休養日も終わり
この日ウェスタリア代表男子たちは、ボージャンの提案から入浴を共にしていた。
過激派神樹教の一件をきっかけに、ここ三日間で彼らもずいぶんと打ち解けた。今では兵科で分け隔てない会話も増えて、少しずつではあるが、お互いの性格や考え方などの理解も進みつつあった。これまでの付き合い方を思えば、これは彼らにとって良い傾向と言えた。
「見てくれホロロ! この俺の肉体美を! ふぅんんぬっ!」 きゅっ。
「ぅわぁーぃ、ジャンゴ君すぅーごぉーいぃー」
露天の湯船で思いついたように立ちあがり、ジャンゴが締まった肉体を見せびらかす。
この隣で温泉に肩まで浸かっていたホロロは、彼のナルシスト気質にも慣れてしまったというか、湯の心地よさから相手にするどころではなかったというか、返事がいつになく雑だった。
「おぅ何だ、筋肉自慢か? だったら俺も混ぜてもらおう! むんんぬるぁあああっ!」 ぼふっ!
「はぁあああんっ!? な、なんて逞しい、おにくぅううううっ!?」
身体を洗い終えてやってきたボージャンが、ジャンゴに触発されて人間離れした筋肉を披露する。みるみると起伏が生まれて陰影がつき、濡れた肌は屋外照明に当たって光る。彼の背中を流していたゴランドルが、そのさまを見て変態じみた奇声を発する
「君たちな、もっと風情を味わったらどうなんだい? ……しかしキュノ君は来なかったか」
湯船の隅から三人に苦情を言ったワトロッドであるが、その内心は満更でもなかった。これまでの一週間と、賑やかともいえる今この時間と、思い比べると悪い気分にはならなかった。
「別に気にする必要もない気がするわ。ほら、人前で肌を晒すことを嫌がる隠密って多いそうだし。それにしても、貸し切りなんて宿も気前がいいわね。ここ、普通に入れば高いのよ?」
「そこはほら、俺たちが身体を張ったからじゃないか?」
彼らがいる露天風呂は、エンが上客中の上客にだけ開放する特別なものだ。
なぜ彼らが入浴できているかといえば、それは過激派神樹教徒たちの反乱を阻止した功労者であるからに尽きる。武闘祭で良い成績を残した軍人となれば、その地位も自ずと高くなる――期待できる有望株と縁を結べたなら、将来的に贔屓にしてもらえるかもしれない、そう宿には思われていた。
「まぁ、でも正直に言うと……あの時は、死ぬかもしれない、と本気で思ったな」
「まったくだな。最後に出てきた黒い奴には、いいようにされた」
ジャンゴの言葉に頷きながら、ボージャンとゴランドルと湯船に入る。
湯のかさが増えて、溢れたそれが音を立てる。
その間、彼らは三日前を思い返して沈黙する。まだ自分の力が遠く及ばない未知との戦い。抵抗もむなしい一方的な戦い。フォトン能力者として初めて死を予感した戦い。そこに恐怖を覚えた。
「こういう話をすると、お前はやっぱり暗い顔で気負ったりするわけだ……このっ」
見透かされたホロロは、ふざけた調子で笑うジャンゴに軽く湯をかけられた。
「ぷわっぶ……そ、それは、僕が言い出したことだったから。何も護れないまま失うところだった。一時だけど諦めそうだった。あれだけ優しい騎士がどうだって言っておいてさ」
「たしかお前の志だったな? あの時は詳しく聞かなかったが、どういうものなんだ?」
星空を仰ぎ見やるそれで、ジャンゴが流し目をくれる。
「相手を殺さない、自分も死なない、仲間を死なせない……そうだと、僕は思っていたけど」
「なるほど、そいつはすげぇや。でもな、この前それが果たせなかったからって気に病んでるなら、さすがに俺も怒っちまうぞ? ミュートちゃんも言ったじゃねぇか、気負うなって」
和んだ声と表情をするジャンゴが、それでいて辛辣に続ける。
「俺も、ほかの奴も、助けてくれなんて言ってないぜ? 自分の意志でお前について行った。それで勝手に死にかけた。もちろん死ぬつもりなんてなかったさ。それをお前が背負うなんてのは可笑しいじゃねぇか。お前は俺よりも強いだろうが、だからって、あんまり見くびってくれるな」
ボージャンたちが、同じ調子で言葉を追いかける。
「何を考えていたかと思えば……はははっ、俺もまだまだ鍛え方が足らんということだな?」
「でも、あたしにだって誇りがあるの。そこは忘れないで欲しいわ」
「三人の言う通りだ、ホロロ君。それに君の志がどうであれ僕は……」
ふと、竹垣で隔てられた隣の露天風呂がかしましくなった。
どうやら女性の集団を迎えたらしく、その声にはどれもこれも聞き覚えがある。思春期真っ盛りの不埒な煩悩が、彼らに要らぬ協調性を発揮させ、沈黙をもたらし、聞き耳を立てさせる。
「お、おい、そもそも私たちが一緒に入る意味があるのか?」
「東の方じゃ裸の付き合いってあるらしいじゃん? ほらほら、郷に入っては何とか何とか」
「……前々から思っていましたが、あなたも強引な人ですね」
「あ、でも……こういうの、ちょっと楽しいかも」
ウェスタリア代表女子たちだった。ブリジッカの提案から彼女たちも入浴を共にすることになり、偶然にも男子と時間が被っていたのだ。男子の露天風呂と同じく、女子のそれも貸切りである。
「こ、この声はまさか、じゃあ竹垣の向こう側では、ミュートちゃんたちが……」
「何をするつもりでいるんだい、ジャンゴ君! ま、待ちたまへ」
目を血走らせるジャンゴが、湯船を離れて竹垣ににじり寄る。
優等生のワトロッドが、くぐもった声で彼の動きを咎めた。しかし、今は必要もないだろう眼鏡をかけて、そのあとに続くさまを見るに、彼にも何かしら良からぬ考えがあるに違いなかった。
「え、ちょっと? いや何か、何だかさ、いろいろ台無しだよ、ワトロッド君は何を言いかけたの、せめて言いきりなよ、何で眼鏡かけたの、もっとうまく本心を隠しなよ」
二人の背中に叫んでやるつもりが、ホロロは二人の忍ぶ雰囲気に流されて小声になる。
「はははっ、これも男の性ってやつなのかなぁ」
巻き添えを食って不思議ではないにも関わらず、それでもボージャンが呑気に笑った。果たして、その豪快な声から怪しげな気配に気づいたナコリンが、竹垣越しに声を投げてきた。
「うん? ……何、そっちにいるの?」
「おう、何だ、お前も入りに来たのか?」
幼馴染のやり取りには、息をするような自然ささえある。
「せっかくだしね。ところで、覗こうなんて考えてないわよね? ……妙な気配がするわ」
ぎくりと、ジャンゴとワトロッドが忍び足を止める。
「心配するな。俺は、そんなことはしない。だいたい、この間まで一緒に入っていたじゃないか?」
その一言に、浴場がしんと静まり返る。
男子の注目はボージャンに、女子の注目はナコリンに集まった。
「こ、子供の頃の話を、しかも五年も前じゃない! やめてよ、誤解を生むでしょうが!?」
「きぃいいっ!? ボージャン様と一緒にお風呂だなんて……ふざけんじゃねぇぞゴルァ!?」
嫉妬に狂ったゴランドルが、オスに戻って吠える。
「あなたも馬鹿ですか、馬術の兵科には馬鹿しかいませんか!?」
「五年前ってウチら十二か……大丈夫だってデコリン! 男女的にはギリだよ、ギリ!」
恥辱を受けて怒鳴るナコリンを、口でそこはかとなく、顔であからさまに、ブリジッカが冷かす。ミュートとティハニアも「ほほぅ」と、いつぞやの仕返しとばかりに似たような態度をする。
「あの時からあまり育って見えんしなぁ。今に見たところで意味もないだろう?」
そう言って、ボージャンは五年前を思い返す。
グレンダール家は連邦領土北側の小国にある。おもに戦馬や輓馬の繁殖、飼育、調教、養老など、当家は牧場経営を生業としていた。この牧場主の一人息子がボージャンだった。
幼い頃から馬に親しみがある環境、親譲りの逞しい肉体と豪傑な精神。その父親いわく「少し目を離したと思ったら、一人で馬に乗って阿呆みたいに笑っていた」と、これは彼が五歳の時である。
それから三年が経ち、父親の背丈にあと一頭身と迫った頃。
彼は隣の家に越してきたナコリンと出会った。
親もなく、保護者もない。週に一度、黒服を着た男たちが訪れて生活模様を確かめている。しかし要領のいいらしい彼女に生活上の問題がないとわかれば、彼らもすぐ家をあとにした。
一人で暮らす子供、怪しげな黒服の男たちと関わり合いのある子供、話すと不気味なほど大人びている子供、いつ見ても笑わない子供――近隣の住民は初めこそ気味悪がったが、しばらくして彼女の身の上を知ると我が子同然のように可愛がった。
――今からお前を馬にのっけてやる。ちょっと付き合えよ。
その中心となったのが、幼心ながらも彼女の本質に感づいたボージャンだった。彼が生まれ持った暑苦しさで、彼女の凍てついた心を溶かしたのは別の話であり、またどこにどう行き着いたのかは、二人の今を見ればお察しのとおりであろう。
「ボージャン君。ぜひ、以前がどうだったのか、その辺りの話を詳しくお聞きしたい」
ついに理性に負けてしまったワトロッドが、眼鏡の位置をくいくいくいくいと執拗に正して願う。鼻血など垂れ流して恥も外聞もなく、ある種それは非常に潔い姿をして見えた。
「あれの身体は、こう、腰の辺りがやけにくびれていてなぁ。あと足のつけ根にホクロが……」
「いやぁあああっ!?」
入浴を済ませた代表たちは、夕食前の空き時間に予定した打ち合わせのため、会議室に集合した。室内ではすでに準備を整え終えた教官たちが、談笑して待っていた。
「おっ、来たごたんね……あん? あんたそがん顔のむくんどったかね?」
「ピコニス教官殿。これに関しては、どうかお構いなくというやつですよ」
ボージャンは顔を腫らして、ナコリンはいつにも増して愛想がなく、ほか何人かは今にも噴き出しそうにしている。何か面白いことがあったに違いない、そう憶測させる様子である。
「うむ。では夕食も近いことだし、手際よく話そうか」
全員が席に着いたところを見計らい、ジョンが前に立って話を始める。
「三日前の件については、もうネネ殿に散々説教されただろうから、改めて言う必要もない。それを省いて、明日からの訓練予定と、期間の最終日の予定が変更になったことを伝達しよう」
手元に配られた予定表に代表たちが目を通す。うち何人かは驚きから呼吸を忘れた。
「知ってのとおり、あの日に私たちは帝国の学校と話す機会があった。その時、相手方から申し出があった。こちらはそれを飲んできた。新しい予定表の最後に書かれたとおりだ」
「帝国ルチェンダート領の代表と、練習試合? ねぇ、これって……」
隣のジャンゴに尋ねかけて、ホロロがそれをやめる。表情硬く紙面と睨み合っている姿を見ると、たとえ気心が知れた彼が相手であっても、思わず遠慮が働いてしまったのだ。
「まさか、本当ですか?」
「大会を待たずして競う機会を得るなら、この上ない相手ではないかな?」
真偽を確かめるナコリンに、ジョンがあっけらかんと問い返す。
「あの、ここって一体どんな学校なんですか?」
恐る恐る質問したホロロが、室内の何人かから失笑を買った。一国の代表として、あまりに無知と思える発言だった。それを知らずして代表になりおおせたとすれば余程の大物か、阿呆か――。
「……帝国ルチェンダート騎士養成学院は、昨年の武闘祭の優勝校だ」




