否定したい志
十月十五日。深夜。
指揮役に選ばれて心境に変化があったのか、昨日の午前の訓練でワトロッドが煌気化に成功した。代表に選ばれた生徒たちの実力や精神力が、上級騎士クラスの域にも届きえたという証明が、これでなされる形となる。あとはミュートが煌気化にいたることさえ、できれば――。
誰もが、それとなく気づいていたことだ。
だから、この夜更けにも宿の演習場で、彼女は独り自分と戦っていた。
「……なぜだ、それでなければ駄目なのか?」
見えざる力が練られたそばから四散し、力む身体の外に溢れて大気を押しのける。
凄まじい練気をしながら鬱陶しげに小さく疑問をこぼすが、ミュートは答えをとうに知っていた。自分だけ煌気化ができない劣等感ではない、足を引っ張っている罪悪感でもない。ただ自覚している引き金が、今の自分にはあまりにも受け入れがたかった。
自分にはそれ以外ないのかと、探しても、探しても、見つからない。
――今さらになって、何を迷うことがある?
彼女は自分に問い掛けられた気がした。幼少の記憶が脳裏に一閃して、当時の灼熱の温度とそれに焼き焦がされる悪臭が、ありもしないのに感じられた。
「……うるさい。迷って何が悪い」
――何のために剣を手にした? 何のために力をつけた?
「憎悪に飲まれることが、私のすべてだというのか?」
練気を絶やさぬまま苛立ちを表情に浮かべ、喉まで込み上げる怒鳴り声を押し殺して、問い返す。感情的になって、これ以上は自分を自分で貶めたくなかった。理性を失わない、悪感情に飲まれない真っ当な人間でありたかった。
――ほだされたのか? 優しい騎士などと、これまでのすべてを否定するものではないか?
「歪んだ憎しみに囚われない、私を受け入れてくれる居場所が、見つけられそうなんだ」
口にしながら、自分よりも背丈の低い少年の隣におさまる、そんな自分の姿を思い浮かべる。
――滑稽なことだ。そこにいたがる人間がほかにもいる。自分のように、心が汚れてなどいない。なんと自分よりも相応しいことだろう。知ってまだ惨めに。あの戯言一つにすがっている。どこまで本気なのか、わかりもしていないだろうに。
自分自身に見透かされて、目を背けてきたことを言い聞かされる。
「駄目だ、もう考えるな……こんなことは」
――それだけにお父様も、お母様も、浮かばれない。
もう、ミュートは耐えきれなかった。
「だまれ!」
気が触れて、持てる限りの力で地団太を踏んだ。
踏み締められた地面には、鈍い音を立てて3メィダほど亀裂が走った。それだけの威力を発揮する彼女の練気は、すでに煌気化にいたっていても不思議ではない高みにあった。
自覚している志を強固な意志として肯定すれば、もう二度と普通の道を歩めなくなる。そんな気がしてならないでいる。そして、それ以外に自分の志すものが見つけられないでいる。いつまでもそうした自分を変えられずにいるから、焦っている――。
膝に力が入らなくなって、ぺたりと地べたに座り込む。
「わかっているんだ。あれは私に斬られるべき男だと、そう信じていることは認める。だが斬って、それからはどうなる? あの男に家族がいたら、あれを慕う者が私を殺しに来るのか? 私はそれに恨まれ続けて、いつかは斬られるのか? それとも、私はそれすらも……」
感情を独り言にする。最後は一つの憂いをこめた言葉で結んだ。それは否定の根本にあるもので、また肯定しそうになる自分自身を、今なお踏み止まらせているものだった。
「……やり遂げた私は、まだそこに居場所を願ってもいいのだろうか?」
普段の凛とした面影もなく、いつまでも弱々しく垂れる。
いっそ受け入れてしまえば楽になる。しかし、想う一人の志と相いれない業を背負うことになる。それによって失ってしまうものが、いつのまにか自分の中で大き過ぎるものになっていた。
「ミュートさん?」
ふと、ミュートは誰かに声をかけられた。
今の今まで考え事の中心にいたから、誰なのかは見ずにわかった。続けてかけられる、そのどこか作られたような明るい声を、ミュートはそのまま黙って聞いた。
「少し寝付けなくて夜風に当たっていたら、演習場から物音がして……ミュートさんだったんだね。もしかして煌気化の訓練? やっぱりミュートさんって努力家なんだね。でも僕なんかに言われなくたってわかっているだろうけど、もう夜も遅いし、今日は休んだ方が……」
膝で立ってゆっくりと向き直る。その声が聞こえる方に手を伸ばす。その小さな身体を、腰元から抱き寄せる。その懐に頭を押し当てる。埋める顔は見られないようにする。
「……ミュートさん?」
「すまない……少しだけ。少しだけ、いいだろうか……」
強くすがりつくと、驚いていた相手は大人しくなった。
ミュートは咽び泣いた。自分でも、こうしている理由がはっきりしなかった。悟られないように、悟られないように、そうするたびに泣き方が露骨になっていくも、堪えられなかった。
夜が明けると、ミュートはジョンに申し出た。
「……煌気化の代わりに、練気で煌気化を破る術を習得したいと?」
煌気化が出来ないのなら、代わりの何かを習得すべきだと考えた。同じ訓練を続けても実らないと確信していた。悪感情を強めて時間を無駄にするくらいなら、今はその方が建設的だと――あるいは一度その訓練から離れて、心を整理したいとも思っていた。
「はい。私には……」
「よかろう。やり方はネネ殿に伝えてある。彼女から学べるだけ学びなさい」
急な申し出ではあるが、対応は早かった。
実の所その準備はできていた。ジョンやネネ、ほか一部の教官たちも、ミュートが煌気化できない理由には感づいていたのだ。特にネネが、ふたたび芽生えようとしている心の闇を気にかけていた。だから案があがると、彼女も率先して動いていた。
「覚悟はいいですか? 生半可な習得では、最悪は死にますよ?」
「構いません。自分に殺されてしまうよりはいい」。
それが作りものだとしても、人前では笑って見せる。長らく溜め込んでいた弱音を吐けて気持ちが楽になったのもそう、何より黙々と受け入れてくれた相手に顔向けできる自分になろうとする。
今はせめてそうあるべきだと、ミュートは思っていた。




