剛・柔・速の黒い木人
神樹の広場、右側後方。
当日、連邦ウェスタリアと訓練日程が重なった帝国ルチェンダート代表。
彼らは人道的な見地から中立軍に加勢した。また圧倒的な戦闘能力をもって、わずか十分のうちに全体の二割の木人を撃破すると、形勢逆転にも大きく貢献をした。特に、水色の髪を風になびかせる少女の、その鬼神のごとき戦いぶりは味方にも恐れられるほどだった。
「……ねぇえぇ、ロロピアラちゃぁん?」
「ぅひぃっ!? ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! 何だって言うこと聞きますから、どうかお仕置きだけは!? なにとぞ、なにとぞぉ、ご勘弁をぉ……」
ルチェンダート代表の指揮を担う少女は、背後からの粘ついた囁き声に取り乱した。突然のことに驚いたのもそうであるが、一番はそこにいる同年の少女の危険性に心当たりがあったのだ。それでも結い上げた水色の髪と、狂気じみて歪んだ笑顔と、彼女は相手の容姿にそれらを見ると安堵した。
相手がそうである限りは、恐れることは起きないと知っていた。
「……って何だ、表の方か。脅かさないでよ」
「あんらぁ、裏の子がよかったのかしら? 変わりましょうか?」
「か、勘弁してください!」
「ヒヒッ。冗談よぉ……これ以上は損をするだけだから、引いた方がいいわ」
「ここまで来て? あの黒いのは?」
「ロロピアラちゃぁん……敵と遭遇した時の生存確率の上げ方って、知っているぅ?」
「いや、ごめん。ちょっとわかんないかも」
「それはねぇ、相手が危険な存在だって一目で見抜くことよ」
「それってつまり、あの黒いのが相当やばい奴だって言っているよね……まぁ、いいか。作戦終了。総員、周囲を警戒しつつ速やかに撤退します……アイリーズ、後ろいい?」
少女が号令をかけて、ほか全員を引き連れてきびすを返す。
彼女にしんがりを頼まれた少女は「いいわよぉ」と了解の返事をする。全員の最後尾につくために遅れて走り出した。それまでの間やや惜しげな面持ちをして、広場の最奥部を見やっていた。
「ヒヒッ。それにしても、優しい騎士って何なのかしら? 面白い言葉が風に運ばれてきたものねぇ……もし生きていられたら、どこかで会いましょうねぇ」
彼女の言葉は誰の耳にも届かず、その場に吹きつけた風にさらわれた。
×
神樹の広場、最奥部・祭壇。
直立不動の姿勢で広場を観察している三体の黒い木人。
広場にひしめいていた木人と姿に大差はないが、胴にはそれぞれ『剛』『柔』『速』と文字が大きく刻まれていた。その全身を包む禍々しい黒い煌気を思えば、その威力も相応であると予想できる。
「馬鹿な、あの木人は……」
「ミントちゃんが神樹に……あれが何か知っているんですか?」
足元の直剣を拾いあげるロイルズが、緊張した声音で述懐する。そんな彼の強さを身に知っているからこそ、ホロロも同様に月下美人を拾いあげて身構える。
「これはどういう状況なんだ? 決着がついたわけでも、ないようだが?」
異変を察して、ウェスタリアの代表たちが駆けつけてきている。不気味な気配を放つ三体の木人に近づきながら、彼らの視線もそれらに釘付けとなっているらしかった。
「っ……駄目だ、来させるな! ホロロ=フィィオジアンテ、今すぐ仲間を連れて逃げろ! もしもあれが伝承どおりの、本物の樹魂のフォトンの力だとするなら――」
二人はすぐそばに、ビュッと風の渦巻く音を聞いた。
忠告をする、される、それに一瞬でも気をとられた間か、ほんの瞬きをした間か、でなければ単に自分の動体視力がそれの動きに劣っていただけなのか、過程は不明瞭である。
胴に速と刻まれた木人が、ミュートたちと間合いを詰めるさまを見過ごした。
たったそれだけしか、わからなかった。
機械じみた感情のない肉体を駆動させて、速の木人が九人に猛威を振るう。
背中から放出する気撃を推進力として、100メィダもの跳躍を成功させる。向かって先頭にいたミュートに急接近する。勢いが乗った正拳を突き出して、相手の胸元を抉ろうとする。
速さを得意とする彼女が、最初の標的になったのは幸いだった。彼女でなければ、防御をする間もなく、接近に反応する間もなく、身体に風穴を開けていたに違いなかった。
この速さは、ネネ教官並みだと……!?
籠気した長剣の腹で受けるが、彼女の身体は衝撃に耐えきれず弾かれた。練気で底上げした身体で受け止めるには、あまりにも威力が強い一撃だった。
「ミュートちゃん……野郎!?」
三歩の間合いに着地した速の木人に、ジャンゴが斬りかかる。その挙動をした時には、もう遅い。視線を下げてようやく見える低さで懐に入り込まれている。一呼吸を挟む間さえもなく、十数発もの当て身を繰り出されている――。
神樹の寵愛によって与えられる樹魂のフォトン。
一般的に武の面においては、マカノフと同様の使い方をする力と認知されているが、誤解である。そもそもは、ほかの誰かのために頭数をそろえる助力の力ではなく、巫女が自分の身を護れるようにとした守護の力だった。その黒い木人こそがまさにそうだ。
およそ万単位の木人を制御できる素質、神樹の宿した無限のフォトン。これら二つが合わさって、さらに神樹の憎しみがこもって生み落された三体は、非常に強力だった。単純に考えるならば一万を三等分として、一体が持つ力は三千弱の木人に匹敵する。
しかし三体には言わずと知れた特性があるから、ことは単純でもない。律儀にもそれぞれの胴体に刻まれた一文字である。フォトンの大半が加速に費やれるために、速の木人の攻撃力は露骨に低く、逆を言えばその分だけ速くなっており、これは神速の域に達している。
この木人にとって、九人はなぶり殺す相手にしかならない。
「っ……みんなが!?」
「こちらにも来るぞ!」
気を取られていたホロロは、強く注意を促された。
剛と柔の木人が石畳を踏み抜きながら、左右に分かれる進路を選んで迫りくる――彼はロイルズと背中合わせになって、それぞれ迎え撃つ形をとる。自分の相手と見込めた剛の木人と接触する瞬間、振り下ろされた拳を月下美人で捌こうとする。
拳に触れてはならない――完全感覚が警鐘を鳴らして拒んだ。
その拳を掠め気味に避けると、ホロロは浮遊感に襲われた。そのまま石畳を打った拳が、地盤から陥没させたことで足場がなくなり、また上向きに弾けた空気に浮かされていた。こうなって身動きも取れずにいたところ、強烈な前蹴りをもらった。
「ぁぐっ!?」
咄嗟に腕を交差するが、ホロロは防ぎきれなかった。直撃に両腕をベキベキと砕かれて、その余り余った衝撃で胸骨に亀裂を刻み込まれる。まさか、その状態で受け止めることなどできない。
ロイルズを巻き込んで、山なりに蹴り飛ばされた。
これを落下位置で柔の木人に待ち構えられている。両の手首を起こして腰元に引きつけた両腕を、落下を見越して身体に打ち込まれる。引き足で石畳を蹴った力も加えられる。
透きとおるような衝撃に、ホロロたちは身体を内側から壊された。繊細な挙動と狙いをした脚技によって、蹴鞠玉のごとく宙で弄ばれた。やがては飽きたように都合の良い姿勢に変えられて、両手でそれぞれ顔面を鷲掴みにされて、がつんと後頭部から石畳に叩きつけられた。
膂力と繊細さを欠くことで速の木人の速さは並外れる。繊細さと挙動の速さを欠くことで剛の木人の膂力は並外れる。膂力と挙動の速さを欠くことで柔の木人の繊細さは並外れる。
三体の圧倒的な威力を前にしては、中立軍に彼らを助ける手立てなどない。
「こ、こんなの……」
駄目だ、こんなの勝てっこない……。
身体が防御に追いつかない。追いついても煌気の質が違い過ぎる。中立軍の人に助力を……いや。誰が寄せ集まったって。一緒だ。傷つける人が増えるだけだ……。
繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、三体の木人に全員が痛めつけられる中で、ホロロは痛感する。しだいに心が挫けていく。しだいに反撃する意思を失っていく。
――優しい騎士になるためには力がいる。道を阻む相手よりも強くなければ、何も守れない。
ジョンの言葉が脳裏をよぎった。
僕は、思い上がっていたのかもしれない。こんなにも弱いのに、口先ばかり助けたいだなんて……そのくせに挫けまでしちゃいけない。諦めまでしちゃいけない。それだけは絶対に……。
もう一度だけ反撃の意思を持ち直して、彼は全身全霊の煌気をまとう。
「……しちゃ、だめだぁああっ!」
煌気の圧力で怯んだ剛の木人を蹴る。せいぜい5メィダほど石畳を転がるだけの、能力者としてはたかが知れた一撃になる。成功させてすぐに、彼の身体を包んでいた煌気は四散した。練気を保っているだけの気力も体力もすり減って、限界に近かったのだ。
こともなげに立ち上がった剛の木人が、歩み寄ってくる。
治癒も追いつかない。満身創痍では、片膝をついて待つしかない。
しかしホロロは視線を逸らさなかった。
単なる強がりなのか意地なのか、自分でもわからなかった。
正面から堂々と間合いに踏み入られる。
無慈悲に拳を振り下ろされる。
「うむ……これはどうやら、まだお主には荷が重いようだ」
優しげな声が聞こえたのと同時、その拳が鼻先で止まった。
最後まで目を閉じずにいたから、彼は何が起こったのかを理解できた。剛の木人に反応を許さない速さで颯爽と、視界の端から現れた白髪の青年が、その腕を横から掴み止める瞬間が見えていた。
「時にお主、相手を蹴る時はもっと腰を入れて、こう――」
何やら解説を始めた青年に、ホロロは目を見張る。
水平に半円を描いて、煌気をまとった青年の足が木人の胴を真芯に捉えた。掴まれた腕を残して、相手の身体が風を切り裂きながら、広場の外縁部に向かって吸い込まれていった。吸い込まれて――もとい弾かれた黒い身体が、その先にあった一本の大樹に激突した。
激しい衝突音をともなって、小さく足元が揺れた。
「よもや、このようなことになっていたとは……遅れてすまなかった」
残った腕をうしろ手に放り捨てて、青年が柔らかく微笑む。
そんな彼の名前を、ホロロは噛みしめるように呼んだ。
「……ジョン教官」




