再びの中立国
十二月七日。
アイゼオン共和国の首都であるドラシエラの空には、気持ちのいい青が広がる。
暦の上での季節が冬になって、首都の気温も下がっていた。とはいえ他国の冬よりは気温が高く、路傍の人々を見ても厚手の服を一枚着る程度の防寒対策しかなされていない。
寒冷地から訪れてきた旅行者なら、ひょっとすれば秋の服装のままでも冬を越せるだろう。
この時期になると首都の樹木は紅葉と落葉を始める。ここでは大樹をくり抜いて住居として、橋を架けた大樹上で生活する文化が根付いている――自然の中にある首都は紅色に染まる。
その美しさは絶景と称えられるもので、武闘祭により多くの観光客を招く助けにもなった。
この地で強化合宿を行ってから、今はおよそ一ヶ月が過ぎていた。
ウェスタリア代表たちがドラシエラ国際空港で再会を果たす。彼らが本国で集まらなかったのは、武闘祭うんぬん以前に、彼らが学生を本分としていたからだった。
連邦政府が定める騎士養成学校の卒業単位を修得するための時間が、選抜大会、強化合宿、武闘祭の参加に圧迫されていたのだ。
代表であるからといって、それに関して特別扱いはされない。
「おりょ、あれはショタ君かな? ……何か見え方とかおかしくね?」
待ち合わせを予定した空港ロビーの一角には、すでに見知った顔ぶれが揃っている。
最後の到着になった第三騎士養成学校の面々は、周囲に目を配っていたブリジッカに、待ち合わせ場所に向かう途中で見つかった。それをきっかけに、ほかの教官や生徒たちにも到着が伝わった。
この時、ホロロの外見的な変化が話題になった。
代表の中で誰よりも低かった身長は平均値を優に超えて、長身のジャンゴに迫るほど伸びていた。
好青年と思わせる凛々しい顔立ちは、相変わらず優しげな表情をして見えた。余計な肉の一切が削ぎ落された逞しい身体は、騎士として羨望される理想的な体型にも見えた。
以前までの小動物のような姿からは想像もつかない、一ヶ月では度が過ぎる成長だった。
「あの、私の目がおかしいのでしょうか? 凛々しくなった印象があります」
「……誰だ?」
「でも、面影は残っている気もするけれど?」
「はっはっはっ。彼も男になったのだろう。そう驚いてやるな」
「弟子は師に似ると言うが、いやまさか」
「きっといい男に育つわ。ボージャン様ほどではないけれど、うふっ」
ナコリンが目を凝らして確かめる。キュノが別人ではないのかと怪しむ。ティハニアが思い比べて否定する。ボージャンが一際大きな声で笑う。
ワトロッドが眼鏡の位置を正しながら懐疑的になる。ゴランドルがボージャンを横目に見て腰をくねらせる。
それぞれ思い思いに、ホロロの変化について口にする。
「ホロロ、久しぶりだな! 見ない内に随分とでっかくなったなぁ」
再会を待ちわびていた様子で、ジャンゴが喜色満面で握手の手を差し伸べる。
「本当に久しぶり。急に伸び始めるものだから、僕も驚いているくらいだよ」
その手を取ったホロロが、反対の手で照れくさそうに頬をかく。
友と呼べる誰かがいる。何とも良いことだったのだな……。
そんな代表徒たちの様子をそばで見て、ジョンは胸の奥に温かさを感じていた。それが自分のことではないと理解していて、しかし自分のことのようにも思えて、感慨を覚えていたのだ。
「ジョン様、お久しぶりでございます」
教官たちの輪から真っ先に出てきたシアリーザに、慎ましい挨拶をもらう。
「おやシアリーザ殿。お元気そうで――」
「あ、シアリーザさん。この前は大暴れでしたね?」
ジョンは挨拶を返そうとして、ネネにその先を越された。
この前は大暴れでしたね――彼女の言葉は、合宿最終日の宴会席で起こった『取っ組み合い事件』を指していた。もとを正せば、どちらが悪いと言い切れない、ささいな諍いが原因で起こっていた。
それでも当事者たちは相手に落ち度があるとして譲らず、とはいえ良い大人が子供を目前に言い争う訳にもいかず、だから彼女たちも和解したことにしている。
あくまでも『したことにしている』だけなので、未だにしこりは残っている。
「どのお話でございますか?」
「いやですね。もうお忘れですか?」
「どのお話でございますか?」
「あれですよ。シアリーザさんが酒乱で服を脱ぎ……」
「えぇ? どのお話でございますか?」
二人は笑顔を作ったまま、語気ばかりが強くなっていく。
触らぬ神に祟りなしと感じて、ジョンは口を挟まずに一歩さがって傍観していた。そうしていて、ふと二人の間に割り込んでいくピコニスの姿を見た。
ネネに目線を向けるその表情が、ひどく神妙な面持ちをして思えると、彼女に注意を払わずにもいられなかった。
「ネネ、その様子じゃあ、まだ聞いとらんごたんね?」
「ピコニス……久しぶりですね。あなたにしては珍しい顔で、どうしました?」
「よかか? 落ち着いて聞かんばよね? 実は――」
ピコニスの言葉の続きが、耳打ちで伝えられる。
聞き終えるとたちまち顔色を悪くして、ネネが動揺をあらわにする。
「そ、そんな。おじ様が……おじ様は無事なんですか?」
「一命は取り留めらした。でも厄介な箇所を刺されたとかでね、今は軍病院で治療中らしかよ」
「……ピコニス。おじ様のいる軍病院を教えてください」
「言うばいねと思って、空港まで馬車の手配はしとる。今からでも行ってこんね」
一通りのことをネネに伝えたピコニスに、ジョンは続けて頼み込まれる。
「ジョン教官。悪かばってんネネに付き添ってくれんね? 生徒はこっちで見とくけん」
「わかった。任されよう」
×
日が傾き始めた頃。
ドラシエラの軍病院の高層階にある個別病室には、薄い遮光カーテンを一枚隔てて茜色の日差しが差し込んでいた。
その明るいとも暗いとも言い表せない、絶妙な光量に照らされた空間は、少しだけ飾られた木製の内装と相乗して、温かくも美しく見えていた。
ここで目を覚ましたダグバルムは、そばにぼんやりと人の気配を感じた。
寝台に横たわったまま視線だけそこに向ける。そうして確かめる前に、相手が誰であるのか薄々は気づいていた。ただ今は衰弱していることもあって、自分の感覚を少し疑ってかかったのだ。
「……やらないのかね?」
寝台のそばに佇んでいる、禍々しい模様の描かれた仮面をつける隠密。
その右手は短刀を逆手に握って、今にも衝動的に振り下ろそうとしている。左手は力む右腕を掴み止めて、必死に押さえ込もうとしている。仮面の裏側からは、荒い息遣いが微かに漏れ聞こえている。
そこには葛藤に歪んだ表情が隠れているだろうと、そう思わせる様子でいる。
もしかすれば殺されかねない状況で、ダグバルムは眉一つ動かさずに問いかけた。
「まだ死なれては困る。だがな、貴様さえいなければと思えばな……」
仮面の奥から響いてきた男の声は、そんな態度とは裏腹に落ち着いて感じられた。
「君ならいつでもできた。あの時も一思いにできたはずだ」
「貴様が約束を違えていれば、こうして躊躇う必要はなかった」
「飼い犬は可愛い……彼の言う通りだ。君も義理堅い」
「そうだ。これは義理だ。そして、それは果たした……貴様はもう、俺の主ではない」
隠密の右手はようやく落ち着きを取り戻して、構えていた短刀を懐にしまい込んだ。
この『ウツロ』の通称をもつ隠密は、ダグバルム直属の部下だった。
時にはダグバルムとカミュリオスの橋渡しとして、神樹教の内情を探る密偵として、世界の秩序を混乱させる賊として、命じられるままに任務を完遂してきた。
そして先日の高官虐殺を最後の任務として、その完遂の暁にダグバルムとの契約を終えていた。
つまり今のウツロは、もう彼の部下ではなくなっている。
「最後まで良い仕事をしてくれた」
「勘違いするな。断じて貴様のためではない」
社交の場を設けるにあたって、ダグバルムは事前にウツロに命じていた。
『あの場の全員の目がある中で、自分を死なない程度に襲いなさい』
虐殺のあった日に会場にいたのは、連邦や帝国で汚職を働く高官が大多数を占めた。
管理局の情報網をもちいて、招待する高官は選び分けられた。それはひとえに将来的にアイゼオンの邪魔になるだろう人間を抹殺するためだった。
その際には帝国の人間を、特にラテリオスを避けるような襲撃が行われて、帝国の仕業として仕立て上げられた。もとい、必ずしも帝国の仕業ではないにしろ、連邦や中立国関係者からはそう見えるようにされていた。
「中立国の信用も大いに下がったが、しかし和平に邪魔な人間はあらかた始末できた。それに帝国を追い込むことも。いずれ帝国と連邦には開戦してもらう……その先にアイゼオンの悲願がある」
ウツロに襲撃させた夜を思い返して、ダグバルムはそう語った。
各国から中立国に対する批難はあっても、声としては小さなものだ。汚職を働いていた高官に手を焼いていた関係者からすれば、その虐殺は青天の霹靂である。
誰かの死を喜ぶものではないが、しかし改革を推し進める絶好の機会を得られたことは僥倖と言えたのだ。
今頃は、各国の人事も悲鳴をあげているのだろうか……。
各国が組織編制に四苦八苦している様子を想像する。
「その悲願の果てに、あれの苦しむ将来があってみろ……あの世からでも呪い殺してやる」
仮面の目元の隙間に覗かせる、ウツロの右目が虹色に輝く。それにともなう言葉は低く、冷たく、おどろおどろしく、覚悟のこもった韻を踏んでいた。
「……約束しようとも。あの子にはこの先も、最大限に配慮する」
言葉が部屋に反響して消えて、ちょうど誰かの気配が近づいてくる。
入り口の扉を一瞥していたわずかな間に、ウツロの姿は病室からなくなっていた。彼がいたそばにある窓は開け放たれて、遮光カーテンをなびかせる微風を取り込んでいた。余韻もない別れだった。
少しだけ名残惜しげな表情をして、ダグバルムは窓の外を眺めやった。
「おじ様、心配しました。賊の襲撃に巻き込まれて刺されたと聞いて」
「いや心配をかけた。しかし久しい。顔立ちが一段と姉さんに似てきたようだ」
「おじ様はあまりお変わりないようで」
駆け込むように病室へ入ってきたネネを、ダグバルムは笑顔で迎えた。
管理局を統括する右頭と一局員の会話とは到底思えない会話――この二人が叔父と姪という間柄にあればこそ許されるものだ。
周囲から妬みを買わないために、この事実は一部の関係者以外には伏せられている。実力で立場を手に入れていても、誤解されやすい縁故には違いない。
再会を懐かしむ時間もほどほどに、ダグバルムは姪が連れてきたジョンを意識した。
「……なるほど。アラン=スミシィ様とお見受けいたします」
朗らかな表情とは裏腹に、その瞳にはただならぬ凄みがある。それらの特徴を見て、ダグバルムはジョンに尋ねた。これはまず間違いないだろうと、そう確信をもっていた。
「今はジョン=スミスと名乗っている。そうか、あなたがこの今をくれた御仁か。重責を負うことにはなってしまったが、それでも感謝している」
「このような場所までご足労いただいて……姪が、ネネがお世話になっています」
「とんでもない。私には彼女以上を想像できない」
言葉は当たり障りない。しかし彼よりは話しやすい印象だな……。
例の客人との会話を思い比べながら、ジョンたちと時間を過ごした。
これまでの経緯を説明する際に、ダグバルムは多くのことを伏せた。
初めからアランが神樹の雫を飲む計画だったこと、過激派神樹教徒の暴動があえて見過ごされたこと、軍病院に搬送された本当の理由――その他もろもろ伏せて、客観的な視点で得られる情報だけ伝えていた。
慎重に言葉を選んで、彼はボロを出してしまうこともなかった。
「おじ様、それは大変でしたね」
聞いたまま言葉を飲み込んで、ネネが同情をあらわにする。
一方で、ジョンは違和感を覚えていた。その一つ一つの疑問に対する回答には、濁した様子もなく整合性がある。しかし自分と接するダグバルムの態度や仕草が、彼はどこか腑に落ちなかった。
若返ってから半年になるが、それなりに人を見てきたつもりだ……。
この者にはどこか古い気配を感じる。あの時代に生きていた権力者の、それに似た……。
2018年1月2日 全文修正。




