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天使の顔をした悪魔、悪魔の顔をした天使

 

 夕暮れ時の廃墟街区画には、少年少女たちの悲鳴がこだましていた。


 アイリーズという仲間の少女に、どんと建物の外壁に叩きつけられる。そのまま前腕で首を押さえつけられると、息ができなくなる。抵抗はむなしいと理解しているが、みすみす窒息死するわけにもいかずに、もがいて――しかし眼球に短刀を突きつけられると、さらに自由を奪われる。


 これらを上品に笑ってされると、ロロピアラは改めて彼女の存在に恐怖した。


「この艶やかな黒髪、この綺麗な顔、そして、この金色の瞳……あぁこれだけは、いつ見ても美しいですわね。もし私がおままごと学校の生徒でさえなければ、今すぐにでもあなたの息の根を止めて、くり抜いて差し上げますのに」


「ァ、アイリーズ、元に、戻っ……」


 何の拍子に相手の感情がエスカレートして、その願望が実行されるかわからない。こう思えるのも実際に前例があればこそ、直接その目で見て知っていればこそである。


「あぁ情けない、情けない、情けないではありませんか。九人がかりで私一人を倒せない。これではルチェンダート代表を名乗るなどと、おこがましい……あの彼のように私を満足させられるだけの、強い気配が微塵も感じられない。あぁ退屈です、退屈です、退屈です」


 満身創痍の少年少女が八人、ある者は苦しみ悶えてうずくまり、ある者はもう気を失い倒れている――彼らを冷めた目で睥睨するアイリーズが、舞台で台詞を読むような韻をつけて言い放つ。


 誰も言い返せないでいると、彼女がしらけた笑い方をして冷たく続けた。


「ふふ……もういっそのこと、殺してしまいましょうか?」


 もう駄目だと固く目を閉じて観念するが、一向に何も起きなかった。それどころか、ロロピアラは自分の首にかかる力が、すっと離れていく感触を覚えた。すぐあとには小さく舌打ちと、


「いつまでも頭の中で喧しいですこと……はいはい、わかりましたわ。もう消えましてよ」


 うんざりするような、誰かと話すような独話が聞こえた。薄目を開けて確かめると、ポケットから取り出した髪紐でそそくさと髪を結い上げている、そんなアイリーズの姿が見えた。


 それを終えた相手の表情から、たちまち上品さが失せる。まぶたが大きく開かれて四白眼になり、口角が大きく吊り上がって広がる。その薄ら笑いの形相は、おそらく気の弱い者なら目を逸らさずにいられないだろう、不気味の一言に尽きている。


 彼女の変貌に、ロロピアラは安堵した。


「……ごめんなさい。まさか主導権を強引に奪ってくるなんて」


「表の方……戻ってくれた。今日ばっかりは肝が冷えたわ」


 満身創痍を労わるアイリーズから、ロロピアラは優しい手つきで介抱される。


 彼女の粘ついた声を耳に入れて、命脈がつながったとようやく実感が湧いた。また、これはほかの八人にも言えたことだった。天使の顔をした悪魔が消えて、悪魔の顔をした天使が現れた、彼女らはアイリーズの変化をそのように感じていた。


「本当にアナタたちには、いつも申し訳が立たないわねぇ……本当に」


「もういいわよ。いつものことだし。あたしは平気で、みんなも生きているじゃない」


 言って微笑んだロロピアラに同調して、意識のある代表たちが声を重ねる。


『まぁ……そういうこったな』


『うんうん。だいたい、九対一で擬戦やってコレだぜ? 裏の方が呆れるのもわかるよ』


『いーや、絶対にアイリーズが強すぎるだけだって。さすが歴代最高成績なだけあるわ』


『味方で良かったと思うよ、心底な。もしも敵だったら……なんて考えるとゾッとする』


 自分を殺そうとした相手を許す――彼らも初めからこうまで寛容だったわけではない。同じ時間を過ごすうちに、少しずつ事情を知って理解を深めたから、それができるようになった。むしろ彼らの憤りは、彼女の暴走を制してやれない自分の弱さに向けられるのだ。


 だからアイリーズは、余計に悔やんでしまう。


「こんな自分が、恨めしくてならないわ……」


 数年前、帝国には暗殺成功率十割の隠密がいた。


 まだ十歳にも満たない女児だった。生まれ持った能力を見込まれ、過酷な訓練を強いられ、殺人に対する恐怖を抱えたまま暗殺を繰り返した。相手の油断を誘う幼さと、暗殺に向いた才能と、二つが相まると失敗することの方が難しかった。成果が上がる度、その心には尋常でない負荷がかかった。


 精神が崩壊しかける頃、それを防ぐように裏の人格が形成された。


 いくら殺人を犯そうとも心が傷つかないように、この人格は殺人嗜好を持った。可愛らしい仕草、穏やかな物腰を覚えると、失敗する気配さえもなくなった。時の権力争いも激しかった帝国の裏側に身をおいて、権力者たちの言いなりを自ら望んで、老若男女を問わず手にかけた。


 その数にも覚えがなくなるほど、これが続いた。


 やがて表の人格は看過できなくなった。裏の人格とは記憶を共有していたから、人格が元に戻れば結局は心に負荷がかかった。自分の所業ではない、自分は何も悪くない、そう切り離しては考えられなかった。もとい、そう考えてはいたくなかった。


 暗殺をやめる、人質を取られてできない立場にある。自害は裏の人格に阻まれる。監視もあるから暗殺対象を見過ごすことはできない。どうすれば自然に暗殺を失敗できるかと悩んでいた頃、とある転機が訪れた――自分が暗殺を続けるべき理由が、人質がもう存在しなかったと知ったのだ。


 ずっと自分を騙していた権力者の暗殺を企てる。


 自らの死を恐れた相手が、帝国軍に要請して大部隊を護衛に立てた。しかしこれをものともせず、これまで培った戦闘能力をいかんなく発揮して、彼女は暗殺をなしとげた。この時あわせて、自分に暗殺者としての利用価値が無いことを知らしめる、そのように図ってもいた。


 もしも、相手が自分を一目見ただけで危険な存在と認識できたなら――。


「……今は養成学院の中で監視される日々だけれど、この幸せだけは何としてでも」


「それにしても、何だか裏の方がやけに活発じゃない?」


 呟いたアイリーズをよそに、ロロピアラが思い返すように言った。


「あぁ……広場の一件の時には連邦の子たちもいたじゃない?」


「そういえば何かいたわねぇ……それで?」


「その中に気になる男の子を見つけたらしくてねぇ。ヒヒッ。かくいう私も興味があるわ」


「あなたが……珍しいじゃない? どんな子だった?」


 にやけ顔で詮索するロロピアラに、アイリーズが冗談めかして答える。


「ワタシの生きる世界を変えてくれる、かもしれない子かしらね」


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