眼前にそびえるもの
帝国ルチェンダート騎士要請学院は、昨年といわず、毎年のように武闘祭を制覇していた。
ルチェンダートは皇帝と繋がりが根深い領地で、それは国にもっとも忠誠を誓い、もっとも恩顧を受けているとも言えた。ならば教育に注がれる熱も、また帝国の中で随一だった。
この領地には、連邦で言うところの騎士養成学校が一校しかない。
であるにも関わらず――ともすれば入学を希望する少年少女が殺到して、その条件が難しくなりもするだろう。時には、ほかの領地から『我が領から優秀な人材が流れている』と苦言を呈されると、しばしば内乱の種になりかけることもあった。
要はそれだけ優秀な人材しか集まらないし、認めないのだ。入学前に煌気化は出来て当然、元素化フォトンの一つ二つは扱えて珍しくもなく、特殊フォトンの持ち主がいてようやく珍しいとされる。すでに従軍して実戦を経験した者もざらである。
この生徒たちは根本的に実力や気構えから、他国他領のそれとは違っていた。
君主制国家において突出した領地が一つあれば、ほかの領地も指をくわえていられるわけがない。かといって贔屓を理由に反旗を翻しても、ほかの領地に忠誠を示す材料を与えるばかりだろう。なら自らの領地も教育力を高めることに努めて、武闘祭の成績を残すことに尽力する。
いかにほかの領地と差をつけられるかに重きがおかれ、連邦に勝利するといったことを軽んじる。本末を誤ったとしても望むべき結果に帰結するから、特にここ近年はその程度もはなはだしかった。まるで『敵は自国にあり、他の諸侯にて候』とも言わぬばかりに。
この教育競争こそが、帝国の教育力を高めた一端である。
「……ってな。さっきネネ教官が言ったとおりさ。ぶっ飛んだ話だろう?」
エンの庭園にある古びた丸木橋の上から、底浅い池を眼下におさめる。
打ち合わせのあと、ジャンゴはホロロと夜風に当たっていた。ここではルチェンダート領について知る限りのことを滔々と語った。それから、今の心境を素直に吐露した。
「勝つ気がないってわけじゃない。試合するってことは決まっちまったし、腹もくくるよ。いずれは倒さないといけない相手でもあるしな。でも、どう考えたって、今の俺たちが相手にするには早い。目の前にてっぺんの見えない壁が、突然そびえ立った気分だよ」
「ナコリンさんみたいな元素化フォトンを持っている人が、沢山いるってこと?」
「去年の記録では代表も補欠も、全員そうだったらしい。実力主義な校風らしくて、半分は一年生ときたもんだ。そいつらが今年の代表になっていても不思議じゃない……嫌になるよな、まったく」
「僕たち、本当に戦争を止められるのかな?」
「お前にしては、珍しく弱気じゃないか?」
ジャンゴが知っているのは、選抜大会からのホロロだ。
それまで自分が落ちこぼれと蔑まれていたとなど、ホロロは知られていなくて当然で、活躍の仕方から見ても、そう思われることの方が不思議であるだろう。
だから返る言葉も自然と、三か月前の自分について、になる。
「……ついこの間まで、素振りもまともにできなかった。僕はずっと弱気なままだよ。いつも何かの心配ばかりして悩んで、自分でも呆れるくらい……もう笑っちゃうよね?」
「お前、本気で言っているのか?」
とはいえ、三か月で見込める成長に思えない。ならほかに要因があったとすれば、彼を教え導いた存在だろう。シアリーザに師事してから、自分を含む第六の選抜候補たちが能力を伸ばしていれば、指導者の優劣が成長に大きく関わることだとも実感があった。
すべて聞き終えると、ジャンゴは笑った。
「……本当に笑わなくても」
「いや、そうじゃない。何だか難しく考えることが馬鹿らしくなった」
自分が今ここに立っている理由を、彼は思い出していた。
スカダニア家は連邦政府や連邦軍などとは縁もゆかりもない、美術家の一族である。
当家の次男坊がジャンゴだった。
両親が描く絵画の題材になり、仕上がったそれが誰かに称賛されるたび、自分が褒められた気分になった。これを幼少から繰り返した結果、彼の中にナルシストの気質が形成されていった。まもなく自他ともに認める美形に成長すると、手の施しようがないスケコマシと相なった。
――どうして騎士になりたいかって? 女の子にモテそうだからさ!
彼が騎士を目指した動機である。天は中途半端にも二物を与えたというか、彼には騎士養成学校に入学できるだけのフォトンが宿っていたから、叶いはした。ただし学生のそれといえど、騎士の道は彼が考えるほど甘くなかった。
戦いの知識はなく、ほかの生徒よりフォトンが少なく、通用したのは基礎的な身体能力のみ。
それでも彼は努力家で、人並外れて器用だった。
だから第六の選抜候補を決める試合でも劣らなかったし、一年生ながら選抜大会にも出場できた。この頃になると、もう当初の不純な動機では剣を振るわなくなっていた。いかに美しく気高い騎士であれるかを意識していた。
そんな、いつのまにか本気になっている自分に気づくのは、シアリーザと出会い開戦の危機を知ってからの話である。
「あれ、じゃあ何のことで笑っているのさ?」
「この前お前が言っていたように。諦めんなって話だ。あと一ヶ月ある。出来ること全部やってから身のほどを知ることにしようってさ、やるぞぉ、俺は!」
どしんと足元を踏みしめて、ジャンゴが拳を握る。
意図せず自信を与えたホロロも、今はそんな彼に元気をうつされて笑った。
「あははは!」
「あははは、ぅほぁあっ!?」
時を移さず、元気を受け止めきれず、古びた丸木橋の床が大きく抜ける。
二人が背中から池に落ちると、どっぽんと水しぶきが上がった。
「しくった。橋のところに忘れ物だ。先に行ってくれよ」
「うん……先に入って待っているよ」
先程まであった心の熱はどこへ行ったか、ずぶ濡れの二人はすっかり萎えきって、重たい足どりで風呂に向かっていた。この道々、ジャンゴがそう言ってあと戻りをして行った。
丸木橋の老朽化について整備を怠っていた、と宿からは御咎めはない。むしろ平謝りをして入浴を勧められた。一方で、いかにも古めかしい橋の上で、強く踏み締めた方にも非がないとは言えない。壊れて、濡れて、今件は痛み分けで片づきそうだった。
「下手に身体が冷える前に、早く入ってしまおう」
気が急いて注意力が散漫であれば、脱衣所を見ても先客がいることに気づけない。
そそくさと濡れた浴衣を脱いで、ホロロは浴場に踏み入る。
ここでようやくのこと、やや熱めの温泉が立てる湯煙の中に人影が見えた。それがどうにも男性のそれには見えなかったから、湯船に達する前に足が止まった。いやいやいやまさか、そんなはずは、いやだって、ここは男湯なのですぞ? と目を凝らして正体を確かめた。
彼は心臓が止まりそうになった。
「うわぁっ!? 何で、君は男の……ちょっ!?」
衣服もなければ、襟巻もない。隠れていたすべては、浴場の明かりに照らされてあきらかである。男子にないものがあり、あるべきものがない、その身体はどう見方を変えても女子のそれだった。
キュノ=ファは女子であった。
おもむろに湯船を上がり出したキュノが、真正面から歩み寄ってくる。なぜか態度には恥じらいの気配も、隠す気配さえも感じられない。初めて見た現物から、ホロロは目を逸らすことができない。さっさと引き返せば良いものを、もうちょっとだけ! という無意識の煩悩に抗えない。
「誰にも、言わないで欲しい」
片言の口調で端的に願われる。
返す言葉も考えきれず、ホロロは必死に頷いて見せる。
「……口止め料」
しかし不安がられたか、顎先に指を当てながら沈思黙考をしたキュノから、ふと閃いた調子で頭のうしろに腕を回される。目の前が真っ暗になる。頬が得も言われぬ柔らかい感触を覚える。
「むぅうううんっ!?」
ホロロは完全にのぼせ上がった。腕の締まりを緩められると、浴場の床へ仰向けになって倒れた。夢心地で意識が遠のく間際には、彼女がおろおろとする様子が見えていた。
「待たせたなホロロ。いや、酷い目にあったもんだよなぁ?」
ちょうど苦心の急いたジャンゴの声が、脱衣所の方から聞こえた。
そちらと足元と視線を往復させたキュノは、すぐさま気配を絶った。足音もたてず跳躍し、竹垣を越えて女湯に逃げ込む。彼と入れ違いで男湯に戻り、脱衣所に飛び込んだ。気づかれることもなく、見事な隠密の動きをして彼女は逃げのびた。
「さっさと洗い流して寝ちまうかぁ……ってうぉおおぃ、どうした!?」
残された現場を見たジャンゴは、面を食らってホロロに駆け寄った。
えらく幸せそうな笑みを浮かべて昇天している彼に、何があったというのかさっぱりわからない。ただ、そんな些末なことを推理するよりも、どうしたって目を引かれてしまうものがあった。
それは横たわる彼の股間で、雄々しくそびえている。
彼は自信を打ち砕かれる思いがした。
「ば、馬鹿な、なんてこった……神樹サイズ、だと!?」




