表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/150

虐殺の夜

 

 冬が訪れてまだ間もない、とある日の夕暮れ。


 アルカディア騎士武闘祭の開催を目前に、アイゼオン共和国の首都であるドラシエラには、帝国、連邦、中立国、その他諸外国の高官たちが招待されて、華やかな社交の場で一堂に会していた。


 右頭がこの席を設けた例は過去数回あり、その意図もさまざまである。


 戦時下において敵対関係にある人物を同じ空間に集める――主催者は相応の覚悟をもって挑まねばならない。


 前例の数を増やさんとするダグバルムとしては、件の世界情勢を今夜にも動かそうという狙いもあって、当日は気構えからして普段と違っていた。


 主催者専用の控え室で一息ついて、ふたたび会場まで向かう。


 彼は途中に通った廊下で、襟元を崩しながら歩いてきたイヴァンとすれ違った。


「過去にも心根の腐った権力者はいたが、人の上に立つだけの器はもっていた……ここにいる連中は見るに堪えん。俺は帰らせてもらう。結果は直接見るまでもあるまい」


「そうしていただけると……貴方のことだ。彼を見れば手を出したくなるはず」


 間際には、互いに歩調を緩めて皮肉を交した。もともとこの客人は、存在が公になって困る事情があったし――自分から帰ると言うのだから、それが望ましいともダグバルムは考えた。


「あれも惜しい男だな。時代が違えば、もう少し研ぎ澄まされたものを」


「……はて。私にはあれ以上の想像などつきません」


「自分の飼い犬は愛おしいものだ」


 歩調を戻してイヴァンと別れたダグバルムは、そのまま会場まで足を運んだ。


 大部分を天然ガラスに彩られた豪奢な空間。


 踏み心地の良い高級絨毯は、各国の高官たちの高級靴で半分ほどが隠れている。舞台上でなされる管弦楽の生演奏が、会場を騒がしくも白けさせもせずに緊張感を緩和させる。


 その場を見聞きすれば、上流階級の人間にだけ許された上品な賑わいが感じられる。


 停戦の時代では、積極的な相互理解努力を見せる高官もいれば、古い怨恨を引きずって鼻をつまむ高官もいる。


 どっちつかずになるにしても、一応の立ち位置は必要である――それら二つを除けば、どれほど踏み入るかの線引きで悩んでいる高官が大半だった。


 だから帝国と連邦の高官同士が話す場面は、あまり見受けられない。


『右頭殿、お戻りになられましたか』


「主催者が席を外して申し訳ない。今宵はお楽しみいただけていますかな?」


 すり寄る調子で、ダグバルムは一人の男に声をかけられる。


 身なりから位高い連邦軍関係者と思しいが、ひょうたん型のだらしない身体を見るに、実力で手に入れた立場でないことが想像された。そもそもの面構えからして努力とは無縁であるとも――。


 イヴァンの言葉が思い返されて、納得すればその気がなくとも色眼鏡で見てしまう。相手に対する心証的な評価は最底に落ち込んだが、それでもダグバルムは愛想良く接待する。


『大変、素晴らしい席ですな』


「それは何よりだ。何かありましたら、気兼ねなく給仕の者に」


 軽い挨拶を交わしたあとで、高官が気後れしたような顔つきになる。


『ところで、一つお尋ねをしても?』


「えぇ、何でしょう?」


『連邦に、我がナイアデール国に使者を派遣されているようですな? それも我々に断わりなく……解せませんのは諜報や騒乱を目的としていないことです。でなければ、そう、あれは『援助』とでも言いましょうか? ……我が国の教育力を高める意図は何なのですか?』


 すぐに答えられたが、ダグバルムはあえて間を持たせる。


 連邦傘下の国々に派遣された使者は、およそ一年前から秘密裏に教育力を高める工作をしてきた。


 この役割は一国につき五人未満の少数精鋭で担われたが、高めるべきとした国の数は多く、全体では使者の人数も百を上回っている。


 工作の内容の困難さから考えても、各々がどれだけ慎重に行動したところで、百人いて百人すべてが成功させられるとは限らない。


 一国、二国しくじってしまうことは、あらかじめ計算の内にある。


 しかし『我が国』とは。人間を口で陥れるような、器用な手合いにも見えない……。


 幸いなことに、それ以上の情報拡散は、なかったらしい……。


 言葉選びや物腰から相手の心を読んで、彼は即興で釈明の言葉を組み立てる。


「実は、近年は武闘祭の収益が思わしくない。帝国の連勝が続いてしまっている。失礼ながら理由はそうした状況にあると判明しましてな。アイゼオンとしては武闘祭の歴史に終止符を打ちたくない。しかし連邦諸国にその旨を明らかにして教育強化を願うなど、それはあまりに口が過ぎること」


「では我が国が武闘祭で良い成績を残すことを望み、密かに動いていたと?」


 無理に落ち着きを作ろうとして、高官が声を上ずらせる。


「アイゼオンはその国柄から、フォトンストーンに依存しない文化にある。採掘した鉱石など大半は輸出している……そう、ナイアデール国といえば鍛冶の国として名高い。もし貴国が連邦内で栄える未来があったならば、今後より一層の友好関係を築けるかとも思ったのですよ」


『な、なるほど、そういう意図をお持ちでしたか』


「やはり無礼なことだった。望まれるならば賠償か、それに類する形式で償います」


 この高官にはあり得ないことだと知って、ダグバルムは提案していた。


 片や三大勢力傘下の末端にある小国、片や三大勢力の一つに数えられる大国。使者を送り込まれた意図の如何に関わらず、ナイアデールという国は連邦政府にその真実を隠さなければならなかった。


 裏で被害を受けたならばともかく、裏で支援を受けていた――もし明るみになれば『隠していた』と誤解されて、連邦内での立場が弱まる可能性がある。


 かといって工作に対する抗議をしたところで、アイゼオンと連邦政府の間に軋轢を生んでしまう可能性もある。


 相手は出方をうかがわざるを得ない、連邦が一枚岩ではないことから予想されたことだ。


『ば、賠償などとんでもない。あれは貴国からの援助(・・)なのでしょう?』


 あとは、これを自国にだけ舞い込んだ儲け話と思わせさえすればいい。


「……そう受け取っていただけますかな?」


『ええ。ぜひ今後とも『我が国』と良きお付き合いを』


 軽やかな足取りで離れていく高官を、愛想良く微笑んで見送る。


 もう少し客観的に考えていたならば、それだけではないとも気づけただろうに……。


 今しがたの会話を思い返しながら、ダグバルムは内心で呆れていた。


 全体の損得よりも自国の損得を優先する、そうでなければ侵略を許してしまう。そんな連邦という組織の在り方が腐敗しているのであって、その高官だけが一概に悪いとは言えないが、それにしても短絡的であることには何も変わりないだろう。


 ナイアデール国を担当した局員は誰だったか? 三割の減俸にしよう……。


 そう考えていたところで、また別の誰かに声をかけられる。


「誠に、そのような意図がおありか?」


 相手が近くで聞き耳を立てていたことに、ダグバルムは気がついていた。それだけでなく、あえて会話の内容がその耳に届くように音量を調節していた。聞かせるつもりがあったのだ。


「……立ち聞きとは、貴方もお人が悪い」


 連邦軍・三将軍の地位を示す軍服に身を包んだ男。


 緑がかった銀の短髪は、会場の照明に当たって艶めいている。その地位に反して若々しい顔立ちと身体つきは、もしかすれば青年とも見間違いかねない。


 しかしその存在感はほかの高官たちと一線を画して、生半可な気構えでは飲まれそうな印象さえある。


 気を引き締めたダグバルムは、その名前をシャイアという男に向きなおった。


「失礼した。悪意はない。どうか許していただきたい」


「いえ冗談です。どこまでお耳に入りましたかな?」


「管理局ほどではないが、私の部下にも諜報能力に長けた者がいる。政府には届かずとも、私個人の耳には届く話もある。……それによれば一国、二国の話ではなかった」


「……続けていただけますか?」


「貴方にどういった思惑があるか、情報を総合して見えたものがある。あまり考えたくないことだ。まだ私個人の見解でしかないが、まさかそのようなことがあり得るのですか?」


 微笑んだ表情のまま、一度だけゆっくりと瞬きをして見せる。ダグバルムは明確な返答を避けた。同時に、その受け取り方しだいで敵になるのか、味方になるのかを見極めようとしていた。


「だとすれば――」


 沈黙して見つめ合うこと数秒、シャイアが口を開きかける直前。


『シャイア将軍。吾輩を差しおいて右頭殿と語らうなど、君も出世したものだなぁ』


 連邦軍の現元帥である男から、我が物顔で横やりが入る。


 皮下脂肪の厚い丸顔には、立派な顎髭が拵えられている。また軍人とは思えない太った身体には、金糸で装飾した元帥用の軍服が着込まれている。


 シャイアよりも高い地位にあっても、風貌や言動、仕草からはまるで威厳というものが感じられない。


「いえ元帥閣下。そのようなことは……」


『右頭殿。今宵はお招きいただき感謝いたします』


 シャイアを軽く押しのけた元帥に、ダグバルムは何食わぬ顔で笑いかけられる。


「お楽しみいただけていますかな?」


『素晴らしいですなぁ、帝国の人間が同じ空気を吸っていなければ、なおのことだ』


「……まぁ、そうおっしゃらずに。今宵はまだ長い」


『しかし、この場の意味するところが解せません。良ければお聞きしても?』


 回答しかけて、ふたたび横やりが入る。


「右頭よ、久しいな」


 帝国の皇帝であるラテリオスが、ちょうど会場を訪れていた。


 各国の高官たちを押し退けて歩く傲岸不遜な姿は、しかしそれ相応の雰囲気をまとっているように感じられる。


 停戦中の敵国の、あるいは自国の政治と軍事の両方を手中とする権力者の登場に、やや動きに欠けていた会場には小さくざわめきが走った。


 まっすぐ向かってきた彼に、ダグバルムは対話を求められる。


「これはラテリオス様。ようこそおいでくださいました」


『ほぉぉう、さすがは帝国皇帝、ずいぶん、立派なお召し物ですなぁ……』


 割り込まれて面白くなかった元帥が、思いもしないことを口にする。


「失せろ……余の視界を汚すな」


 それは君主制国家の最高権力者であるからこその強気な発言だった。


 売り言葉に買い言葉、その末に宣戦布告――いかに権力があったとしても、全体の総意を重んじる共和制の人間にそれはできない。


 独断で開戦を強行する覚悟があれば例外もありえるが、この元帥にそんな責任を背負えるような気概はない。


 逆に宣戦布告の口実を得られるなら、ラテリオスとしては儲けものである。


『ぬぅ……で、では。この場はお譲りしましょうか』


 不満げな顔をする元帥が、足早に踵を返して行く。かすかな溜め息を吐いたシャイアが、一礼してそのあとに続いて行く。


 一連のやり取りを見ていた高官たちが、暴君の矛先が自分たちに向けられることを恐れて、さりげなく間合いを取ろうとする。


「……この場に余を招致した故、聞かせてみぬか?」


 その場が落ち着いたそばに、ラテリオスが元帥と同様に問いかける。


 彼もそれは疑問に思っていたのだ。今年の武闘祭の結果しだいで、協定を反故にした開戦の企ての実行も視野にある。何らかの手段で中立国がこれを知ったと仮定して、


 ・連邦を見限り中立を放棄して、帝国にすり寄ろうとしている。


 ・これまで通りに中立である意思を示そうとしている。


 ・帝国と連邦の和平を急ごうとしている。


 考えてしまうことは多々ある。


「我が国が主催する武闘祭で、近年の帝国は……そう、活躍が目覚ましいですな?」


 ラテリオスがここまで赴いた理由は、自分の耳で確かめるためである。この時、彼の先走りやすい気質は疑心暗鬼を生んでいた――開戦のために必要な要因を褒めそやす言葉が、彼に口走らせる。


「もしや、あれを知ってか?」


「お恥ずかしながら、合宿期間中に我が国で暴動がありました。帝国の生徒たちには、暴徒の鎮圧に大変貢献していただいたのです。これは生徒たちの徳の高さはもちろん、騎士教育に力を入れられたラテリオス様があってのこと。ささやかでも、おもてなしをさせていただきたかった」


 ラテリオスが失言に気づいて誤魔化すよりも先に、ダグバルムは言葉を続けた。


「……ところで“あれ”とは?」


 それまでの柔らかな眼差しに、冷ややかな鋭さをもたせる。帝国に疑いをもって不思議ではない、開戦の企てを知るのがこの先になっても不思議ではない――そんな状況に仕立て上げる。


 そのためにダグバルムは渾身の演技をしていた。


「……構うな。その件は余も聞き及んでいる。帝国騎士であれば当然だ」


 わずかに顔をしかめたラテリオスを見て、ダグバルムは手応えを覚える。


 わざわざ暴動を見過ごして徹夜三昧をしたのだ……。


 こうでなければ苦労の甲斐もない。ようやく負債を取り返せた……。


 胸を撫で下ろしかけた手を堪えて、彼は会場に目配せした。


「食事もご用意しております。どうか今宵は存分にお楽しみください」





 半刻ほど経った頃。


 いくらか催しが終わり、ほとんど緊張は緩和されていた。ともなって会場の様子は変化していき、連邦、帝国という枠に囚われずに話す高官の姿が見受けられるようになった。


 そこには、友好のために設けられた社交の場である、そう見て取れる光景があった。


「和平か。……やはり、それも一つの道ではないだろうか?」


 会場の端から全体を眺めて、シャイアはぽつりと述懐した。


 人間は線引きしたがるが、結局、人間そのものは変わらない……。


 言葉をもって意思の疎通ができる。決して和解ができない道理はない……。


 腐敗した連邦を内側から正すべく、組織内で強い力をつけた。この先どう正していくべきなのか、彼はここにきて具体的に見えた気がしていた。


 変えたいが誰も変えてはくれないのならば、自分の手で変えるほかないという使命感も覚えていた。


「……私にできるだろうか?」


 立ちどころに、考えに浸っていられた時間は終わりを迎える。 


 バリンッ! と甲高い音を響かせて、会場の大窓を突き破る十数の隠密。ひらめく破片に紛れて、それぞれが器用な身のこなしで会場に降り立つ。


 全員が仮面で素顔を隠しているが、首謀者と思しい一人の仮面には特徴的な禍々しい模様が描かれていた。


 戦慄に染まる会場を見渡して数舜、隠密たちが忍ばせた短剣を抜いて散開する。


『あ、あぁ……あなたぁぁぁっ!?』


 広々とした会場の中を、けたたましい悲鳴が突き抜ける。


 隠密の一人に首を撥ねられた高官の、そのそばにいた夫人が発したものだった。


「衛兵たちは!? 何をしている!」


 事態はそれに留まらない。また一人、また一人、また一人、高官たちが無差別に惨殺されていく。そんな光景を見かねたように、ダグバルムが怒号を放つ。


 混乱が広がる会場の中でたった一人、この事態に対処しようと行動していた。


 一方で完全に狼狽えている元帥を見て、シャイアはこれを保護しようと走り出す。


「……っ!? ダグバルム殿、うしろだ!」


 そのかたわら、ダグバルムの背後に仕掛ける首謀者らしき隠密を見かけると、彼は咄嗟に叫んだ。しかし彼まで声を届かせて、それに気づかせることは間に合わなかった。


「ぬぐっ……がはっ!?」


 隠密の繰り出した短刀が、ダグバルムの背中に深々と突き刺さる。


 見るに死を免れそうもない一撃だった。



2018年1月2日 全文修正。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ