選んだ道の険しさ
六月二十六日。
休日を二日はさみ、就任してから今日で十回目の実技訓練を数える。
ジョンはホロロを指導するばかり。ミュートをのぞくほかの生徒には、すっかり関心を失って――というよりも、優しい騎士という未だ理解できない志に、いささか惹かれすぎている気味がある。
「あれから、教えを請いにくる生徒はいませんね……やはり突き放しすぎたのでは?」
「まぁ、確かにな……しかし結局は、その程度だった……とういうことではないかな?」
ほかの生徒たちといえば、相変わらず自主訓練である。この頃には、誰も教えを請うことを諦めていた。それでいて意に介することなのか、時おり訓練中に物欲しげな視線を向けることも――。
校舎内に増設された、一度に二百人以上をまかなえる食堂。
幅広のカウンターにへだてられた奥の厨房では、国に雇われた優秀な料理人たちが、次々と注文をさばいている。生徒や教官はここで昼食をとるため、昼休みともなると出入りがいちじるしい。
ジョンはこの食堂で昼食をとりつつ、ネネとその――ことについて話していた。
『悩ましい壁を作ってしまいましたね……』
話は、彼女が憂わしげにそう呟いた、ことに端を発する。どちらかといえば、これは彼女の一方的な相談であるだろう。かくいう彼女も、ミュートを指導するばかりだったのだ。
とはいえ、完全にほかの生徒たちへ関心を失ったわけでもない。
過去に短期ながら教鞭をとっていた経験がある身として、現状をあまりよくないと思っていた。
「それはそうなのでしょう……自業自得、とはいえ、これではあまりにもほかの生徒たちが……」
「聞けば、候補として選ぶ生徒は、四人でよいそうではないか……私はてっきり生徒たち全員の実力を十倍に……とばかり思っておった。もう二人は決まったから、残り二人をどうしたものかな?」
「まさか、ホロロ君とミュートさんを?」
「さようだが?」
「ミュートさんは兎も角、ホロロ君の場合だと、その……実力を十倍どころか二十倍にしなければ、計算があわないのでは……言い方が悪くなりますが、素質があっても才能があるとは思えません」
「あの子の内にあるフォトンに触れればわかる、間違いなく、ホロロは伸びる子だ。これは私が保障しよう……心が未熟な部分はあるが、乗り越えられるさ」
「そうですか……ジョンがそういうのであれば、もうこれ以上は何も言いません……そろそろ時間ですね、演習場に向かいましょう……早いものですね、今日でもう十日目ですよ」
ネネが一足先に席を立ち、食器を持ってカウンターに向かう。気持ちを切り替えはしたが、納得をしたわけではない。それでも一人の大人として、彼女も愛想をよく振るまっていた。
ネネ殿は未だ、ほかの生徒たちを気にかけておるようだ……。
私は早々に見限ってしまったが、いやはや、これでは七十年前と変わらぬな……。
離れるネネを見やって自覚すると「底の浅い男だな……」と、ジョンはこぼした。
夏の気配を思わせるような日光が降りそそぐ、昼下がり。同日の訓練時間となる。
いつもの木陰のしたに避暑したジョンは、今日もホロロに素振りの指導をしていた。これまで十回の機会があったものの、それ以外の何かを教授することはしない。
「毎日、あきもせず振るうものだな」
「……僕はこれしかできないから」
「うむ……ずいぶんとよくなった。最初とは見違える」
「ほ、本当ですか?」
また、教えられるものが素振りだけであっても、ホロロが嫌な顔を見せることはない。それよりか楽しんでいる様子さえあった。
一年の基礎訓練が終わる頃から落ちこぼれと見下げられ、二年になってから前任の教官や同級生に見放された。
これまで満足な指導をしてもらえなかったホロロにとって、誰かから熱心に――というのは、どうしようもなく嬉しいことだったのだ。
教官というものが正しくはどうあるべきか、未だ定かでないが……。
どうすれば、このダイヤモンドの原石のごとき人材を無碍に扱えたのか、理解が及ばぬ……。
これが常であるというのならば、兵の成長が滞っても無理はないか……。
ジョンはつくづくとホロロを見て思った。
「ホロロ、お主は優しい騎士になりたいと申したな?」
「はい。人を生かすための優しい力を身につけたいです」
丁寧な素振りを繰り返すホロロに確かめる。
人を生かすための優しい力、やはりその類の志であったか……。
戦場で敵兵に情けをかける者を、これまで何人か見てきた……。
しかし現実を前に、それを最後まで貫いた者は皆無……。
なぜ、お主はそうありたいと願うのか……。
思い返したジョンは「少し、趣向を変えよう」と続けた。
素振りをやめさせて、彼の真正面に立つ。
手を伸ばせば届く距離。木剣を振るえば、もっとも威力が発揮されると思しき間合いである。
「私を木剣で打ちなさい」
「えっ……?」
聞き間違いではないかと、ホロロは真っ先に考えた。
微笑みとともに向けられたその言葉の意味を、すぐに理解することはできない。あるいは、一度でも冗談ではないと理解してしまうと、途端に身が竦んでしまった。
「構えなさい」
言われるまま、木剣を構える。身体の震えが止まらず、手元も安定しない。
剣尖がみみず線を描いて、揺れていた。
僕の目の前で微笑むこの人は、何を考えているんだろう……。
僕に何をさせたいんだろう……。
そんな言い知れぬ不安に動悸を起こし、ホロロは畏縮しきっていた。
「打ちなさい」
「きょ、教官は木剣を凶器だとおっしゃいました、なのに……こんな!?」
「安心しなさい、私はちゃんと避ける。さぁ、打ちなさい」
「ほ、本当ですか?」
催促の言葉には違和感があり、とても真実であるとは思えない。されど一瞬でも「大丈夫なのだ」と考えてしまった身体は、打ち込みに動いて――。
「……できません」
ホロロが振るった木剣は、ジョンの額に触れる寸前で止まった。最後の最後で、勇気がともなわれなかった。木剣は小さな手から抜け落ちて、地面で乾いた音を立てた。
「そうか……打てぬか」
もし木剣が振り抜かれていても、ジョンは直撃を受けるつもりでいた。ホロロが選ぶその答えを、知りたかったのだ。涙ぐんで「ごめんなさい」と平謝りをするホロロに、彼は問いかけた。
「人を打つのは、怖いか?」
「切先を人に向けるのが、こんなに不安になることだなんて、知りませんでした」
「……もしも私が敵であったなら、お主は今しがた死んでおる。お主が守ろうとした者がおったら、殺されておる。すべてはお主が相手を生かそうとして、打てなかったからだ」
「僕は、間違ったのですか?」
「いや間違ってはおらん。だが正しくもない。答えはお主が決めなければならん。打つか打たぬか、お主の言う優しい騎士とは、常に二択を迫られる、おそらくほかの何よりも険しい道だ」
「そんな……僕は、僕はどうすればいいのでしょうか?」
「考えなさい。与えられた解に、信念は宿らぬ」
剣というものを手にした以上は、いつか己の手を血で染めねばならぬ時が訪れるだろう……。
その時、果たしてお主はどうするのか、優しい騎士は何を選ぶのか、私に教えてくれ……。
期待深く、ジョンはホロロの頭に手をおいて、一つの宿題を与えた。
それは十七歳の少年には、あまりにも荷が重く思えるものだった。
一方、演習場の中ほど。
ネネはミュートとひたすらに木剣を交える。
共通して『速さをもって相手を制す戦法』を得意とすることから、その指導を一任されていた。
訓練方法は、一切のフォトン能力を使わずひたすら試合をする、というものである。
「私たちのように速さで戦う者は、どうしてもフォトンで身体能力を強化する――『体気術』などの使用に依存してしまいます。戦闘中は、常に使っているといっても過言ではないでしょう」
ミュートの木剣をすべて受けるかたわら、ネネは能力者同士の戦闘における戦術論を、断続的にはさんだ。戦闘中に考える能力の向上も、うながそうとしていた。
「そのため、フォトンの消費は激しいものなのです。決め手を欠いて戦闘が長期化した結果、必要限界まで消耗した場合は、最悪、純粋な身体能力のみで能力者を相手にしなければなりません」
ネネは一切の反撃をしない。
試合の決着のルールは、ミュートが一本を取るか、あるいは校舎の鐘が鳴るか、いずれかである。一度だけわずかな休息をはさむのみで、基本的にひたすらとおしで行われてきた。
「生身の強さは必須です。ミュートさんは正直その点がもろいです。実戦で出会う敵は、だいたい私たちの弱点を知っています。付け入られれば最後、撤退を余儀なくされるか、首をはねられる」
指導はミュートが出したボロの改善をおもとしている。
中には自覚がなかった点もいくらかあり、ネネとの実力の大差も相まって、効果的だった。
なぜだ、なぜ私の剣は届かない……?
私には何が足りない、腕力か、脚力か、どうすればもっと速く動ける……!?
一向に届かない自分の剣に、ミュートもそう苛立ちを隠せない。ふいの悔しさを引き金として、彼女のフォトン能力は無自覚にも発動された。
体内で膨らむフォトンの気配を感じて曖昧に、木剣を介するように感じて明確に、その発動を感知して、ネネは「むっ」と顔をしかめた。ミュートが能力を使った時だけ、反撃をすると決めていた。
とはいえ、能力では対抗しない。
「あっ、また使いましたね、この……悪い子にはお仕置きですよ!?」
木剣を地面に突きたてて放すと、ネネは懐に飛び込んでくるミュートを素手でむかえる。苛立ち任せの大振りな斬り込みを避け、連動して相手の腕を素早く絡めとり、関節を利かせて投げた。
ミュートが背中から地面に落ちて、どさっと音を立てた
「もうっ、苛立ったら駄目じゃないですか……いいですか? 世の中には私が本気で『1』動いてる間に『10』も動くような人がいるんですよ…………かなりすぐに近くに……」
ネネは投げる引き手を掴んだまま、あお向けに横たわるミュートの顔を、困り顔で覗いた。
「そうですか……私はこんなにも弱かったのですね……」
手を離されても、ミュートには起きあがる気配がない。流れる雲をぼんやり眺めているらしい。
「……どうも集中が切れてしまったようですね」
あきれた調子で訓練の打ち切りを告げる一方で、ネネは「ですが……」と褒めるようにも続けた。
「確実に良くなってますよ。それに、あなたは決して弱くありません。相手が悪いんです」
「……嫌味なお人だ」
返される戯言に、ミュートが失笑する。彼女もまた、多くの宿題を与えられたのだ。
指導を受ける落ちこぼれと天才の成長は、目に見えたものである。それは当然、離れてうかがっていた生徒たちの目にも――だからこそ、彼らも当初のように嘲笑しようなどとは思わない。
なぜ、自分たちは指導をしてもらえないのか……。
天才ミュートは兎も角、なぜ落ちこぼれのホロロが……。
そうした妬みの感情は、もう芽生えている。花が咲くのは、そう遠い話でない。
2017/4/1 全文加筆修正。
2018年1月12日 1~40部まで改行修正。