いた。


 すると数秒して神樹は青白い光を発散した。


 やがて無数の粒子となる煌めきが、神樹の梢にまつわりついていた白雲を四方八方に押し退けて、半径3000メィダもの広範囲を包んでいく。


 武闘祭で使用される予定の会場・区画まで優に届いた光の粒が、さらに外側の街区までをも範囲内におさめていく。


 この光こそが神樹の加護だった。


 年に一度の数週間だけ、神樹は特殊な生命エネルギーを放出する。それは絶命した生命を蘇生する癒しの効果を秘めた光として現れる。


 青聖フォトンの能力と似てはいるが、半永久的で死後硬直までという制約もないため、場所が限られる一点を除けば治癒の力としては格段に優れている。


 より実戦的な評価を求めて、武闘祭の得物には真剣がもちいられる。それで成立させられるのも、神樹の加護によって死者を出さずにいられるからだった。


「これが神樹の加護。……何だろう? 少しだけ温かい感触がする」


 神樹の加護を体感しながら、ホロロは腰に下げた月下美人を意識していた。


 まだ誰かに真剣を向ける抵抗感はあるが、ともかく誰かを殺してしまう可能性も、目の前で誰かが死んでしまう可能性もなくなった。優しい騎士という志の戒めを破らずに済ませられるのだ。


「始まるのか。結果しだいでは……」


 隣にいたミュートから呟き声を拾う。


 彼女の神妙な面持ちを横目に見て、ホロロはあの夜の出来事を思い起こした。


 不安を感じるようになってから、未だそれらしい問題も起きていない。


 彼女が何か抱え込んでいることは確かで――しかし自分の知らない問題は、自分の知らない場所で、自分の知らない時間の中で解決しているのかもしれない。


 何も知らないままだから、不安を払拭できない。


「……ミュートさん」


 ならいっそ、もう一度、聞いてしまおうか……。


 気持ちだけが先走って名前を呼んだが、ホロロは続く言葉が出てこなかった。


「うん? どうかしたか?」


 返事をする表情と声色は、それ以上を拒むように明るい。


「いや……頑張ろうね」


 まだ望まれる通りでしか、ホロロは彼女の力にはなれなかった。





「以上をもって開会式とする。端から順に退場されたし」


 始まって半刻、開会式の終わりが宣言される。


 運営に誘導されて、各国の代表たちが大闘技場から退場を始める。列の外側から出口へ送られる形だったため、中央に並んでいたウェスタリア代表の退場には時間がかかりそうだった。


「そういえばホロロ君。ミルフィント様に微笑まれていましたね?」


「灰色の髪をした、そう、ナコリン先輩。やっぱりそうなんですか?」


 客席や代表たちの緊張も解けて、大闘技場内は十万の声に埋めつくされていた。


 この喧騒に紛れて退場を待っている間、ナコリンがその話題を持ち出した。続けざまには、覚えたての名前をどうにか思い出したルナクィンが、その冷やかす調子にも聞こえた言葉の真偽を問いかけた。


「そうそう、たしか名前はミントちゃんで、一日デートした仲だったよな?」


「えっ!?」


 ジャンゴが付け足した言葉に、ルナクィンが目を見開く。 


「ロイルズさん、ミントちゃんのお兄さんも一緒だったから、それは……」


「なるほど。お兄さんの公認というわけだね?」


 弁解をするも、ワトロッドにわざと曲解される。


 あれ、なんだか僕が冷かされる流れになっているぞ……?


 ウェスタリア代表たちにからかわれ始めて、ホロロは困惑していた。


 不意に、追い打ちをかけるかのごとく、誰かから背中に飛びかかられる。ふわふわとした感触と、頭の奥が溶けてしまいそうな甘い匂いを覚えて、彼は相手が異性であることに気づいた。


 完全感覚をもっていた手前、忍び寄って来れそうな異性には一人しか心当たりがない。


 手足を絞めつけられた状態で、自由の利く首を回し向ければ、予想通りアイリーズの顔がある。


「ヒヒッ。こんにちわぁ」


 彼女に粘ついた声で挨拶をされた直後、ホロロは片耳にぬるい温度を感じとった。耳輪からかなり深い位置まで甘噛みされて、その口の中におさまった部分は舐めまわされていた。


 かつてない体験と感覚に腰砕けて、彼はその場にへたり込む。


「ぁ、ぁぁ、ぁぁぁぁああああああああああああ」


 一部始終を見ていたルナクィンが壊れる。


「みなさぁん。お久しぶりねぇ」


 こともなげに衣服の乱れを整えて、不気味な笑みを浮かべる。


 ウェスタリア代表たちの前に立つアイリーズの背後には、ルチェンダート代表たちが肩をそろえて並んだ。そのさらに背後には、彼らに道をゆずって列を二分した各国の代表たちが見えた。


『おい、あれってルチェンダートだろう?』


『何か話しているみたい? 相手は……どこの代表かしら?』


『そういえば、この前の合宿でルチェンダートと試合した国があるって噂だ』


『はははっ、本当かよ? どれだけ身のほど知らずの国なんだよ?』


『いや、それが実はだな……』


 武闘祭の覇者と小国の代表が対面する様子に注目して、周囲はざわついた。


 合宿に参加した各国の教官や代表たちの間では、ウェスタリア代表とルチェンダート代表の試合は噂になっていた。残り三十秒あれば覇者は敗れていた――何せそんな試合内容だったのだ。


 たとえ噂であっても、些末なことだとは切り捨てられない。


「もう、我慢しなしなきゃダメじゃない」


「ロロピアラちゃぁん、難しいわぁ」


 同じルチェンダート代表であるロロピアラに叱られて、アイリーズが肩をすくめる。


 その言動をうかがうウェスタリア代表たちには、少なからず警戒心があった。アイリーズの人格について詳しく知らない彼らにとって、彼女という存在は『危険人物』そのものだった。


「そういや、やばく頭のネジが飛んでいた気がすんだけど?」


「おぅ。俺は一撃もらってのされた覚えがある」


 ブリジッカとボージャンが小声で話す。


「あらあら、そう怯えないで。ホロロ君に聞けば誤解もない、はずだけれど?」


 アイリーズに目配せされたことで、ウェスタリア代表たちの視線を集める。耳についた唾液を袖で拭い、ホロロは苦笑いを浮かべて立ち上がった。


「……鼻も耳もダメだよ、アイリーズさん」


「えぇ? じゃあどこならいいの?」


 アイリーズが口を尖らせる。


「まず舐めるって発想をやめてよね……」


「別に美味しいからって舐めていないわよ? お気に入りに唾を付ける人っているでしょう?」


「言葉はあるけど、やっている人はきっと君くらいだよ?」


 やや会話は特殊であったが、その仲は親しげに感じられる。


 あんな邪悪な相手と普通に話せているのは一体なぜか、あの彼女を合宿の短期間中に受け入れたのなら、なんと懐の深い人間だろうか?


 いつの間にか親しくなっていた二人を不思議に思いながら、ウェスタリアとルチェンダートの代表たちがそれぞれ考える。


「まぁ、いいじゃないか。だってホロロだぞ?」


 最初に納得をしたのはミュートだった。


「そうだな……ならあの子も悪い子じゃないんだろうさ?」


「どういうわけか、納得してしまった自分がいる」


 それからジャンゴ、ワトロッド、ほかと続いていく。


『表が気を許しているなら間違いないさ』


『そうね……ちょっと悔しい気もするけれど』


 ルチェンダート代表たちも、ありのままを見て納得し始める。


『この前は世話になった。恥をかかせてもらった』


「言ってくれる。勝者の言葉ではないな?」


 そんな中でルチェンダート代表の一人が声を投げて、ウェスタリア代表の一人が声を投げ返した。そしてまた一人、また一人と声を投げて、また一人、また一人と声は投げ返されていく。


『一カ月あったわ。次も一緒とは思わないことね』


「……同じく」


『実は感謝していたりして……負けかけて目が覚めたよ』


「それは怖いことを聞いた。僕たちも決死の覚悟が必要かな」


『もう力比べじゃあ負けねぇからな』


「あたしたちだって。望むところよ」


 連邦と帝国、対立関係にある国の子供たちが、線引きを越えた言葉を交わす。


 その横で、ホロロはアイリーズに言葉をもらっていた。優しい騎士という志の本質を知ってなお、一緒に志したいと言ってくれた理解者のものであるから――たまらなく胸に響いていた。


「いつかこれが、世界中で見られると良いわね」


「……うん。そうだね」



2018年1月3日 全文修正。

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