表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/150

危険な少女


「よろしければ宿までお送りしますが?」


「このあと、人と会う約束があるから」


 ロイルズの見送りからしばらく、ホロロとミントも別れの時を迎えていた。


 この三日間、彼が時間を持て余していたのは日程調整の影響である。狂った日程を修正するには、少なからず各国各領の学校に掛けあう必要があったのだ。とはいえ場所を譲ってください、と言ったところでおいそれと応じられるわけでもない。


 結局は、問題のない日付までやり過ごすほかにはなかった。


 やろうと思えば宿の演習場で訓練なりできるが、木人との戦いで骨身に蓄積した疲労を癒すための休養日と相なった。だから、ほか九人も繁華街へ繰り出して買い物したり観光したり、身体に無理のない程度で骨休めをしていた。


 このあと彼も、ミュートやジャンゴと待ち合わせがある。


「……ミントちゃんは、これからどうするの?」


 大通りに停車した馬車の前で、ホロロがミントに尋ねる。


 これから――その言葉が数時間先の未来を指していないことは、声の調子で彼女に伝わった。それ以前に、彼の憂わしげな気色や前後の事情を思えば、心情を察するなど容易きわまりない。


 だから、彼女の表情は明るくなった。


「今回の一件で一般民衆との軋轢が生まれたことは確か。本音を言えば神樹教という組織そのものを解散させたいですが、しかし神樹教を生活の基盤としている者がいます。古から、子々孫々と信仰を受け継いできた教徒たちがいます……仮にも巫女である私には、とても踏みにじることができない」


 ホロロの手を取り、その瞳を見つめる。


「だから……私も、あなたのように優しい力を身につけたい。組織のありかたを内側から改善して、教徒たちを護らなければなりませんから。今は拙くとも、いつか必ず……大丈夫ですよ」


 振り返る間際に、満面喜色で「……何せ」と続いた。


「私はもう、独りではありませんから」


 馬車に乗り込む歩調は、見るに軽やかである。


 また暗幕と窓を開けて車内に覗かせる顔には、確かな表情がある。


「そういえば、武闘祭に出場なさるそうですね? それなら、いずれ機会もあるでしょう。どうか、あなたが息災でありますように……またお会いましょう、ホロロ」


 その別れの言葉は、いつまでも心地よく耳に残るものだった。



 ×



 夕方近くの陽気が水辺の空気と相まって心地いい、首都の噴水公園。


 ホロロはここで待ち惚けを食らっていた。予定よりも早く待ち合わせ場所に着いてしまったのだ。あまり人気もない噴水の縁に腰を落ち着けて、ぼんやりと色づき始めた空を仰いで、図らずも一人の時間を手に入れる。この間、彼はずっと自問自答が尽きないでいた。


「うふふ……こんにちは」


 不意に、ホロロは真横から綺麗な声を耳にした。


 顔を振り向けると、すぐに同年代くらいの少女の顔があった。


 日差しを浴びてきらめく水色の長髪は、そよ風と戯れ踊っている。不気味なほど整った顔立ちは、可愛いらしくも美しい。長いまつ毛、泣きボクロ、真っ直ぐとおった鼻筋、やや厚ぼったい薄紅色の唇、ガラス玉のような水色の瞳、見れば見るほど目を奪われるような容姿に見えた。


 手を伸ばしたら、などではない。その顔は文字通り目と鼻の先にある。


 あれ、何で? こんなに近いのに、まるで気配がしないのは……?


 噴水の縁の上にしゃがみ、細めた目で見つめてくる少女に、彼は息を飲んだ。完全感覚がここまで近寄られても機能しなかったことに、困惑していた――その時だった。


 唇を割ってぬるり、少女が出す真っ赤な舌で、彼は鼻先をぺろりと舐め上げられた。


「ぅいっ……」


 突然のこと、というよりか行為に、ホロロは背筋に怖気が走った。その類まれな容姿からはとても考えられない、常軌を逸した振る舞いに思えた。彼は慌てて顔をのけ反らせた。


「あら、ごめんあそばせ。つい癖で……先日は楽しかったですわね?」


「せ……先日って?」


 噴水の縁を降りた少女が、くるりくるりと小躍りをして雄弁に語る。


「そう、あの時は久々に、何とも胸躍る時間でした。誰かが血肉を賭して肉塊になる瞬間などは特に……はしたないとは知りながら濡れました。しかし聞けば誰かが蘇生なさったそうで、そればかりは面白くありませんわね」


「あの、何のことを、言っているんですか?」


「表の子は頑固で、私は中から見るだけ。焦らされて我慢もなりませんのよ。もう手当たりしだいに摘んでしまおうかと街に出ましたら……うふふ。ちょうど、あなたをお見かけしましたわ」


 恍惚とした表情で身悶えていた少女が、おもむろに手を向けてくる。


 ホロロは、得体のしれない圧迫感を覚えて動けなかった。


「あの時に感じた並外れた力、ああっ、思い出しただけで、いっ――」


 その口から卑猥な言葉が出かけて、重なるように覚えのある声が聞こえてきた。


「おーいホロロ、遅れて悪かったー」


 ミュートとジャンゴが到着したらしかった。


 それに気づいたホロロは、二人を見やりほっと息を吐いた。しかし舌打ちをして正気に戻るという変貌ぶりを少女に見せられると、また言い知れない怖気がぶり返しそうだった。


「まぁ、ご挨拶は叶いましたし……また近いうちに。それでは」


 それから少女の姿は、ほんの数舜も目を離した内にどこかへ消え失せた。


 それが何時だったかさえ、ホロロは気づけなかった。そもそも、あれだけ近くで話していたはずの少女にまったく気配というものを感じられないでいた。完全感覚が機能しない、本来そうであるが、一度その味を占めてしまうと察知できないことが恐ろしかった。


「すまん遅くなった。さっき誰かといたみたいだが……って、なんかお前、汗だくじゃないか?」


「……どうした? 何かあったのか?」


 合流した二人に気遣われて、ホロロはそれを自覚する。


「いや、えっと、ほら、僕って汗っかきだし……」


 そう言ってごまかすも、精神に受けた衝撃が消えるわけではない。激しい動悸を落ちつけるように深呼吸をすると、彼は自分に言い聞かせるように続けた。


「大丈夫。何でもないよ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ