思惑は交錯する
九月二十五日。日付が変わり間もない頃。
神樹の広場から見て南には、神樹教の総本山である『ゼオンの大聖堂』がそびえたつ。
古めかしくも壮麗な租石造の大型建築物。
神樹を崇め奉るための施設として、序列最高位の巫女、以下序列五位以内の教徒や従者が住まう。主に一階は聖堂の役割を果たしており、日中であれば一般人にも開放されている。ただ深夜になると限られた者しか出入りが許されないため、人気も失せて静かになる。
この日は特にそれが著しい。
何せ堂内で巫女に仕える者のほとんどが、強引に眠らされているのだ。
「いいえ違う。もういいの。私はあなたのせいではないと思ってる。でも、あなたはそう思うなら、お願いだから、どうかこのまま変わらず見ていて。私は……」
大きな吹き抜けの窓に、象徴たる大樹がおさまる構造をした祭壇。
胸の前で手を組む。膝をついて頭を垂れる。ミントは祈りを捧げて神樹と対話する。この最中に、押しかけてきた十数名の過激派教徒に取り囲まれた。それでも彼女は狼狽えなかった。つい今しがた堂内が少し騒がしくなったことから、ある程度は察しがついていた。
あるいは、すでに覚悟ができていたとも言える。
「予感はしていました。それでも、あなただけはと願っていました……ロイルズ」
「ミルフィント様。どうかご無礼をお許し願いたい……あなた様を想ってのことなのです」
一つ心に堪えたとすれば、過激派教徒を引き連れているのがロイルズであることだ。頼もしい従者として、血を分けた兄として、半ば祈るように寄せていた信頼は無残にも砕け散った。
「私を想って……それで何をしようと?」
「あなた様を巫女の呪縛から解き放つ。失った時間を取り戻すのです」
「……やはり何もわかっていないのですね。私の気持ちなど何一つとして」
言い切って煌気をまとい、ミントは樹魂のフォトンを発動させた。
巫女の力には二つの特性がある。煌気を変質させて木人を生成するもの、木人に心魂を吹き込むがごとく命令を与えられるものとある。その木人は生成時に費やされたフォトン量だけ威力を増して、あらかじめ複雑な命令が組まれることで高度な自立行動をする。
しかし木人を生成するよりも先に、彼女はロイルズに間合いを詰められた。直剣の柄でみぞおちを突かれると、あっけなく床に倒れ伏した。本来の実力をもってすれば、一体の木人を生成するまでに一呼吸もかからないから、迎え撃てるだけの余裕は十分にあった。
だからこそ、それを知る彼には驚いた顔をされた。
「ミルフィント様……なぜ!?」
見込みが外れたような顔をするロイルズに問い質される。
「少し、疲れてしまいました。もうお好きになさい。所詮は記号なのです。力が発現してしまった、あの日から、今日までずっと……ならいっそ、もう私を終わらせて――」
言葉は尻すぼみに失われ、ついにはミントの意識も失われる。
「お前はこんな言葉を聞くために? ……違うだろう?」
ミントの身体を抱きかかえて自問する。
ふと、ロイルズは背中の方にのんびりとした拍手を聞いた。
「いや美しい兄妹愛よなぁ。歳をとると涙腺が緩くていかん。妹を巫女の呪縛から解き放つために、過激派と結託する。たとえ妹に快く思われなくともぉ、月明かり差し込む祭壇でぇ、やり通す覚悟を決めるのでしたぁ……吾輩はこの手の話が大好きでねぇ」
ロイルズは振り返り、そう茶化す口ぶりで言った男を睨みつける。
やや禿げ上がった金髪を、うしろに撫でつけている。肉のつきすぎから頬が垂れ下がった顔には、不摂生が原因だろう吹き出物も多い。神樹の教序列二位を示す黒い綺羅を着込んだ姿は、肥え太った身体を惜しげもなく晒しているように感じられた。
両脇に女性教徒を数人ほど侍らせて、過激派の筆頭であるマカノフが歩み寄ってくる。いやらしい指使いをさせる手を伸ばして、ミントに触れようともする。
「汚らわしい手で妹に触れるな」
すかさず煌気を発現させて威嚇すると、ロイルズは声を低めて忠告した。
「また同じことをしてみろ……貴様の醜い身体に風穴が開くぞ」
「おぉ、怖いこと怖いこと。本当に妹が大好きで堪らないんですねぇ?」
下卑た笑みを浮かべて、マカノフが冷かしを言う。
「要件を言え、状況はどうなっている?」
「先程ねぇ、隠し部屋に過激派教徒を総動員してねぇ、教えを説いてきた……『神樹を愛する我らの同胞が不当に拘束され囚われました!』とねぇ。大義名分というものを与えてやるだけで、あれほど威勢が違う……徒党を組めば強くなったと勘違いする。いや滑稽でしたねぇ」
厳粛から浮薄な調子まで、言葉にあわせて語勢もころころと変わる。
「……屑が」
「その屑の計画に一枚噛んでいることを忘れるな。あまり口が悪いと夜道が危ういぞ?」
怒気のこもった声で耳打ちをされる。自分を押し黙らせ気分を良くして、侍らせる女性教徒たちに愛嬌を振りまいて離れていく彼に、どこまでも欲望に満ちた悪意を感じる。
「感傷に浸るのもほどほどにねぇ。見ている方は憂鬱なんだぁ。そういうことは、やることをやってから頼むよねぇ? ロイルズゥ……」
もうしばらくの辛抱だ。必ず私が自由にしてみせる。待っていてくれ……。
抱きかかえたミントの顔を見詰め、ロイルズは決意を固めた。
じきに夜が明けようとしていた。