黒い化粧
九月三十日。天候は引き続いて、夏の陽気である。
全体訓練を前に当面の目標ができたためか、内容が具体性をもった。漠然と強くなる、ではなく、武闘祭の優勝候補校に勝てるだけの力をつける、そこを目指す。
なら連携のみならず圧倒的に個々の力も不足しているとわかる。並外れた煌気化ができるホロロ、元素化フォトンを宿すナコリン、この二人はともかく――ほかの八人にはこれといった武器もない。
「であるからして、これから午前を個々の力を高めるために、午後を全体の力を高めるためにあてる……当初の予定よりも過酷になるであろうが、お主たちなら大丈夫だろう」
草原区画に集合したウェスタリアの代表たちに、ジョンがつぶさに話す。
教官たちのまとめ役となった彼は、指導方針の打ち合わせで出された意見を総合して、今後はそう行動していく方針で決断していた。例の木人との戦いぶりが影響して、その役柄に就任が決まっても誰にも意義を唱えられなかった、とは本人も知らぬ余談である。
「そこで質問だが、今で、煌気化ができる者は誰になるのかな?」
ジョンの質問にホロロ、ジャンゴ、ナコリンの三人が挙手で答える。これと重ねて、ブリジッカがまた「はい!」と元気な挙手で答える。そうだと知らなかった者たちが、度肝を抜かれる。
「本当なのか? この前はそんな気配が微塵もなかったが?」
「まじまじ。弓兵ってあんま煌気化とか使わない兵科でさ。ほら、うしろでピカっても的になるし、隠れたりした時に目立つし。まぁ、デコリンとかは氷を使うために仕方ねぇけど」
やや焦りを含んだ口調で、隣にいたミュートから疑いの声をかけられる。
ブリジッカはあっけらかんとした態度で応じた。そうしながら彼女が若干の冷静さを欠いた理由に見当をつけた。自分がそうだったから驚いた、早く真偽を確かめたくて焦った、ではなく相手自身にそうさせる心因があるらしいと、その様子を間近にして思った。
その驚き方、さてはウチがそうだから、だけじゃない感じか……?
それが壊れ物のらしいとも感じた彼女は、まだ今は迂闊に触れることを恐れた。
「よろしい、四人は応用の訓練をしよう。残りの六人は、練気の練度をあげて煌気化を習得しよう。まずは相手と条件が対等にならねばならない。これは必要最低限のことだ」
ざわつく代表たちを制して、ジョンが指示をする。
合宿最終日の対ルチェンダ―ト戦を目指す、最初の訓練が始まった。
煌気化ができる四人で集まり、次の指示を待つ。
「というか驚きだよなぁ。ブリジッカちゃん、できたんだ?」
「おいイケメン、さてはウチのこと舐めていやがったな?」
掘り下げるジャンゴを、ブリジッカはふざけた調子で睨みつける。
相変わらず化粧が邪魔になって、誰もうまい具合に彼女の表情を見分けられない。誰しもがあえて我慢し避けてきたこれに、とうとう辛抱たまらずホロロが口を滑らせた。
「ブリジッカさんって、どうして顔を黒く塗っているの?」
うわぁ、やっちまったよ!? という心の絶叫がジャンゴとナコリンの気色に表れる。二人を見て失言だったと思うホロロが、ぱっと手で口を塞く。肘で小突き合い、三人でそろって慌てふためく。
しかしブリジッカは、むしろげらげらと笑った。
「まじで? 聞いちゃうのかショタ君? うっはぁ、面と向かってとか久しぶりだわ」
きょとんとする三人に、彼女は堰を切ったように語る。
「ウチのこれはねぇ……」
バーヤマンという流浪の民にとって、黒い化粧には魔除けの意味が込められていた。
ただ歴史も長くなると、時代と共に正しい意味は亡失された。現代では別の意味を持つ、ある種の感情表現の一環と変わった。もちろん世界的にではなく、この民族においてだ。
この民族の特徴は陽気の一言に尽きる。
彼らは未開地を切り開き移住を繰り返してきたが、昨今は肝心の未開地も減少傾向にあり、農耕や狩猟で生活する力も衰えつつあった。だから彼女のように外界へ進出して、将来の生計を立てようとする者も珍しくない。
黒い化粧は、その時の妨げになるだろう。人は人世から浮いた振る舞いをする者を嫌い軽んじる、あるいは避けもする。それでもバーヤマンは化粧の文化を絶やさない。
自分と接する相手の、心根が見えるからだ。
「……ってね。化粧も一種類じゃなくてさ、楽しい時の化粧とか、怒った時の化粧とか、悲しい時の化粧とか、好きな奴に見せる化粧とか、いろいろあんだよね。それに、相手が人を見た目で判断するような奴かどうか、こんな顔してれば一発ってわけよ」
化粧が話題に上がり、ブリジッカは愉快に思っていた。まずもって敬遠されるから、そんな機会はほとんど得られない。自己表現の象徴たる化粧に触れられないとは、バーヤマンにとって、すなわち彼女にとってほかの何よりもどかしいことなのだ。
「ですが勿体なくもありますね。先日の入浴の際に素顔を見ましたが、舞台女優も裸足で逃げそうな美貌をしているようにも見えましたが? それさえなければ引く手も数多でしょうに」
言葉どおり思い比べて、ナコリンが首をひねる。
「おっ、ありがとうデコリン。でもやっぱ、この方がウチらしいかな」
「……そうかもしれませんね」
また一つ互いの理解が進み――ふと、四人はジョンが話し終わるまで待っていたことに気づいた。彼らは慌ただしく整列すると、いつ指示を受けてもいいように準備を整えた。
「おや、もう話はいいのな?」
「はい。申し訳ありませんでした」
「何も謝ることはない。互いを知ることも時には強さにつながる。寄せ集めのままでは一団としても成り立たんだろう。まぁ、それで時間を費やしてもらっても困るが」
冗談めかした言葉から、ジョンはさらりと続ける。
「これから煌気化の応用を覚えてもらう前に、まず煌気の練度がいかほどか確かめねばならん」
「お言葉ですが、煌気化の応用とは具体的にどのようなことでしょうか?」
ただただ理解しかねた態度で、ナコリンに質問される。
「具体的にとは、たとえば……」
ジョンは辺りを見回すと、十歩ほど離れた先にある大岩を目に留めた。開いた手を突き出すように構えると「そう、こんな風に」と四人の注意を引いた。そして、一瞬の目つき鋭く狙いを定めると、そこから音もなくフォトンを送り出した。
大岩に届いたフォトンが、彼の意志により練気されて煌気化する。その強力なエネルギーの集束に巻き込まれた大岩は、青白い光の発生にあわせて粉々に吹き飛んだ。
「……する方法を教えようかと思ったが、もう習得済みだったかな?」
体外の、それも離れた場所に煌気を発生させる。見聞きした覚えもないことを、さも当然のように実演して見せられると、もう誰も意見や質問をすることはなかった。
「元素化の真価は、本来そういうものだと私は思うのだが?」
「まさか……これが可能だとしたなら」
また、その実演が自分に向けられたと理解すれば、一日でも早い習得を望む気持ちにさせられる。ナコリンの目には今しがたのそれが、それだけ魅力的な技に見えていた。
元素化は、煌気の変質によって炎や氷を発生させている。自分がいる位置とはまったく関係がない位置に、自分の煌気を発生させることができたら、そう思えば計り知れない可能性が秘めていると、それは彼女だからこそ感じることであった。
「では、訓練を始めようか……」




