ルチェンダート戦 開始
十月二十九日。
午後には気温も下がりやすくなってきたが、まだ日差しを浴びると心地良い。冬の訪れは近いが、とはいえ明日明後日の話でもないらしい、近頃はそんな曖昧な気候にある。
アイゼオンが設定した合宿期間最終日の当日は、ウェスタリアとルチェンダートの練習試合が予定されていた。すでに生徒や教官たちも森林区画に集合し、簡単な打ち合わせを終えて、各々の居場所で開始を待っている状態だった。
森林区画を挟んで二つ設けられた、大型の展望施設。
区画側の一面をガラス張りにした大空間が、組積造の塔の最上部に一つある。施設は観戦を目的にしているため、あまり人をもてなすような造りはしていない。最高収容人数は百五十人とされるが、今は試合の噂を聞きつけた各国の関係者たちで、それを優に上回ってごった返していた。
「九分九厘だろうか。ルチェンダートが勝つと見て情報を集めに来ているらしい」
連邦側の展望施設内の、その観戦室の窓際から森林区画を眺めやる。
周囲に目配せをするジョンに、ネネは話題を振られた。
「十年無敗の学校……勝敗はともかく、見ていて損はない試合になりますから」
「私たちの健闘には期待もないか。一枚にはなれないものかな」
「そういった意識にも影響を与えられたら良いのですがね。やれるだけのことはやりました」
「あとは見守るほかにあるまい、か」
「はい。彼らなら、もしかしたら」
語り口こそ、憂いを含んでいるように聞こえる。
しかし二人の表情はそれほどでもなかった。一か月間の合宿で見てきたウェスタリア代表の成長を思えば、試合に対して絶望ではなく期待を抱くことができたのだ。容易く勝てずとも、決して容易く負けもしないだろうと、ウェスタリアの教官たちも見込んでいる
「あぎゅ、ふぎゅ……と、とおして、おくれ…………ぷあぁ!」
ふと観戦室の入口から、何人かが人ごみを掻き分けて現れた。
先頭を歩く女の身の丈は、一見して子供のそれである。やつれた質感のある黒髪の中からは、獣の類が持つはずの耳が生えていた。また額に拡大鏡らしきゴーグルをかけたさまと、ぶかぶかの白衣に袖をとおしたさまは、あわせて見れば研究者の姿とも思しい。
人ごみの窮屈さを抜けて息を吐いた女に、ネネは覚えがあった。
「ぅげっ……マ、マジョリヨ博士」
「ほぇ? おっ……ほぉおおおっ!? ネネたんではないか! ひさしぶりだなぁ!」
呼ばれて向き直る女の間抜け面が、ぱっと明るくなった。
このマジョリヨという女は、アイゼオンに在籍するフォトンストーン応用開発研究の権威だった。まるで見た目が子供であったり、人間らしからぬ耳が生えていたり、珍しい姿をしているが歴とした成人で、正しく分類すれば人間でもある。
現代における画期的発明の半分は彼女によって作られた、と言っても過言ではない。そう称される彼女が新しい研究を始めれば、また何か画期的な発明がなされる可能性が高い。世に発表される前にその成果を奪ってしまえば、巨万の富が約束されて、歴史に名を刻む存在となるに違いない。
浅ましい犯行動機を持つ者たちから、女は過去八回に渡って誘拐された。
これを救出していたのが、当時まだ管理局内で活動していたネネだった。三回目の誘拐から、その救出参加の最多記録保持者になると、四回目以降は「もう慣れているだろう?」などと適当な人選をされて、彼女の記録は順調に更新されていった。
それで今なお懲りずに開発を続けている女に、いつか起こってしまうだろう九度目を想像すると、
また自分が助けに向かうはめになるような気がして、彼女もうんざりしていたのだ。
「……あの、どうして博士がここに?」
「聞いていないか? あたしは右頭に頼まれて来た。試作実験だ……まあ安心したまえよ。ここには誘拐犯もいないはずだ。それに、いたらネネたんも守ってくれるだろう?」
ネネの気も知らず、マジョリヨがぬけぬけと言った。
「それでネネ殿、この方は?」
横で聞いていたジョンから、ネネは尋ねられた。
「あぁ、すみません。彼女はマジョリヨ博士。有名な技術者です。以前に蒸気機関車に乗ったことを覚えているかと思いますが、動力である蒸気機関の基礎開発をしたのは、彼女なんですよ」
「ほう、それは……もしやお主は極地からの……」
立てた人差し指を口元によせて、マジョリヨがとっさに言葉を制した。
「おっとっと……さてはお兄たんただ者ではないな? それ以上はシーッだ。あんまり気持ちがいい話ではないからな。どうか今回ばっかりは許しておくれよ」
「すまない。すこし気が回らなかったようだ……それで、ここにはどうして?」
「おお、そうであった!」
助手に運ばせた平たい物体を指差して、マジョリヨが声を弾ませた。
「ぱんぱか、ぱーん! 映像通信機、試作第七号機だぁー」
「つ、通信機って、またそんな誘拐されそうなものを作っちゃったんですか!?」
ネネの顔が引きつる。
「大丈夫、今回は右頭から直々の開発依頼があったからだし、研究所の警備も盤石さ。だいだいな、あたしがこの国にいるのは、そんな輩が多い連邦帝国より安全だからだ。まあ寝床が安いってこともあるんだがね……それよりもコイツを見てくれ」
武闘祭の観戦は、選抜大会などとは違って難しい。
区画周辺に設置された展望施設から肉眼か、でなければ持ち込んだ望遠鏡で観戦する――かつてはそれでも観客を満足させられた。しかし近年の客足の遠のき方を思えば、そうでなくなったことは、紛れもない事実である。文明の進歩にともない、人々が娯楽に求める満足も大きくなったのだ。
武闘祭が兵器を競うだけになることを、右頭はもっとも懸念している。だから右頭はマジョリヨに造らせた。選手たちが戦う様子を見やすくする、これまでにない仕掛け――。
「フォトンストーン開発の歴史が変わるぞぉー」
「でも通信には莫大はフォトンがかかるのでは?」
ネネは納得できずに尋ねた。
「そう、それ。その先入観が駄目だったのな。しかも量を費やした分は正しく効力が高まったから、すっかり盲点になっていた。気まぐれに逆のことをやってみたら……こうなった」
成人三人分ほどの大きさをした板状の装置が、窓際に次々と設置された。ずらりと横一列に並んで屋外の景色をさえぎった。準備の整いを見計らいマジョリヨが指を鳴らして合図をすると、その黒い板面は――映像板は一斉に色づいた。
森林区画で試合開始を待つ、代表たちの姿が映し出されていた。
×
「そことか、あそこにも……さっき来た技術者の人たちが言っていたものだよね?」
「そのようですね。仮にあれが目だとして、見られていると思うと気が散りそうです……まぁこれを敗北の言い訳にしたくはありませんが。これも良い障害物だと考えれば、あるいは」
開始の合図を待つウェスタリア代表たちが、森林区画の木々に設置された小型装置を目に留めた。その装置に埋め込まれた水晶のような目は、敏感に人間の居場所を察知すると、必ずその方向を向くように動作していた。装置は区画内のいたる箇所に設置されていることがうかがえた。
それらが展望施設の映像版に中継を行っている装置だった。時に、マジョリヨにより生み出されたその装置は、アルカディア初の『自立稼働する機械』でもあった。
「それでワトロッド君。打ち合わせどおりですか?」
「そうだな。ルチェンダートがどう動くのか、正直さっぱり分らないが……」
森林区画の地形は扇状になっており、広い方が北になる。
攻撃側のウェスタリアは、相手の拠点制圧を目指さなければならない。攻撃の方向としては開いた側から狭まった側に、最端部からの出発となる。ルールから、最初の布陣位置はその最端部であればいずこも認められる。この時には人を分けても良いとされている。
対して防御側のルチェンダートは、拠点から行動を開始して布陣を行い、斥候で情報を集めながら対処するなどして、相手の攻撃を制限時間いっぱいまで凌げれば良い。
もしくは、互いに相手の代表を全滅させるか――。
「やはり人を分けるのは危険に思える。昨日話した通り、東から全員行動で堅実に攻めようと思う。個別に叩かれるのが一番怖いだろうから。何より情報がないのではね」
「しかし、あちら側も同じでしょう」
「……前向きに考えようか」
会話を遮るように、ドンと一発の花火が打ち上げられた。
あと五分すればもう一発打ち上がり、開始の合図になる。
「みんな、準備はいいかい?」
ワトロッドの確認に、全員が黙って頷いた。
そして五分が経過して、花火が打ち上がる。
「作戦開始だ……行こう」
ワトロッドの指揮のもと隊列を組んで、全員が森の奥へと歩を進めて――まもなくだ。時間にしておよそ一分、踏み出してからの体感では、もっと短く感じられるだろう。
頭上から、誰かが降って現れた。ウェスタリアの代表たちが組んでいた隊列を割って、その中心に着地したそれは、不測の事態で硬直する彼らに、不気味な笑みを浮かべて挨拶をした。
「ヒヒッ。……こんにちわ」
あまりにも早すぎる、先制の一手だった。




