もっと単純なこと
今朝から予定した全体訓練を前に、エンのエントランス先に召集がかけられた矢先のことだった。合宿運営の局員が、青ざめた顔で事情を知らせに訪れた。それは教官たちの耳に入り、ネネの口から生徒たちにも伝えられた。
「……なので皆さんは、とりあえず待機でお願いします」
「帝国代表と使用区画が被ってしまって、ほかに区画の空きもないと?」
事情の要点をかいつまみ、ナコリンが再確認する。
「戦時には変わりありませんからね。連邦と帝国の代表たちを一緒にしないための調整だったはずが……まったくもって本末転倒です。運営も何をしていたんだか、かなり珍しいミスです」
「こちらにその気がなくとも、相手の都合はわかりませんか。ほかの連邦代表が使用する会場区画を一部でも借りるわけにいきませんか? 最悪は宿の演習場とお察ししますが?」
「決して無理ではありません。しかし受け入れてもらうのは難しいでしょう。どこも威信が懸かっていますから一方的に割り込むというのも……」
八方塞がりの現状を受けて、ネネが悩ましげに嘆息する。
「……では、待機というのは?」
「これから私たちは、運営本部の方で相手の教官たちと再調整を行ってきます。今日中に戻れるとは思いますが、いつになるかはわかりません。だから一応は、いつでも動けるようにしてください」
局員に案内されて、ウェスタリアの教官たちがエンをあとにする。
かくして思わぬ足止めを食らった。待機を言いつけられた代表たちは、口数少なく庭園の休憩所にまとまった。当日は実戦用の得物を手に、ようやく連携の訓練を行うはずが、こうも幸先が悪くなるとは誰も思わなかった。これが起因してか余計にぎくしゃくした。
時間が経てば経つほど、それは肌で感じられるものになっていく。
ある者は得物の手入れをしたり、ある者は化粧をなおしたり、ある者は居眠りをしたり――彼らは黙々と、やりやすいように気を紛らわした。これを機に関係を深めようと、アプローチを図ることもなかった。もとい、したくてもできない雰囲気を自分から作ってしまっていた。
ジャンゴ君が言っていたように、お互いを疑っているのかな……?
あの女の子が言っていたように、本当は伝わらないんだろうか……?
いや、伝わっている人もいるんだ。なら諦めちゃいけない。人任せにしちゃいけない……。
生唾を飲むほどの緊張を半分、ホロロは意を決すると一歩前に出た。
「あの……ちょっといい、ですか? いや、えっと、僕はホロロ=フィオジアンテっていうんだ……ほら、初日に自己紹介もあったけれど改めて。第三から選ばれてきた剣術代表なんだけど……」
案の定な居心地の悪さを肌にひしひしと、なおも愛想良く振舞い続ける。
大半には行動を驚かれて、口の開いた顔を向けられる。一部には相槌をもらって、応援するような眼差しで見られる。何とか意思疎通のきっかけを作ろうと試みる。しかし努力は空しく、自己紹介も途中で、ナコリンにバッサリと切り捨てられた。
「もう結構です。自己紹介など必要ありません」
これにはホロロも口を結んだ。
「……またずいぶん、底が浅いのもいるようだな」
「お堅いのも魅力的だったんだけどな……そんなんじゃ、股間も萎えてしまうじゃないか」
一方で、ミュートとジャンゴは穏やかにしていられなかった。
ホロロを庇うように並び立って、彼女は蔑みの視線を、彼は失望のそれをナコリンに送りつける。その人柄や志などを知っていればこそ、その突拍子のない行動が理解できる。だから、そこにあっただろう気持ちを良く知りもせず軽んじられたことに、憤りを感じている。
「……他人に、易々と量られる生き方をしてきた覚えはありません。それと、私も軟派な男性は好みではありません。お互い様ですね、ジャンゴ=スカダニア君?」
また堅い顔つきをして、ナコリンが含みのある言い方をする。
三人から練気の気配を感じとると、ほかの代表たちも静観していられず身構えた。詳しい力関係がわからない能力者同士の喧嘩となれば、それが周囲に及ぼす影響も予想がつけられない。
「え? ちょ、あの、えっと……」
あれれ、なんだか一気に険悪になっちゃった……。
ホロロは動揺していた。仲良くなるための行動がまさか裏目になったのだ。
「ええ、この際ですから正直に言いますが、ここにいる大半の方を、まだ私は信頼できていません。今年の大会の意味を理解できていますか? 開戦を止めるためならば命を賭す覚悟もしています……もし妨げられようものなら、私は容赦なく弓を引きます」
弓柄に手を構えて、ナコリンが力強い声音で断言した――彼女の言い草に侮りを感じた何人かは、いかにも不服そうに顔をしかめる。その矛先が向けられる可能性を考えて、自分たちの得物に意識を集中させる。片足を引いた重心の位置は低めに、機敏な反応ができるよう備える。
この時、ミュートは密かに考えていた。
開戦を止めるための覚悟、か。私がこの道を選んだ理由は何だっただろう……。
もしもこのまま開戦しなければ、もしもこれから開戦したとすれば、やはり私は……。
胸中で渦巻く願望の後ろめたさから、無意識にまぶたが下がる。見落とされても不思議ではない、ごくわずかな気色の変化だったが、彼女はこれをナコリンに感づかれた。
「あなたは……ミュート=シュハルヴさんでしたか? 特にあなたを信頼できていません。その瞳が何を意味しているのかくらい、これでもわかるつもりです……まるで、あの頃の私と……」
長めの前置きがあって、いよいよ言及される直前だった。
カンカンカンカンカンッ――!
神樹の広場がある方角から警鐘が鳴らされ始めた。どういうわけかと耳を澄ませば、これに紛れて薄らとトキの声や爆発音も聞こえた。これまでの閑静さはあっという間に失われて、何かしら異常が起こっているとしか思えない騒めきに包まれた。
「この音は、神樹の方から? ……首都に何が?」
ナコリンの呟きを拾うと、ホロロははっとなった。
たしか昨日、あの人は広場に近づくなって言っていたけれど……。
昨晩に言われた覚えのある、あの意図のわからない言葉が引っかかる。妹が妹なら、その兄も兄で多くを語らない主義なのだろうと、あまり気に留めていなかったそれに、今になって心を乱される。嫌な予感がしてたまらず、誰の制止も無視して走り出す。
見覚えを頼りに本館の裏手に向かい、むき出しの非常階段に上がった。
この最上部の踊り場に達しても、彼は屋内に入らなかった。手すりを乗り越えてすぐにある本館の屋根に飛び移った。より遠目を利かせるための手段として、一か八かと試みていたのだ。
「あれは、何で……」
完全感覚を働かせることで、目を凝らさずに2000メィダ先までを視認した。
ここから末端に位置した目当ての場所も、例外ではなかった。
神樹そびえる広場の奥側では、木人が延々と生成されている。不気味に身体を揺らす、見るからに覚束ない足取りで街区に迫ってきている。対する手前側では、中立国の軍隊と思しき一団が、木人の進行を食い止めるべく陣を張り、能力者兵一名、一般兵九名からなる小隊を複数組んで戦っている。
石畳も見えなくなるほど、広場はそれらで埋め尽くされて見えた。
そして神樹の根本には、その少女が力なく磔にされた姿が――。
「ミントちゃん……どうして、あんなことに?」
「集団行動も出来ないのですか、あなた、は……?」
屋根の上まで追ってきたナコリンに咎められるが、ホロロは広場の様子に気を取られすぎていた。つられて同じものを見やった彼女に、疑う調子で「……まさか」と続けられて、その存在にようやく気がついた。それでも目の焦点は変えず、そこにあわせたままだった。
「何を見ているのですか? いえ、あれがはっきり見えているとでも?」
ちょうど一足遅れで、ほかの代表たちも階段を上がってきた。その警鐘が鳴らされた原因よりも、どちらかといえば二人の動向に注意が払われたため、彼らの足は踊り場を越えなかった。
ホロロの返事は、そんな彼らの耳にも入る。
「広場の奥から大きな木の人形がどんどん増えて、中立軍の人たちが戦っているみたいなんだ」
「木の人形が戦う? ……聞いたことがあります。たしか神樹教の巫女だけが持つとされる、樹魂のフォトンがそうだと。もしも本当なら、この騒ぎには神樹教が絡んでいる可能性も高いですね」
「神樹教の巫女に、特別な立場……」
ミントの嘆きと、ナコリンの知識と、ロイルズの願いと、目の前にある現実と、一度に整理すればわかってしまう。どれだけ信じ難くても、それ以上に揺らぎない事実だと思えてしまう。
従者で、兄妹で、親代わりって言われるくらい、近くにはいたんでしょう? 近づくなって教えてくれるくらい、何が起きるか知っていたんでしょう? なら、そういうことなんでしょう……?
思えば思うほど、ホロロは心の奥底から怒りが湧いて止まなかった。
「自分の妹をあんな風にしてまで、やることって何なんだ」
広場を睨んで力強く一歩を踏み出す。しかし「待ちなさい」と、矢つがえした弓を引くナコリンに呼び止められた。これから何をするための一歩だったのか、先ほどの言動から見抜かれていたのだ。
「待機を命じられたはずですが、あの場に向かおうとでも?」
ナコリンに正面を向けて、ホロロはゆっくりと後退りをした。5メィダの間合に止まった。一切の敵意もなく月下美人を抜刀すると、鞘はうしろ腰の革帯に挿して、四神方位の構えをとった。
それから見合ったまま深呼吸を一つ、彼は真剣な顔つきをして切り出す。
「よかったら、力を貸してもらえないかな?」
「お貸しするとでも思いましたか? それは正義感ですか? 善行によって私たちの信用を得るためですか? ……目的も理由もわかりませんね。それに刀など構えて、この距離で防げるとでも?」
「その……この前、街で会った女の子が苦しんでいるから、助けに行きたいんだ」
「…………はい?」
「そうだ、もしも僕がナコリンさんの矢を防げたとしなら、力を貸してもらえる?」
結果を急ぐあまり、ホロロの口ぶりは防げることを前提とした願いになった。悪気が感じられない態度をしているだけに、ナコリンも思わず調子を狂わされた。
「あ、あなたは……いいでしょう。仕損じれば死ぬかもしれませんが、防げるものなら」
右足を前にしてやや半身。低めに腰を落とせばどっしりとした印象。右手持ちに左手の軽く添えられた月下美人が、左腰で水平に保たれる。相手はすべてを受け止めるような構えをしている。
目算で5メィダ弱、この距離ならほぼ初速のままで到達する……。
目が良くても、反応できるはずがない。なのに、こうも当たる気がしないのは、一体なぜ……。
四神方位を見据えて、ナコリンが覚えのない威圧感を味わう――。
ほかの代表たちに行く末を見届けられる中で、合図もなく矢は射られる。
それよりも先にホロロは動いていた。彼女の手が矢を離す兆候を、完全感覚で見極めていたのだ。瞬時の刀の握りを替えて、自由にした右手を小さく振るい、その矢柄を横から掴む。反動で小刻みに揺れるそれを手の中に見て、彼はほっと息をつく。
「こ、この距離で、掴んだ?」
「あぁ、その……僕の勝ち?」
瞠目するナコリンに、はにかんだ顔でホロロは確かめた。
「っ……もう一度です、次は元素化フォトンで……」
「はははっ、デコ助、お前の負けだ!」
彼女が結果に納得できず張り上げた声は、誰かの大きな笑い声にかき消された。
踊り場から屋根に飛び移り、ボージャンが基礎を軋ませながら歩み寄ってきていた。彼との距離が近まるにつれて音圧も大きく感じられた。もう一、二歩にもなると、肌に響くほどだった。
ナコリンを適当に諭した彼から、ホロロは続けて申し込まれた。
「ホロロ=フィオジアンテ君だったな? これが協力しないと言うのなら、代わりに俺を使うといい……理由は馬鹿馬鹿しいが単純明快でたいへん結構、気に入った」
時に、彼だけではなかった。
「じゃあ俺とミュートちゃんも。ホロロのためだ」
「ボージャン様が行くなら、あたしもいくわぁああ!」
「え、行きたいって? あの……私とキュノ君も行きます」
「まあ動ける奴が動けってことだな。ていうか中立軍が負けたらどの道一緒じゃん、ウチと眼鏡君も行くからな、よろしこ!」
ほか七名の代表からも、次々と同様の声が上がる。
ホロロは満面喜色になった。ミュートたちは別に、これが彼らにもらう初めての意思表示だった。誰が何をどう考えているかわからずとも、ともかく厚意に受け取れば自然とそうなった。
このかたわら、これ見よがしに彼らを一瞥して、ボージャンがナコリンを説き伏せていた。
「……どうも俺と同じ馬鹿な奴らようだが、言うほど悪い奴はいないらしい……気持ちはわかるが、あまり深く考えすぎるな。お前の悪い癖だ……それでどうする、ナコリン?」
「……こんな時だけ名前で呼ぶなんて、ずるいわ」




