突撃
ウェスタリア代表たちは、まずもってエンに協力を仰いだ。
演習場の備品庫から足りない装備を調達して、それから今は神樹の広場までひた走っていた。馬術代表の二人が騎乗している関係から、この道選びには人気を避けることが基本になった。
「おいおい、おかしくないか? 警鐘が聞こえてない? さっき誰か、飯なんか食ってたぞ?」
「受け売りだけれど、そういう国柄なんだと思う。考えてみたら、二百年も平和が続いていたんだ。連邦や帝国が戦争を始めてからもずっと……危機感を持つ方が難しいんじゃないかな?」
怪訝な顔をするジャンゴに、ホロロは受け売りを教えた。
通りがかる際にうかがった大通りでは、数えきれない人々でごった返していた。これは避難誘導をする中立軍の兵士に落ち度があったわけではない。そもそもは、危機意識の薄さから自発的な行動ができなかった人々に原因があった。
「この分だと避難も時間がかかりそうだな。お前が言っていたとおりなら、その巫女の木人とやらが広場から解き放たれるのが時間の問題ってことなら、まあ、あんまり考えたくないねぇ」
「どうにかできるなんて限らない。でも……力を貸してくれる?」
「おう。背中は任せろよ」
神樹の広場には左側からの進入を目指した。中央からでは中立軍の本陣にぶつかってしまうため、迂回をしなければならない。ともすれば必然的に、大通りを外れた裏路地を走ることになる。ここを抜けてようやく、あの木人がひしめく戦場にたどり着けるのだ。
道の半ばを越えた辺りから、トキの声や爆発音が耳をつんざくような音量で聞こえ、また足元には揺れも伝わるようになった――この頃になると、争いの熱気が全身で感じられた。
もうすぐ戦うことになる。たぶん命の懸かったやり取りをしなきゃいけない……。
もしも、この中の誰かが命を落としてしまったら、そう思うと怖いな……。
初めての実戦を前に、そう怖気づいた時だった。
「へーい! ショタ君じゃなくて、ああ、ホロロ君だっけ? あはっ、あんたゲロヤバいわ」
「や、やめ……頼む! 挨拶の前に離してくれないだろうか!?」
不意に、ホロロは横から話しかけられた。
けらけらと弾んだ声がした方には、態度の馴れ馴れしい山姥がいる。彼女に脇で頭を絞められて、優等生が身体を引き摺られている。その様子は、やんちゃな子供がお気に入りの玩具で乱暴に遊んでいるか、でなければ腹の空いた山姥が旅人をさらう図にも見紛わせる。
相手はブリジッカとワトロッドの二人だった。
「……げ、げろやば?」
接するにしても気が引けてしまって、ホロロは声が裏返った。
「デコリンの矢をバシッとやったの、チョーウケたわぁ。で、良いモン見てアゲアゲ的な?」
「え? ああ、そういうこと……そ、それほどでも」
「ウチはブリジッカね、顔が黒いヤツで覚えてくれな。ていうかショタ君イケてんなぁ……何でとか知んねぇけど無条件で信じられそうだわぁ……ちくしょう、食べたらヤベェよな?」
手ごろな獲物を目の前に、ブリジッカが舌舐めずりする。
そう彼女が気を取られている隙をついて、ワトロッドが締めつけから逃れる。ずれた眼鏡の位置を正すと何ごともなかったかのように平静を装う彼であるが、本当は心で泣いている。
「ふぅ……ホロロ=フィオジアンテ君。僕は彼女と同じ弓術代表のワトロッドだ。これから改めて、よろしく頼む。実は初めて見た時から、僕は君がこの代ひょ――」
「――ぎゃはっ、ちょっと眼鏡君、マジで真面目だってーのぉおお!」
ブリジッカがワトロッドの頭に腕を回して、先ほどよりも深く絞めつける。
その先から「ふごふごっ!」と発音が変わり、ホロロは彼の言葉が上手く聞き取れなかった。ただどことなく「やめてくれ!」「勘弁してください!」と伝えたがっているようには感じられた。
「ほんじゃ今後とも、よろしこ!」
ほかにも話しかけに向かうブリジッカを見送る。
賑やかな人たちだったけれど、眼鏡の彼は何を言おうとしたんだろう……。
というより放してあげないのかな。走りにくくて、される方は辛いに違いない……。
嵐のように来て嵐のように去る彼女の、その突風に巻き込まれたワトロッドを不憫に思いながら、しかし巻き込まれた自分を想像すれば、ホロロはそっと視線を切った。彼女の近くにいては、いつか我が身に危険が及ぶに違いないと予感がしていた。
「あの……ホロロ君、だよね? 聞いてもいい?」
入れ替わりで、また誰かに話しかけられた。
忍び寄られる気配がした方には、隠密特有の姿勢が低い走り方をする隠密が二人いる。手前側にはじっとした眼差しを向けるだけの無口な少年、奥側には消え入りそうなか細い声を出す内気な少女と並んだ。二人の様子には、共に好奇心のありそうな気配がうかがえた。
次の相手はキュノとティハニアの二人だった。
「うん……どうしたの?」
至って真っ当な接し方をされると、ホロロも不安なく応じられた。
「もしかして完全感覚とか持っていたり、する?」
「ぜんぜん練度も足りてないけれどね」
「やっぱり……前から、イクサ教官とフォトンの感じが似ていると思っていたんだ。それで、さっき遠目を利かせていたのを見て、もしかしてって。どんな風に世界が見えるんだろう……羨ましいな」
同感するように相槌を打ったキュノから、無言で手を差し出される。
「あぁ、握手だね?」
キュノの意図を酌んで、ホロロは愛想よく握手にも応じた。
二、三軽く振って手を解こうとするが、キュノからは握られたままだった。あわせて相変わらずの眼差しを注がれていると、どこか調べられている気もして落ちつかなかった。
「改めて自己紹介させて……この人はキュノ君。とっても無口さん。私はティハニアっていうの……仲良くしてね。これから私たちは斥候してこようと思う。それが隠密の仕事だから」
集団を抜けて、敵情を探りに先行する二人を見送る。
斥候をしてもらえるのは心強いけれど、もしかしたら意味がなくなるかもしれないね……。
情報を聞く前に、何だか彼らは突っ込んでいきそうだから……。
ホロロは視線を横に逸らして、先導するボージャンとゴランドルの背を見やった。ふとこの視線を感じとった彼らに、速度を落とした馬を横づけされた。馬上逞しい勇者と乙女に挟まれると、左右に壁ができたような感覚にも襲われた。
「ふははっ、見たまえホロロ君! 俺たちは団結を始めた! 君がしたことだ!」
大腕を広げたボージャンに、ホロロは褒め称えられた。
代表たちが、兵科の垣根を越えて交流を始めた。神樹の広場に走る中で自然と起こった出来事に、彼の感銘と称賛はあった。すべては、その一歩から始まったことだった。
出会ってから一週間。手も声も、まともな視線さえも交わせなかった俺たちが……。
「いや、僕は何も……」
遠くの相手と話すような声量に圧倒され、ホロロは口ごもる。
「行くべきではないか……おそらく、あの場で大半がそう考えていた。かくいう俺もそうだ。だが、結局は行く理由を考えられなければ、口にする度胸もなかった」
少しだけ声を落ちつかせて、ボージャンが「まったく」と続ける。
「つまらん意地だったのだ。一人で解決できると限らんなら、あの場で助力を求めるほかなかった。少なくとも、各兵科から一人ずつは欲しいと思った……その上で損得勘定をした。信頼乏しい相手に頭を下げて善をおこなうか、今後の集団内の立場を守るか、天秤に乗せた」
逆側で、ゴランドルが言葉を引き継いだ。
「でもあなたは違った。一人でも行こうとした。あっさりと相手に願い出た。理由も小さな女の子を助けたいなんて理由だった。何をお馬鹿なことを……そう思ったけれど、気がついたらあたしの胸は熱くなっていたわ。あの矢を掴んだ一瞬に、みんな魅せられてしまったのよ」
二人に聞かされた話に、ホロロは戸惑った。
ミントを助けたい一心で半ば勢い任せに動いたことが、これほど周囲に影響を与えている。それを予期していたつもりもなければ、立場が危うくなるとも思わない。誰かがその時に抱いている感情に敏くても、その感情が何に動かされたかは当人にしか知り得ないから、気づけなかった。
代表生徒たちは、その純粋さに惹かれて、触発された。
相手を疑えば自分も疑われる。自分に対する疑いが晴れなければ相手に対する疑いも曇り続ける。疑うことを知らないのは、愚かしいことなのかもしれない。それでも、そうでなければならない時があると、そうあっても良い時があると、彼らは深く感慨を抱いていたのだ。
「ホロロ……私もジャンゴも、ほかの誰もが自分の意志でこの場にいる。傷つこうが傷つくまいが、君が背負うことではない。前だけを向いて戦えばいい」
「そのとおりです。あなたが背負うものはありません。それに、仮にも武闘祭に出場する代表です。一介の兵士とはわけが違います。だから、その……安心なさい」
怖気を察していたミュートとナコリンに、それぞれ励ましをもらう。
言えば簡単そうだけれど、でも難しくて、上手くいかないことだってあるけれど……。
何だろう。何だかすごく安心しちゃった……。
一悶着あった彼女たちがきまり悪そうにも並走する姿を見ると、ホロロはまた満面喜色になった。その厚意を受け取ることができたのも、自分の心が正しく伝わったからだと思えば、もう何の迷いもなくなった。今ならば確信をもって、それを言える気がしていた。
神樹の広場までは、もう200メィダもない。
キュノとティハニアが斥候から戻って、これから二人が持ち帰った敵情から方針を考える。誰もがそのつもりでいて、しかし例外が二人――ボージャンとゴランドルによる独断先行がなされた。
「ぶぅぁああっはっはぁっ! ゆくぞ、ゴランドル君!」
「はぁああん、いくわぁああっ!」
意気揚々と広場に突っ込んでいく彼らを、ナコリンが怒鳴りつける。
「ちょっ……この馬鹿、待ちなさい! まだ作戦も何も……!」
返事はあったが、止まるつもりはないらしかった。
「作戦だと? 寄せ集めでしかない俺たちに、そう高度な真似ができるとでも? それは集団訓練ができるようになって、初めて成り立つものだ! 頭数は十分、迷うな、突撃だぁ!」
「ははっ何だよ、あいつ。本当に俺とタメかよ? ……一理あるじゃないか。単純ゆえに美しい!」
ボージャンの言い分に賛成したジャンゴが、練気によって一気に加速する。さらに、彼らに続いてブリジッカが足を速めれば、ワトロッドも否応なくこれに引き摺られていった。
「また滅茶苦茶をやって……仕方がありませんね」
「ナコリンさん。ありがとう」
呆れて肩を落とすナコリンに、ホロロは礼を言う。
「……何のことですか?」
「なんとなく、だよ……」