優しい騎士の本懐
十月三十日。
もうじき秋も終盤になる、その澄んだ空が美しい明け方。
日課の素振りをするため、浴衣から訓練着に着替えると、ホロロは月下美人を手に外へ向かった。この合間にはジョンのことを考えた。宿の大広間からかすかに届いていた音を聞く限り、教官たちの宴会は夜通しであったらしい――寝起きの頭で憶測した。
実際そのとおりで、彼は演習場で朝日を浴びていたジョンに出くわした。
「おや。おはようだ……お主なら、たとえ昨日の今日でも来ると思っておった」
「ジョン教官。おはようございます……もしかして徹夜されましたか?」
ジョンのやや疲れた顔色から察する。
「うむ。実は酔ったシアリーザ殿が半裸になってネネ殿と取っ組み合いを――いや、やめておこう。それよりも……昨日の試合を見ておったが、今日は刀を抜かずに過ごしなさい」
何だか物凄く気になること、いや……。
宴会で何があったのかはさておき、ホロロはジョンに尋ねる。
「僕、また何かまずいことを?」
「お主が試合の最後辺りで使った技。あれは反動が強くて身体に負担が蓄積する」
「技と言って、まさか思いつきでやった……あれは何かの技だったのですか?」
自分の身体を媒介に月影を発動した、技とはそれを言っていた。
月影を教わる際には、手にした得物を媒介に発動する、としかなかった。そのためホロロ自身は、それがよもや技であったなどは知る由もなかった。確かに受けた衝撃は甚大であったし、今も身体に倦怠感があることは否めない、ともすれば納得せざるを得ない。
「最後の最後に教えるつもりの技だった。それがまさか」
「その……すみません」
故意でなくとも、手順を狂わせたことを悪く思う。
「閃いてしまったものは仕方がない。まったく末恐ろしいなぁ……ただし。まだ私が良いと言うまで使ってはならぬ。試すことも……名前を『煌鱗無双』というが、あれは一度でも発動を誤れば術者に命がない。己の力に己の肢体を引き裂かれてしまう」
「さ、裂か……っ!? わ、わかりました、もう使いません」
自分がそうなったさまを想像すると、ホロロは思わず足が竦んだ。
ジョンから信頼深い眼差しをもらい、口にした誓いに納得をもらう。
「よろしい」
それからしばらく、訓練の代わりに談笑が続いた。
秋空を染めてゆく朝日を、二人して眺めやる。
「ジョン教官」
「うん、どうした?」
合宿最終日の今日になって、これまでをぼんやりと振り返る。
ホロロは述懐した。
「生き別れた兄さんに会いたくて、いつか連邦と帝国の仲を取り持てるような騎士にと――思いつきみたく優しい騎士を志して、本当はそれがどんなものかも曖昧でした……でも教官に、この国に来て色々な人たちに出会って、ようやく、はっきりと、わかった気がしています」
「……教えてもらえるかな?」
ジョンの横顔を一瞥して、ホロロは答える。
「きっとこの優しい騎士というのは、相手に優しくあるのと同時に僕自身にも優しい、そうだろうと思います。ほかならない僕自身が、その時を見たくないと感じている。もしかすると独善的な偽善者の考えかもしれないけれど、それでもいいと思っています。この志で守れる何かがあるなら、誰かが救われるなら、誰かの心には伝わるかもしれないなら……そんな臆病者な願いなんです」
「そうか……願いであるか」
「はい」
聞いて、ジョンは表情を柔らかにした。
その善とされるべきものも、その悪とされるべきものも、社会のあり方に当てはめて正しく理解をした上で、現実から、真実から目を逸らさずに、すべてを自分の業として受け入れる。ホロロが導き出した志の本懐を聞いて、彼はこれまで以上の期待を持ったのだ。
善悪も人間が己の都合で決めること……。
時代によって、時の支配者によって変わるもの……。
所詮は自分の善悪こそが全て。なら人世がどうだと考えず、その人間を見るべきだ……。
追憶の中にある言葉と優しい騎士という志を想って、彼は呟いた。
「そうすれば……その人の真心があるはずだから」
ホロロ編 完。